「はい、これでおしまい。お疲れ様」

食堂のおばちゃんの言葉に、ほっと心を弛め、洗い桶から手を引き上げる。

(食事当番は嫌じゃないけど、冬場は辛いなぁ)

水に長く浸していたからだろうか、白くふやけた指先は、自分のものではないようだ。
いつもより分厚く思える手は正常な感覚が失われている。
けれど、ただ一つだけ感じるものがあった。

鈍い、痛み。

水で血は流れてしまったせいで、深部の赤みが目立つ。
じゅくじゅくと、黄色く見える部分は膿んでいるのだろうか。
今でこそ柔らかい皮膚も時間が経てば、ごわごわとした鮫皮のよつな硬さに戻るだろう。
ひび割れが生まれては治りかけ、またその上から割れて…を繰り返し、妙にそこだけ皮膚が重なり盛り上がっていた。

「おやまぁ、今日の当番で皸(あかぎれ)ができちゃったかい?」
「あ、いえ、前からです」

心配そうな表情のおばちゃんに、慌てて答える。
おばちゃんみたいに水仕事をしていてできたわけじゃなかった。
どうしても授業中に習得できなくて、夜半に個人的に練習をしてできた切り傷などが凍風にさらされた結果だった。

「おや、そうかい。でも痛そうだねぇ。薬を付けておくと治りが早いよ」

じっと、覗き込まれる手を慌てて隠す。
自分の出来の悪さを見られたみたいで、なんとなく気まずくて。
「失礼します」と暇を告げると、返事も聞く前に食堂を飛び出した。

(三郎みたいに、もう少し要領よくできるといいんだけど)

授業時間内、というよりも先生の説明を聞いただけで出来た友人の顔が浮かんだ。



***

長屋の自室の戸をあけると、ふわり、とした温かさに包まれた。

「お帰り、雷蔵」
「ただいま」

これでもか、というくらいに着込んだ彼は、火鉢に手をかざしながら振り返った。
吹き込む風に「寒い」と文句を垂れる彼のために、ゆっくりと扉を閉めると、恨めしそうな目を向けた。
かじりつくように火鉢の前を占拠している姿は、飄々としている彼らしくない、と思う。

(三郎は本当に寒がりだなぁ)

覆うようにしていた火鉢から、体半分だけれども譲ってくれた彼の隣に腰を落ち着かせる。

「随分、遅かったな」
「うん。思ったより、洗い物が多くて」
「げっ、洗い物だったのか。ついてないなぁ」
「でも仕方ないよ。誰かがやらないと」
「雷蔵は偉いなぁ」

薄鼠色の炭はしっかりと熱せられ、底の方に柔らかな赤があった。
三郎が火箸で炭をつつくと、ちろり、と小さな炎が舐める。
傍にいるだけで、じんわりと染み入るような温かさだ。

「はぁ、やはり火鉢はいいなぁ」

心底幸せそうな表情を浮かべて、三郎は手を火鉢の上にかざした。
その隣に手を並べようとして。
気がついた。

-----------------その手の、醜さに。

「…どうしたんだ、雷蔵?」
「ん」

躊躇った僕に気が付いたのだろう、怪訝そうな表情を僕に向けた。
三郎には敵わないなぁ、と思いながら、彼と同じように手をかざす。
日焼けの跡がうっすらと残る程度で、他には傷一つない、彼のその手。

「三郎の手は綺麗だなぁ、と思って」

そう呟くと、彼の視線が僕の手に注がれるのが分かった。

「雷蔵とお揃いだな」
「え?」

意味が分からず三郎を見ると、三郎は少し照れたように「努力している手だ」と柔らかい笑みを浮かべた。

「努力?」
「ほら女の人に扮するには手が美しくないとな。
 化粧で汚したり傷をつけるのは簡単だけど、その逆は難しいだろ」
「うん」
「だから私は努力してるんだよ。だから雷蔵も恥じることはないさ。それは雷蔵の努力の証なんだから」

その言葉に、ほっこりと、温かいものが僕の胸に宿るのが分かった。

「ありがとう、三郎」

(僕は僕で、三郎は三郎で。だからこそ、一緒にいたいと思える)




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