夜がまだ残っていて、それが透けて見えるような紫陽花の色合いを宿した朝だった。硬い冷たさがゆっくりと解けていくグラデーションの空が広がっている。朝一の駅舎を出る時から灯っている蛍光灯はまだ消えることがなく、始発電車のガラス窓には眠たげな顔がいくつも映っていた。

(あ、よかった。今日は乗ってる)

ここ二日ばかし見てなかった初老のサラリーマンを車両の端に見とめ、俺はほっと息をついた。毎日同じ時間に乗っていると、たいていの人とは顔見知りとなっていて。会話も会釈もないけれど、いつも座っている顔がないとどうしたんだろう、と心配するぐらいの、それくらいの繋がりがこの空間にあると思う。ゆるい、けど、確かな繋がりが。たとえば、時々、朝帰りの酔っ払いがその空気を乱すこともあって、そういう奴が乗ってくると、皆、不快そうに顔を顰めた。もちろん、その酒臭さとかが迷惑なのもあるけれど、この、ゆったりとした時間を壊されるのが嫌なんだろう、となんとなくそう思ってる。もちろん、俺もそういう普段と違う『闖入者』がいるのは苦痛に思う方だった。

(まぁ、今日は、幸いなことに変わりのない『いつも』の朝だけど)

穏やかに進んでいく電車に、俺は安心して鞄からカバーをかけた文庫本を取り出した。

***

規則正しいリズムを伴って走る電車がが、ゆっくり、ゆっくりとスピードを落としていく。『後から参ります急行の方が先に到着します』というアナウンスが聞こえ、昨日買ったばかりの文庫本から視線を上げると、電車は普段と何ひとつ変わらないホームへとゆるやかに滑りこむ所だった。ターミナルとしての機能を持つこの大きな駅で乗り換えをするためだろうか、俺の周りでも降り支度をしている姿がちらほら見かける。

(大変だな)

俺の通う高校は急行も止まるのだけど、なんとなく、こののんびりした雰囲気が好きで、いつも鈍行ばかりだけど。少し疲れた眼を休めようと、きりのいいところに栞を挟んで文庫本を閉じる。到着のアナウンスが繰り返されて、空気が抜けるような音と共に扉が開き、湿った朝の匂いが車内に入り込んできた。

「あ、」

ふ、と安定した『いつも』の世界に闖入者が現れた。隣のクラスだからそんなに話したことのない、けれど、有名人の竹谷だった。こんな時、どうすればいいのか分からなくて、そのまま本を読んでればよかったなぁと、少しだけ後悔する。向こうは俺のことを知らないかもしれないけれど声を出してしまった以上、なんらかのアクションを起こさなければと思った瞬間、

「はよ、久々知」

と、眠たげな声が降りてきた。

「…あ、…おはよう、竹谷」

急に声をかけられてびっくりしたままの俺の隣に、彼は静かに腰を降ろした。上の方から『扉閉まります。ご注意ください』とのんびりとした声が聞こえ、笛の音と共に外の空気が押し込められる。それから小さな軋みを立てて、一瞬進行方向とは逆らうように後ろに下がった感覚を押し出しながら、電車は動き出した。

「早いんだな、久々知。部活? いつも、この時間?」
「あぁ。部活の朝練、だいたい毎日あるから」
「ふーん。大変だな」

それっきり、会話が途切れて、電車が枕木を越えていく音だけが聞こえる。たたん、たたん。一定のリズムで静けさにはまりこんでしまった音は、そのまま、空気へと同化していって、やがて気にならなくなってしまう。残された沈黙は、なぜか、嫌じゃなかった。むしろ、心地よいものだった。そっと、隣にいる竹谷を忍び見る。

(何でだろう?)

闖入者であるはずの竹谷はその景色に収まっていた。あたかも以前からそこにいたかのように、当たり前のように、自然と。それで俺は安心して、文庫本を持ち直すと、栞の挟んだページを繰ることにした。俺と彼との間にある半人分のスペースすら、『いつも』のことのように思えた。


いつも同じMonday



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