Scene 1

「雷蔵?」
「ん、こぶしか、それとも、白木蓮か、どっちの花かなと思って」

冬の残滓が滞っている鈍色の空に、ぱっと、目を引く白。
彩度の低い世界に、そこだけが光が当たっているような気がする。
どちらも春を連れてくるそれらは、ぱっと見で判断するのは難しいだろう。

「ここに、葉があるだろ」

白に埋もれかけた、僅かな若緑を指さすと、雷蔵は「うん」と頷いた。

「花と一緒に葉があるのが、こぶし。ないのが木蓮」
「へぇ。そうなんだ、初めて知った」

確かめるように雷蔵は樹へと近づくと、包み込むように花に触れた。
掴んでしまえば溶け消えてしまう雪を掬う時のように、そっと。
壊してしまうことを恐れるかのように、そっと。

「他にも色々見分け方があるけどな」

曇り一つない無垢な白が、枝を覆い尽くすように咲き誇っている。
下を向いて開ききった花弁は、まるで幼児の掌のように小さく柔らかだ。
もう少し後に咲く木蓮を頭に浮かべながら、すぐそこにあるこぶしを見つめる。

「そんなに違いってあるんだ」
「まぁ、一応違う花だからな」
「さすがハチ。そっか、似ているけど、違うんだね」

春風がそよぐように微笑んだ雷蔵は、それから「まるで、僕と三郎みたい」と呟いた。
おそらくは何の他意もない言葉なのだろう。
会話の続きで発された呟きだろう。

なのに、心臓が、締め付けられるようにキリキリと痛い。

------------------ 雷蔵は、何を俺に望んでいるんだ?

「……急ごう。じき、雨が降り出す」
「うん」

答えは出ず、鼻孔を過っていく土の匂いが段々と増してくるのを感じて、ただ、そう言った。
西の空を見遣ると、墨を練り込んだような暗澹とした雲が風に流されて、すごい速さで近づいてきている。
俺は巡る思考を閉め切るように目を閉じると、垂れこめてくる気圧の重みに、ぴりり、と頬が痺れるのが分かった。



Scene 2

季節はずれの銀世界。
春の嵐が過ぎ去った後に残された世界は、白。
起きがけの自分には眩く映って、なんとなく、目を瞬かせた。

「何だ、これ」
「……三郎か。おはよう」

先に部屋から出ていた兵助は、呆然と一面に広がった雪景色---ならぬ花景色を見つめていた。

「花びら、か?」
「昨日の風雨で、散っちゃったみたいだな」

嵐の音が、まだ、耳の底に残っているような気がする。
渦のようにこだまし続けるそれのせいで、昨晩はあまりよく寝れなかった。
頼りない小舟に乗って、大海原の海流に飲み込まれてしまう夢を見たような気がした。

「何の花だ?」

廊下まで吹き込んできた花びらを、ひとつ、拾う。
白い花びらについたままだった露が、浮遊する朝の光を集めて。
その小さな珠の中で乱反射する煌めきは、眩く、そして清らかだった。

「こぶしか白木蓮だろうけど。どっちだろうな?」

僅かに黄味がかった白色の、柔らかく、けれどもしっとりとした厚さのある花びらからそう検討を付け、呟く。
ハチならともかく、兵助が知っているとは思わなかったから、なんとなく小声になった。
けれど、予想外にも、兵助は「あぁ」としたり顔を私に向けた。

「たしか、花と葉が一緒にあるのが、こぶし。ないのが木蓮」
「へぇ、」

“生き物馬鹿”のハチじゃなく兵助からそんなことを知ると思わなくて、感嘆する。
それが伝わったのだろう、真面目な兵助は「雷蔵経由ハチ発」と伝えてきた。
やっぱりか、と思いながら、兵助に尋ねる。

「で、これはどっちなんだ?」
「さぁ? 木についている時の見分け方しか聞かなかったからな」
「散っちゃえば分からない、ってか」

言った後で、喉を縛られたような、息が締め付けられたような、苦しさに支配された。
自分で茶化して言った言葉なのに、酷く哀しいことのように思えてきた。
散り果てた花びらが、自分と重なるような気がして。

「そうだな。ハチなら分かるかもしれないけど」
「あー。ハチは兵助と違って、生き物に詳しいからな」

重苦しさを吹き飛ばすように、兵助の言葉をまぜっかえすと、彼は真顔を向けた。
瞬き一つない大きな眼は黒曜石のように美しく、そして完全だった。
そこには、迷いなど微塵もなかった。

「けど、俺は三郎と雷蔵を見分けれるぞ」

不意に俺の手を離れた花びらは、くるりくるりと回りながら、落ちていった。



Scene 3

耳を嵐に支配された。
抗うことを赦さないほどに激しく全てを打ちのめしていく風雨は、激しく長屋を揺らした。
その名残からか、ずっと脳幹を揺れ続けていてるような感覚で、未だに腹の底から船酔いに似た嫌悪感が這い上ってくる。

だからか、冥い夢の残り香が纏わりついて、離れない。

「三郎」
「あぁ、雷蔵。……顔色、悪いな」

そっと、僕を確かめるように触れる三郎の手は、温かった。
くっきりとした双眸に映り込む僕は弱々しく佇んでいるのが自分でも分かる。
きゅ、っと心配そうに三郎の表情が引き締まったのを見て、慌てて口角を上げて微笑む。

「大丈夫」
「そうか?」
「大丈夫。昨日の嵐に酔っちゃっただけ」

何か言いたげな三郎に、「これじゃ陸酔いだね」と笑って押し通す。
まだ納得してない様子だったけれど、強引な僕に諦めたのか、三郎の手が離れた。
するり、とそこに冷たさが落ち込んで、今更ながら三郎の温かさが身に染み入ってくる。

(三郎と離れる日なんて、いつか来る未来なのに、ね)

「にしても、随分散っちゃったね。ドロドロになった雪みたい」
「あぁ、斑雪みたいだな」

昨日まで白絹のように柔らかく咲き誇っていた姿は、もう、どこにもなくて。
嵐に蹂躙され泥にまみれて、そのまま朽ち果てて行くのだろう。
誰にも看取られることなく土へと還るのだろう。

それは、幸せなことなのだろうか。

大切な人に知られることなく、独りで。
それは、死そのものよりも昏く淋しいことのように思えて。
けれど、大切な人を哀しませないという意味では、とても幸福なことのような気もした。

「雷蔵?」

怪訝そうな三郎に、深淵にするりと落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせるようにして笑みを浮かべる。

「雪って言っても、雪合戦はできないけどね」
「確かに、これじゃ、泥合戦だな。……なんか、去年もそんなこと言ってなかったか?」
「そうだっけ?」
「あぁ」
「言われてみると、そんな気もするけど」

三郎は落ちていた花びらを拾い、袖の袂で泥を拭った。

「きっと、次の春も、その次の春も同じことを言ってるんだろうな」



Scene 4

「あれ、三郎と雷蔵は?」
「あっち」

すっ、と伸ばされたハチの指の向こうは、いつもと変わらぬ光景。
何を話しているのかは分からないけれど、後ろ姿の雷蔵の肩は小さく揺れていて。
きっと笑ってるのだろう、そんな雷蔵を見ている三郎は、力が抜けきったような穏やかな表情だった。

まるで一枚の絵を見ているようだった。

(世界が閉じられているような、二人で完結してしまってるかのような、誰も入れない絵だ)

「にしても、見事に散ったな」

ハチの言葉に、改めて足もとを見下ろす。
掌の半分はあろうかという花びらに地面は埋め尽くされていた。
まだ若い、緑がかった固そうな蕾までが、手折られて転がっていた。

「なんか、もったいないな」
「昨日みたいな嵐は久しぶりだったからな。
 まぁ、もっても、あと数日ってところだったろうけど」

そう言うと、ハチは三郎がさっきしたのと同じように、腰を曲げながら一片だけ拾った。
何か痛みに耐えるように、苦しそうな表情で、じっ、と視線を花びらに注いで。
それから、吐きだすように「なぁ、兵助」と俺の名を呼んだ。

「どうした?」

俺が問いかけると、ハチは目で「うん」と軽く頷いて。
けれど、自分から話しかけたというのに、何か躊躇う素振りを見せた。
春の陽気に不釣り合いなほの昏いハチの眼は、俺の足元の辺りをなぞっている。

「ハチ?」
「昨日、雷蔵がさ、こぶしと木蓮は自分たちに似てる、なんて言ったんだよ」
「自分たちって、三郎と雷蔵のこと?」
「おそらくは」

ハチのその時の心情が手に取るように、嫌というほど分かった。
二人は確かに俺たちを受け入れてくれていたし、揺るぎない絆で結ばれていると思う。
けれど、こうやって、二人だけで完結してしまう世界を見せつけられると、心の臓がざわざわと傷んだ。

雷蔵と三郎が秘密裡な共犯者ならば、俺とハチは同じ痛みを分かち合う同士だった。

「ハチ」
「ん?」
「俺はさ、時々、思うんだよ」
「何を?」
「あいつら、どちらか欠けたら、残された方はどうなるのかって」

俺を見遣るハチは泣きそうな顔をしていて、きっと、俺も同じ顔をしていたんだと思う。
今までも、俺とハチは、こうやって痛みを共にしてきた。
きっと、これからも。

(くしゃり、と俺の頭を撫でるハチの手は温かった。)




title by 酸性キャンディー


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