愛してる。--------------だから、共に生きよう。



L o v e s i c k n e s s
〜恋をすると、死んでしまう〜


「……絶対に、死ぬの、か?」

出会った時の事、告白、初めて重ねた掌、優しい唇、温かな夜。砂嵐のように、ハチとの思い出が、愛しい日々が過ぎ去って-------残されたのは、塵のような、掌から零れ落ちてしまいそうなほどの小さな希望。縋りつくにはあまりに頼りない、今にも消えそうな光。

「十中八九な」
「じゃぁ、俺は残りの一ニを信じる」

本当は、信じてなかった。信じたくて、でも、信じてなかった。心のどこかで、「ハチは死ぬ」そう感じていたから。ハチがこんなタチの悪い冗談を口にするはずがない、そう知っているから、きっとこれは偽りでも何でもなく本当のことなんだろう、と。けど、それでも、零でないならば、僅かな可能性に掛けたかった。自分が信じなければ、先に、進めない。口を噤んで俺をじっと見つめているハチに捲し立てる。

「ハチの病気がどんなのかは分からないけど、けど、1パーセントでも生きる可能性があるのなら、それに掛けたい。ハチの代わりに死ぬことはできないし、全ての辛さを分かることはできないかもしれない。けど、俺は、ハチの支えになりたい。お前の辛さを分かち合いたいんだ」

叫びが喉を嗄らす。ぐ、とハチの喉仏が引きつった。額に落ち込んだきつい皺がさらに深まり、眉頭が歪んだ。ハチの全身が慟哭に揺れていた。今にも泣き出しそうになっているのを、なんとか堪えてるのだろう。荒く吐き出された息に滲む悲痛。

「もっと辛い思いをさせるんだぞ。きっと傷つくだけだ」

あぁ、と俺は理解した。ハチが俺を遠ざけようとしていた理由を。彼が抱えていた一番の苦しみを。

(馬鹿だよ、ハチ)

優しいハチのことだ。きっと、考えたのだろう。自分が死んだ後の俺の事を。その時、どれだけ俺が哀しい思いをするのか、俺がどれだけ傷つくのか、と。だから、自ら身を引いて、俺がハチの事を嫌いになるように、憎むように仕向けたのだろう。

(なぁ、ハチ。お前は勘違いしているよ)

「構わない。傷つくのも、苦しむのも怖くないよ。ハチと離れる方が、ずっと辛い」

本当は、まだ、怖い。傷つくのが、苦しむのが。別れよう、と言われて。でも、ハチのことを、忘れれなくて。ハチの傍から離れることで、たくさん傷ついて苦しんだ。だから、本当は、もう、苦しみたくなんかない。辛い思いなんて、したくない。傷つきたくない。

--------------けど、どうせ傷つき苦しむのなら、ハチの傍にいることで傷つき苦しむ方が、いい。

「ハチと一緒にいたい。一緒に倖せになりたい。ハチといることが、俺の一番の倖せなんだ」

(なぁ、ハチ。愛してる。だから、共に生きよう)



***

「おまたせ」

そわそわと歩き回っている雷蔵。腕組みをして遠くを睨みつけている三郎。ぎゅ、っと握った拳を見つめている勘ちゃん。さっきタクシーを降りた辺りには、そんな三人がいた。三人がいてくれてよかった、と心から思いながら声を掛けると、すごい勢いで皆が振り返った。いつもならいるはずの俺の隣に視線が向けられ、俺も、ついそこを見遣ってしまった。

--------ぽっかりと、空いてしまった空間に思い知る。もう、ハチは戻らないのだ、と。

互いの顔を見遣った三人を代表して三郎が「あいつは」ってそれだけを訊ねてきた。俺は、小さく首を振った。くしゃりと雷蔵が顔を歪め、勘ちゃんは握り込んだ拳を緩めながら「そう……」と脱力したかのように呟いた。佇む哀しみが痛いほど伝わってきて、それと同時に、俺の胸には三人への感謝の気持ちでいっぱいだった。

「ありがとうな」
「兵助……」
「大丈夫だから。俺、ここに来たこと、後悔してない」

驚きの色が三人の瞳で揺れていた。けど、心底そう感じている。ここに来て、直接ハチと話すことができて、きちんと自分の想いを告げることができて、本当によかった、と。

「結局、結果は何も変わらなかったのかもしれない。けど、ここに来なかったら、絶対、後悔していた。何も知らないまま、ハチの事を恨んで、憎んで、嫌いになっていたと思う」

もしあのままハチと別れてしまったら、きっと、ハチの優しさに気付かずにいた。俺を傷つけまいと、別れを切り出したことに。冷たい言葉で切り離して、俺に自分の事を恨んで憎ませて---------そうして、次に踏み出していけるように。俺が生きていけるように。

(……本当に、馬鹿だよなぁ)

その選択をした時、どれだけハチは傷ついたのだろう。どれだけもがき苦しんだのだろう。きっと、別れを告げられた俺以上に辛かったに違いない。しかも、もう長くない、と知らされた後の事だ。近いうちに死ぬかもしれない、なんて想像することもできないほどの苦しみだろう。それなのに、自分の事を後回しにして、俺の事を考えてくれたのだ。

(これ以上の愛を、俺は知らない)

「けど伝えたいことは、全部伝えられたから……本当に、ありがとうな」

行こう、と立ち止っている三人を促し、俺はその場を後にした。

------------そう、伝えたいことは、全部伝えた。その先を決めたのはハチだった。



***

出席の事で学校に呼ばれている、という俺に三人は気を使って学校まで付いてきてくれた。復帰の挨拶を告げれた教師から説教をもらい、ようやく解放されて、俺は昇降口から外へと向かう。冬独特の乾いた匂いを孕んだ北風が、マフラーの隙間から入りこんできた。それでも、あっちで感じた冷たさとは、全然違う。拒絶された冷たさじゃ、ない。

(帰ってきたんだ)

ハチと過ごした場所は愛しさに溢れていて、そっと、隣の空間を見下ろす。

(いつか、来るんだろうか)

指先が掴む淋しさを忘れる日が、ハチへの想いを叫ぶ心がなくなる日が、ハチとのことを過去にすることができる日が。ハチ以外の誰かを好きになって、愛して、倖せになる日が。ハチが俺に望んだ、そんな未来が来ることがあるのだろうか。-----------いや、絶対にない。

「っ、はちぃ」

想いは全部伝えた。けど、ハチは選んだのだ。ここには戻らない、と。頭ではそう分かっているのに、胸の悲痛が、ぎゅ、っと絞られて嗚咽に代わる。灼きつくような熱が瞼を刻む。どんどんと曇っていく視界を抑える術はなくて。目の前にある景色を瓦解していく涙が頬を滴る。三人を待たしているのだから泣きやんで早くいかないと、という思いとは裏腹に、溢れていくハチへの想い。

(なぁ、ハチ。俺はお前としか倖せになれないんだよ)





と、校門の方がざわめきに包まれてるのに気付いた。

「何だ皆しているとか? 出迎えとか? だとしたら、すっげぇ感激なんだけど」
「な…ハチ!?」
「おー雷蔵」
「おーって、僕たちがどれだけ心配したか分かってる?」
「悪い…って、三郎、泣いてる?」
「あほ、誰がお前のために泣くか……この馬鹿ハチ。勘右衛門も何か言ってやれ」
「殴ったこと、謝らないからな。……だから、早く兵助に、会ってこい」

ついこないだまで、当たり前だった日常が、そこにあった。けど、それは、奇跡よりも遠い存在になってしまって。夢だろうか? 幻だろうか? そう思ってしまう。じゃれあっていた三人の向こうで、ひょい、と顔を覗かせた彼は俺に気付いた。幻影を見ているかの気持ちで、一歩、また一歩と近づいてくるハチを見つめる。

「ハチ……うそ……」
「兵助」
「ど、……して?」
「たくさん傷つけて、苦しめて、こんなこと言うなんて、今さらかもしれねぇけど、どうしても伝えたいことがあったから」
「伝えたい、こと?」

未だ混乱する頭の中で、俺にはハチの言葉をそのまま返すことしかできなかった。あぁ、と頷いたハチの目をうっすらと涙が覆っていた。

「正直、俺といても兵助は倖せになれないんじゃないか、って今でも思う。きっと、めちゃくちゃ兵助を傷つけて、これからも苦しめるかもしれない。どれだけ兵助に辛い思いをさせるのか、分からねぇ。そんなに遠くない未来、俺は死ぬだろうから。けど、それまで兵助と一緒にいたい」

愛しさに、世界が濡れていた。

「だから、もし、兵助が赦してくれるならさ、共に生きたい。愛してる、から」

俺は飛び込んでいた。確かな温もりが、胸に伝う。夢でも幻でも、ない。そこに、ハチがいた。それだけで、もう十分だった。ハチが帰ってきた。ハチがいる。ただそれだけで。ぎゅ、っと彼を抱きしめれば、そっと、背中に回されたハチの指先が小さく震えていた。

「おかえり、ハチ」

そう告げながら顔を上げれば、そこには愛しいハチの笑顔。

「……ただいま、兵助」

これからも、辛いことがあるかもしれない。もっと傷つくことも、苦しむこともあるかもしれない。それでも、ハチとなら乗り越えていける。ハチと一緒にいることができるのが、俺にとっての倖せなのだから。愛してる。これまでも、これからも。ずっとずっと愛してる。

-------だから、いつか永遠の別れが来るその日まで一緒にいよう。ずっとずっと共に生きよう。



 


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