※土/星/マ/ン/シ/ョ/ン の設定をお借りしています。



兵助を行方を知らないか、と彼の父親から切羽詰まったような連絡が入ったのは、兵助が友人である俺の元に別れを告げて、丸二日が経った後だった。知りません、と言う代わりに「地球にでも降りたんじゃないですか?」と冗談を投げれば、彼の父親はひどく憤慨した様子で顔を怒りに赤く染めた。

「特別治安部隊に捕まりそうになったのを助けてやったのは、どこの誰だと思ってるんだ。下層に行った、という情報は掴んでる。何としてでも、連れ戻してこい」

そう怒鳴りつけられ、一応の恩義にとりあえず下層に降りてきたものの、兵助を見つける気にはさらさらなれなかった。本気で捜そうものなら、何も俺じゃなくて、もっと最適な駒をあの父親は抱えているのだ、そいつらを使えばいい。そうじゃなく、俺に命じてきたのは、兵助の出奔を冗談としか考えてないからだろう。

(まぁ、帰ってこないと思うけどな)

覚悟を宿した兵助の面立ちに、そんなことを思いつつ、背後で俺を追尾している男たち(おそらく、どこかで俺と兵助が落ち合うと考え、その場を押さえようと彼の父親が雇ったのだろう)を、どうやって振り切ろうか、と考えながら歩き続ける。ごちゃごちゃと入り組んだ路地裏はとても薄暗く、太陽の光が入らないここでは、今が、昼なのか夜なのか分からなくなりそうだ。照らし出す電球の橙色は深い影を路面に刻む。足下がおぼつかないのは、きっと自分や追尾者といった上層の人間だけなのだろう。簡素なシャツとズボンを身に纏った幼子たちが、柔そうな金属製の階段を軽々と掛け降りていく。

(久しぶりに来たなぁ)

不規則に積み上がった部屋や路地から引っ込んでいる、間口が人一人がようやく通れるような隙間のような細い家もあれば、路地からえらく引っ込んだところに玄関口がある所もある。区画整理が全くなされていない下層は、大通りから一歩踏み込めば迷路のように入り組んでいて、目を回しそうだ。足繁く通っていた頃の記憶を頼りに、と思ったけれどなかなか後ろの追尾を振り切ることができない。

(とりあえず、市場とか人の多い所で撒くか)

思ったよりも優秀な男たちに痺れを切らして、俺は食材が立ち並ぶ屋台のある通りへと足を向けた。



***

(あぁ、ここだ。ここ)

曲がりくねった路地の最奥、錆び付いた鉄の扉が俺を待ち受けていた。念のため、と辺りを見回すが、朽ち果てた廃墟になど他に近づく影もなく、付けられている様子もなかった。そっと扉のノブに掛けようとした俺の指に、赤茶の錆がざらりと剥がれ落ちる。どうせ汚れるのだ、と、そのままノブを握り下ろし、手前へと引く。そんなに力を入れたつもりはなかったのに、ぎぃ、と耳障りな軋みを立てた。

(懐かしいなぁ)

ますます暗い屋内に俺は用意していた簡易式のランプの螺旋を回した。ぼわり、とランプを中心にして球状に広がった明かりに、それまで棲み着いていただろう闇が部屋の隅に逃げていくのが分かった。足を一歩踏み入れるだけでも、埃が舞う。ランプの光に白く舞うそれは、いつしか映像で見た、雪のようだと思った。けれど、実際は、違う。吸い込んだ塵が喉に絡みつくように落ちていき、俺は咳き込んだ。右手でランプを掲げ、左手は口を押えてできるだけ埃を吸い込まないようにして、家の奥へと歩を進める。

(あ、鉢屋)

一番、奥の部屋の扉を開け、ランプで照らし出す。ふ、とそこに鉢屋を見た。薄暗い中で、髪をガシガシと手で掻きむしりながら懸命に何かを計算している姿を。机もあるというのに夢中になると、そうやって床の上で紙面を広げ、元々猫背だった体をますます小さく丸めながらペンを走らせていた。

--------だがすぐに、その残像は消えた。

ぽっかりと、穴が開いたような暗闇が、そこに潜んでいる。当然、鉢屋はいない。5年、だ。もう、というべきなのか、まだ、というべきなのか。地球に降り立つ計画を立てて実行したのは。俺や鉢屋を除く他のメンバーにとって、この計画は社会への些細な抵抗だった。ここは、その時のアジトだった。



***

『人間が引き起こした環境破壊の爪痕は深く、今も尚ほとんどの区域で砂嵐に酸性雨、冠水などの様々な天災が起こり続けている。破壊に破壊し尽くされた地球には、僅かな保護地区を守るために今は誰も住んでいない』

そんな政府発表は公式な情報として幼いころから教え込まれる。だが、それはまやかしだ。上層部に住んでいる中の、ほんの一握りの奴らだけが、バカンスと称してこっそりと地球に降り立っていることを、俺は偶々入り込んだ裏の世界で知った。政府発表に踊らされている一般の人々を、その一部の奴らが影で馬鹿にしていることも。

(だから、思い立ったのだ。その一部しか行けない地球に俺たちが降り立ったなら、と)

最初は冗談だったのだ。地球まで降りたって、そんな上層部の更に頂点の奴らの鼻をあかしてやろう、という。冗談にもならない冗談だった。今思えば、そのまま権力に屈するのが嫌で斜に構えて物事を捉える、若者独特の病のような物だ。だが、当時の俺たちはその計画に夢中になった。ランイングハイってやつだろうか。頭が真っ白で、何も考えれず、ただただ自分たちの机上の計画に陶酔していた。

(けど、鉢屋が入ってきてから、何もかもが一変した)

設計図から機械の計算から組み立てまで、中等教育までで終わらすには惜しいほどの頭脳と力を持ち合わせていた鉢屋の加入によって、計画は真実味を帯びていった。とんとん拍子に物事が進んでいく中で、ますます俺たちは自分たちの計画に酔いしれていった。俺たちは夢心地のまま資金繰りに奔走し、材料を集め、計算し、組み立て……夢心地のまま日々を過ごした。別に失敗に終わっても、楽しかったな、と終われるような気がしていた。だから俺たちと鉢屋は決定的に、違ったのだ。-----奴にとって、地球に降り立つ計画は夢物語ではなく、あくまでも現実のものだったのだ。そんな鉢屋と接するうちに、触発され、やがて俺たちの意識も変わってきていた。

--------------何があっても、この計画を成功させたい、と。



***

地球に降り立つ計画は完璧に段取りを終えた。だが、その先は、不透明だった。地球に降り立つためには、宇宙空間に出る必要がある。だが、一般人が簡単に出れるはずもない。窓ガラス一枚で隔たれてすぐ傍にあるように思える真空の世界だが、そこに出るには特殊な手続きが必要だ。宇宙へと繋がる扉の箇所は限られていて、厳重なセキュリティーチェックが科せられている。こればかりは金を積んで許可が下りる物でもないし、仮に許可が出たとしても、実施は政府の監視の下となるだろう。それじゃぁ、意味がない。残された可能性は、窓ふきの連中が使う扉、だった。

(だとすると、鉢屋に頼む以外にないよな)

地球から3万5千メートル。普段は静けさを保っているように思える空間には、様々な宇宙塵が漂っている。いや、漂っているなんて生易しい物じゃない。もの凄い勢いで飛来し、ぶつかり、割れてはまた増えていく。そんな塵が建物の周りに溜まっていくのだ。そのまま放置しておけば、本来は宇宙も地球も見えるように、と透明な窓はすっかり塵で覆い尽くされ、陽の光が差さないまでなってしまう。そこで、上層の人間は考えた。下層に住む人に窓ふきという職をくれてやろうと。この計画のメンバーの中で唯一の下層の人間、鉢屋は奇跡にも、窓ふきを生業にしていた。

「分かった」

鉢屋は俺たちとは違い下層の人間だ、実行中に政府に見つかれば死罰もあり得る。仮に地球に降り立ったとして、その後、再びこっちに自力戻ってくるには技術的に難しい。こっちからの手助けがあれば確率は上がるが、もし、降り立った後に政府に知られたならば、追放と同等、確実に帰還できないだろう。だが、ヤツは怖じ気づくことなく、あっさりと首を縦に振った。

「いいの?」
「いいのかも何も、私以外に方法はないんだろう」

止めてもいいんだよ、と喉元まで出かかった言葉を俺は嚥下し、ひっそりと埋葬した。触れたら切れそうなほど、真っ直ぐな光を宿した鉢屋を見たら、そんなこと、口が裂けても言えなかった。反らされることのない眼差しで俺を捉えたまま「ただ」と鉢屋は零した。

「ただ?」
「二つだけ、条件がある」
「条件?」
「あぁ。雷蔵には絶対に巻き込まないこと。もし政府にバレたとして、私との関係で嫌疑を掛けられるかもしれないが、まぁ、雷蔵の人柄からして、それ以上、この組織と繋がってると考える奴はいない思う。実際、繋がりはないのだし。けれど、疑われたために窓ふきの仕事が続けられない、とかそんなことにだけは、ならないようにしてくれ。まず、これが第一だ」

ヤツが切々と訴える『雷蔵』という名は、それまでにも何度か聞いたことがあった。いつも怠そうにしてるか剣呑としている鉢屋の表情が、その時だけ和らぐのだ。とても穏やかで優しい笑みを浮かべ、その名を呼ぶ。会った事はないけれど、きっと、本当に大切なんだろう。

(あれは、いつだっただろう?)

仕事帰りに寄った、とふらりとアジトに顔を出した鉢屋は、いつしか機械の設計に夢中になっていて、気がつけば夜も更ける頃合いになっていた。は、っと製図から顔を上げたヤツは時計を見るなり慌てて、手近に散らばっていた荷物をショルダーを詰めだした。

「鉢屋、もう遅いし、泊っていけば?」

俺がそう提案したのには訳がある。元々、薄暗い場所とはいえ、夜になれば人工灯は消され、一気に深い闇へと落とされる。上層の人間が善人ばかりだとは言い難いが、下層には凶悪犯罪を引き起こす輩も多い。単純に政府が治安に裂く人数は上層ばかりで、下層の人間を取り締まるのは、それこそ危険思想だの反政府組織だの上層部に危険がある時だけだからだ。下層同士の犯罪については、実際の所、ないがしろにされているのだ。だから、夜も深まったこの時間帯に外を歩くのは賢明とは言えない。だが、鉢屋が荷造りする手を止めることはなかった。

「今日、泊ると連絡してないんだ」
「別に女の子じゃないんだからさ、家に連絡しなくても無断外泊くらい」

いいじゃないか、という言葉は三郎の穏やかな笑みに封じ込まれた。

「家で、雷蔵が私の帰りを待ってるからな」

何があっても雷蔵の元に帰るよ、とそう豪語していた。実際、どんなに遅くなっても、鉢屋はアジトに泊ることはせず、必ず、家へと帰っていった。なのに、鉢屋は選ぼうとしている。そんな『雷蔵』の元にも還れなくなるかもしれない、その道を。地球に降り立つために。

(何が、そんなにもヤツを突き動かしているんだろう?)

その疑問が俺の頭を占める。けれど、尋ねたところで答えてもらえないような気がして、

「……分かった、『雷蔵』の安全は保証しよう。もう一つは?」

鉢屋は、その時になって初めて俺から、すい、と目を反らした。しばらく唇を切り結び、視線を影に彷徨わせた。迷っている様子の鉢屋を俺は待った。いくつ呼吸を重ねただろうか、ぼそり、といつもよりも低く掠れた声が沈黙を打ち破った。

「雷蔵に、窓ふきの依頼をしてほしいんだ」

全くといっていいほど想像外な頼みに、俺は「窓ふき? どういうことだ?」と素っ頓狂な声を上げた。だがヤツは取り立て気にする素振りもなく「年に一回でいい。勘右衛門、お前の名前で窓ふきを依頼して欲しいんだ」と懇願の眼差しを向けた。

「いいけどさ。何で窓ふき? それに、どこの窓? どうして、また俺の名前で?」

分からないことだらけで、頭に浮かんだ問いを俺はそのまま並べ立てた。

「下層の、私たちの、雷蔵が棲んでいるの家の辺りの窓一帯を」
「家の辺りの窓を?」

まだ鉢屋の意図することが分からず、質問を重ねる。ヤツは重たそうにゆっくりと、そして小さく首を立て振った。うつむき加減に「あぁ」と頷き、それから、再び口を閉ざした。今度は迷っている訳ではないようだった。ただ、言葉にするのを躊躇っているようだった。やがて、伏せた視線を上げた鉢屋は、顔を今にも泣き出しそうな程にくしゃりと歪め、願い出た。

「もし地球から還って来れなかったら、雷蔵から私の棲む地球が見えるように」



***

計画は、結局、三郎が地球に降り立った後にバレた。下層の人間が政府と対抗するほどの技術力を持っていたことに戦々恐々した政府幹部によって、大々的な反政府組織の弾圧が行われた。俺は元々あった家の権威と懇意にしていた兵助の父親に口添えによって罪に問われることはなかった。だが、三郎は、当初の想像通り、追放された。いや、抹消された、という方が正しいのかも知れない。記録からはもちろん、『鉢屋三郎』の名前を出せば、それだけで犯罪者扱いされるのだ。当然、口にする人はおらず、世間を揺るがした事件はすぐに風化せざるを得なかったのだ。それから5年近く。俺は未だに聞くことができずにいる。

------------ヤツが還れないという道を選んでまで、どうして地球に降り立とうとしたのか。



***

(そういえば、この辺りが三郎の家だったか)

感傷と別れを告げてアジトを出た俺はふらふらと仄暗い路地をほっつき歩いた。ほぼ同一の扉が並ぶ上層とは違い、似たような、それでいて全く違うような軒並みが連なる。やがて何となく見覚えのある景色に遭遇し、記憶を辿れば、どうやら自然とヤツの家の端まで来ていたらしい。窓に面しているヤツの家に、一度だけ、図面の引き渡しに近くまで寄ったことがあるが、その時もヤツは決して『雷蔵』を俺たちには引き合わせようとはしなかった。今もこの家にに『雷蔵』は独りでいるんだろうか、と、ぐるりとその家を見渡して、表札に目が留った。

『鉢屋三郎・不破雷蔵』

抹消された彼の名が、当たり前のようにそこに刻まれていた。寄り添うように並ぶ、二人の名前。

(『雷蔵』ならば、知っているだろうか)

ヤツが還れないという道を選んでまで、どうして地球に降り立とうとしたのか。直接三郎に聞くことはできないけれど、俺はどうしても知りたかった。今にも朽ちそうな古い家屋にある呼び鈴を押そうとして、ふ、と思い出した。今頃は、俺を介して鉢屋が依頼した窓ふきをしているのだと。視線を呼び鈴から引き戻して、

---------あぁ。青、だ。

窓の向こうには鉢屋がいる地球が見えた。そして、その大きな青に佇む白。あれが『雷蔵』だろうか。

(ねぇ、鉢屋。お前のいる所から、『雷蔵』の姿は見えるの?)



僕らの信号は途絶えない


title by カカリア


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