「ふぅぅ」

肩まで風呂につかると、ため息が自然と漏れた。
ぼんやりと顔を包む靄の柔らかな温かさが心地よい。
辺りに誰もいないと思うと、つい、ゆっくりと手足を伸ばしたくなる。

「あー気持ちいいなぁ」

掌で湯を掬うと、ゆらゆらと、波紋が広がって。
すっかり天井に溜まった水滴が、ぴちゃん、と頬に落ちてきた。
少し温くなってしまうとはいえ、人の入りが少ないこの時間帯が一番落ち着く。

(やっぱり、お風呂は、考え事をするのにもいいよな)

それに、今日みたいに底冷えのする日は、お風呂に入って温めるのが一番だと思う。

「雷蔵」

呼ばれると同時に、脱衣所につながる扉が開けられた。
寝巻きに着替えた三郎の肩からは、ほこほこと、湯気が上がっている。
いつもなら、ぴん、と張った三郎の声が、水蒸気のせいかやんわりと反響する。

「何、三郎?」
「先に部屋に戻ってるぞ」
「分かった。僕は、もうちょっと浸かってくよ」
「いいけど、考え事をしすぎて、そのまま風呂で寝るなよ」

昔のことを掘り返して、三郎は冗談めかして笑った。
「子どもじゃないんだから」という僕の反論は、さっと閉められた扉に遮られる。
届かない文句に、もう、と口の中でため息を押しこめると、手で湯を汲んで顔を洗う。

(いつまで、からかわれるんだろうなぁ。随分昔のことなのに)

色々と考え込んでしまうのは昔からの性分で。
特に、お風呂の中となると、どれだけでも考え事ができてしまう。
一度、三郎があまりの遅さに心配してのぞきに来たら、僕は湯船に浸かったまま眠りこけていたらしい。

それ以来、僕が「もうちょっと入ってる」と言うと、三郎は必ず「寝るなよ」と言い含めて出てくのだった。



***

「雷蔵? 入るぞ」

心配そうなハチの声音と共に、そろそろと扉が開けられた。
そのとたん、中に籠っていた靄がもうもうと戸外へ飛び出していく。
それを手で追い払うようにして洗い場に入ってきたハチは、僕の顔を見ると、

「あぁ、起きてたな」

と安堵したように、表情を緩めて言った。

「ハチまで…」
「いやさぁ、あんまり静かだったもんだからさ」
「そんな心配しなくても、ちゃんと起きてるから。
 ところで、どうしたの? もう風呂に入ったんじゃなかったっけ?」

さっき、脱衣所から入れ違いに出ていったのを思い出して訊ねる。
するとハチは「これに湯を入れにきた」と、腕に抱えた物を僕の方に突き出した。
時間をかけて水飴を煮込んだような、どっしりとした茶色の丸っこい陶器製のそれに合点がいく。

「あぁ、湯たんぽか」
「食堂の方は火が落ちててな。お湯を沸かすのが面倒だからもらいに来たんだ」

そう言うと、ハチは濡れないように寝巻きの裾をたくし上げて、膝の間に挟み込みながら、屈んだ。
彼が陶器の器を湯船に入れると、こぽこぽと、底の方から泡が浮かび上がる。
最初は大きかったそれは、だんだんと小さくなり、やがて途切れた。

「悪い、邪魔したな」
「ううん」

首にかけていた手拭いで湯たんぽの表面を拭きながら、ハチは僕の方をじっと眺めた。

「何?」
「相変わらず、雷蔵は長風呂だなぁ、と思って」
「そう?」
「俺なんか5分も入ってられないってのに」
「ハチは行水すぎるよ」
「そうか? 兵助や三郎だって似たようなものだろ。あ、そうだ」

湯たんぽを抱えて立ち上がったハチが、ふと、思い出したように声を上げた。
僕が目だけで「何?」と問うと、どことなく笑いを忍ばせた表情でハチは僕を見た。
中々、言いださずにニヤニヤと笑っているハチに少し苛立って、今度は「何?」と言葉にする。

「外で三郎が待ってたぜ」
「え? だって、先に部屋に戻るって、」
「ありゃ、ずっと待ってたって感じだな」

そう言うと、呆けた僕を残してハチは「じゃぁ、お先」と出ていった。



***

「どうしたの、三郎っ」

濡れた髪を拭くのもそこそこに、僕が脱衣所から飛び出すと、柱の陰に一つの影。
その三郎の背中が、へくしゅっ、とくしゃみに大きく揺れるのが分かった。
けど、鼻をすすりながらも「何が?」と平然としていて。

「何がって、」
「雷蔵が部屋に戻ってこないから、心配になって、今、見に来たんだ」
「うそ。ハチが」
「……ハチのやつ、言うなったのに」
「それに、こんなに冷たい」

三郎の手を取ると、凍ってしまった彼の指先を包み込む。

「いつも待ってるんじゃないよね?」
「まさか」
「じゃぁ、何で?」
「雷蔵と一緒に見たかったから」
「え」

ほら、と僕の手を解くと、三郎は宙を指さした。
凛と透き通った闇に、削り氷をまき散らしたような星。
割れてしまいそうな硬い天空で、ちかり、ちかり、と光が瞬き煌めく。

「わぁ、」
「外でたらさ、すごい星だったから」
「うん。すごいね」

まるで、そこだけが世界から取り残されているみたいに、僕たちは冴ゆる夜に佇んでいた。

「くしゅっ」
「うわっ、雷蔵、髪を拭いてないじゃないか。風邪をひくぞ」
「風邪を引くのは三郎のほうじゃない?」
「風邪を引いたら、雷蔵に看病してもらうさ」

三郎の言葉に、すっと冷えたはずの頬が、かっと熱くなるのが分かった。



title by 記憶された言葉


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