※過去・家族環境に捏造色が濃いです。


柔らかな温かさに、あくびを一つ。部屋にいても差しこむ光の明るさを感じる。うららかな午後はのどかで、少々退屈じゃった。何か面白いことでもないかのぉ、と、思っていると、自然と隠された足音が廊下を滑ってくるのが伝わってきた。書物から顔をあげるのと、障子越しに声を掛けられたのは同時じゃった。

「学園長」
「その声は雷蔵じゃな。入ってこい」
「失礼します。以前仰っていた新刊本が入庫したので、届けに来ました」

ゆったりとした所作で中に入ってきた彼を手招きする。わしの前に座ると、彼は一冊の草子を、そっと労わるような手つきで差し出した。真新しい墨の匂いに手垢一つない表紙、いの一番に持ってきてくれたのだと思うと、口元が綻ぶ。

「おぉ、これじゃこれじゃ」

わしの喜びように微笑みを浮かべた雷蔵は立ち上がりかけた。じゃが、退屈しのぎに付き合ってもらおうと、本を読むのは後の楽しみにして本を手前に引き置き、代わりに彼の手元に湯飲みを送る。「飲んでいきなさい」と声をかけると、はぁ、と曖昧な言葉が返ってきた。しばらく、いつもの迷いグセに固まってきたが、何度か勧めると、ようやく飲みだした。お茶をすする音が、のんびりとした空気に溶けてゆく。

「どうじゃ、新学期に入って」
「えぇ、相変わらず楽しくやってます。あ、でもハチが」

そこまで言ってから、しまった、と口に出た言葉を憚るように顔をしかめて。それ以上言わまいと、口を噤んでしまい、押し黙った。じゃが、そうなれば、ますます、内容が気になる。

「竹谷が? なんと?」
「…勝手に言ってもいいものかと……」

彼が迷いの境地に突入する前にと、「よいよい」促すと、彼は意を決したように、ぎゅ、っと掌を握った。

「こんな人数が少なくなったのに、なんでクラス替えがないんだぁって、叫んでましたよ」

叫んでいる竹谷の姿が自然と脳裏に浮かび、思わず笑いが零れた。学年を上がるにつれ肉体的にも精神的にも厳しさを増す授業や演習。一人、二人と学園を去っていき、五年生ともなれば半分以下に減っていることも、珍しいことではない。

(残念ながら、命を落とす者も出てくる。だからこそ、)

「それは、できない相談じゃのぉ」
「なぜです?」
「たとえ、誰一人メンバーがいなくなったとしても、そのクラスは存在し続けるんじゃ」

わしの言葉を噛み締めるようにして「誰一人としていなくなっても」と彼は呟きを絞り出した。

「そうじゃ。担任は、6年間、一緒でなければならぬ。この道が向いているのか、向いてないのか、それを気付かせるのが担任の使命じゃからな」
「……あぁ、だから」

頑なに握られた手は、湯飲みをぎっちりと掴んでいた。重い吐息と共に、小さな呟きが彼の口から発せられた。そのまま自意識の深い所に潜り込んでしまったのか、茫洋とした瞳で。この冬の出来事のことを考えているのだろう、と彼の担任から聞いた顛末を思い出す。

(素質はある。能力もある。ただ、)

ちょいと、意地悪がしたくなって、「のぉ、雷蔵」と話しかけると、「なんです?」と、遠いところに向けられていた意識が色づき、戻ってきたのが分かった。

「おぬしと一番仲が良かったのは、三郎だったか?」

何がいいたいのだろうか、とこちらを伺うような眼差しで「そうですね」と相槌を打つ彼に、一つの問いを投げる。

「もしもの話じゃぞ。もし、おぬしと三郎が船に乗っていて、その船が難破したとしよう」
「はぁ、唐突なたとえ話ですね」
「まぁ、最後まで聞きなさい。助けの船がやってきたんじゃ。じゃが、乗れるのは、一人だけじゃ。雷蔵、お主なら、どうする?」

いつもの迷い癖がでるじゃろう、と時間が掛かることを想定して。少なくなった湯のみに茶を足そうと、急須に手を伸ばす。じゃが、手にするよりも早く、答えが戻ってきた。

「もちろん、三郎を乗せますよ」

見据える彼の目には、きっぱりとした、真っ直ぐな光が宿っていた。今までとは違う、揺らぎのない靭い眼差し。迷いのない、目。--------あぁ、大丈夫じゃな。こやつは。そう思いながら、念のため、「ほぉ。なぜじゃ?」と尋ねた。すると、雷蔵は身動ぎひとつなく、ただただ、深い微笑みが刻まれていた。

「相手に、三郎に生きてほしいから。それ以外にありませんよ」

その笑みに、答えの全てがあるような気がした。照れることもなく湯呑みの残りを飲み干すと「あの、僕、まだ、委員会の仕事があるので」と彼は腰を浮かした。今度は引き留めず、「うむ。御苦労じゃった」と返す。日だまりのように暖かい笑みを浮かべて立ち去る彼を、茶を啜って見送った。



***

「えらく賑やかだなぁ」

遠くで聞こえてきた爆発音と共に、するり、と天井から降り立つ一つの影。

「おぉ、三郎」
「学園長。これ、近江屋の新作菓子です。一緒にどうかと思って」
「そりゃいいのぉ」

紫紺色の風呂敷を彼が手早くほどくと、どっしりとした黒塗りの重箱が現れた。蓋を開けた途端、ほぉ、と思わず感嘆を漏らしておって。淡い紅色の求肥は桜の花びらを想起させる。

「花笑う、という名だそうですよ」
「ほぉ。どれ、食べよう。三郎も頂きなさい」
「それ、私が買ってきたんだけどなぁ」
「そうじゃ! せっかくじゃから、縁側で食べよう」

穏やかな太陽が差し込む裏庭の縁側に、のんびりと腰を掛けて。重箱の菓子に手を伸ばし、傍らの三郎に勧める。咲き誇る桜は麗らかな春を彩っている。

と、また一つ、爆発音が上った。吹き抜ける爆風に、木々の枝が、ざわり、と騒ぎ立つ。花弁がもがれ舞い散り、足もとにも、ひとひらの桜が降り立っておった。

「また爆発。あれ、一年生ですよね?」
「今年の一年生は、ひと癖も二癖もあるわい」
「そりゃ大変そうだ。担任は誰でしたっけ?」
「土井先生と山田先生じゃ」
「あぁ、なら大丈夫ですね」

むぐ、っと菓子に齧り付きながら三郎が呟いた。その眼は、どこかを見据えているように、酷く遠くて。年齢不相応の厳しい眼差しには、黄昏色が宿っている気がした。その言葉の真意を知ろうと喉に貼りついた菓子を茶で流し込み、彼を見遣る。

「む?」
「それぞれの道を見つけれるでしょう」
「なんじゃ、雷蔵から聞いたのか?」

さっき雷蔵としていたクラス替えの話を思いだして、そう尋ねる。が、三郎は不思議そうに「何です?」と逆に聞き返してきた。それには答えず、もう一つの問を投げかける。

「そうじゃ、三郎。もしもじゃぞ、」
「私は『もしも』が嫌いです」

話の途中を遮る口調は駄々をこねる子どもみたいに断固としたものだった。

「まぁ、たまにはわしの話を聞きなさい」
「いつも聞いてるじゃないですか」

呆れ顔の三郎を無視して、雷蔵に言った言葉と同じものを告げる。

「もちろん、雷蔵を乗せるに決まってる」

寸分も考えることなく、彼は答えた。こういうのを打てば響く、というんじゃろうか。予想していた言葉とはいえ、その速さに心が重くなる。

「なぜじゃ?」
「だってそうでしょう? 私は雷蔵が生きてなければ、私は生きていけない」

はらり、と今度は風もないのに剥がれた落ちた桜の花びらが、春が逝くのを知らせていた。

(どちらも、相手を生かす。同じ答えなのにのぉ……)



生きてるための不可欠要素


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