※鬱々しい。主要キャラが死ぬことはありませんが、死を扱ってます。

普段はどこでも熟睡できる己が、眠りの谷間に落ちれない夜がある。今宵もそうだった。鍛練に疲れきっている体は今にも寝ていきそうだというのに、思考は冴え冴えとしていた。少しでも睡眠を取らなければ、と目を瞑れば瞑るほど頭に響く拍動。それが一層、眠りから俺を遠ざける。それでも体を横にして瞼を下ろして暗闇に佇んでいれば、やがて身胸が夢へと漂い出すのが分かった-----------どれくらい時間が経ったのか、夢遊病のような危うい足音が近づいてきた。

(あぁ、駄目だったか)

不意に部屋の温度が下がった。仙蔵か伊作か、どちらか分からないが、障子戸を開けたのだろう。息を吸い込むとわずかに黄泉の匂いが入り込み、肺が痺れていくような感覚に陥る。それを嫌って大きく吐き出すと、“俺は寝ている”と印象付けるための鼾に似せた音へと変わった。それを不等の間隔で繰り返していると、細々と二人は話出した。仙蔵と伊作の低く落とした声が、それでも耳に痛いくらいにはっきりと届く。伊作が仙蔵のもとに訪れることは、仲間の死を意味していた。

「あ、伊作」
「何?」
「名前を教えてくれないか」

聞き耳を立てていた俺の緊張が最高潮まで上り詰める。仙蔵と共に伊作の言葉を待つ自分は、自然と拳を握りしめていた。正気を保とうと、ぐ、っと立てた爪の痛みを意識の中で準える。じわりじわりと速まっていく鼓動が煩い。耳鳴りがする。

「あぁ。ごめん、言ってなかったね。5年は組の…」

伊作の言葉を聞いた瞬間、硬直していた体から、どっと力が抜け、自分の重みが布団に圧される。手にべっとりと貼りついた汗を寝巻で拭い、まだ、ざわざわと騒いでいる胸に掌を押しあてた。

(そんなに知らないやつ、だ)

足音が双方向に分かれ、二人がこの部屋から遠ざかっていくのを肌で感じながら、もう一度俺は喉を窄めて大きく息を吐いた。それが鼻を抜けていく時に鼾に似た濁った音になると知ったのは、いつのことだったか。仙蔵が作法委員長になり俺が身につけた技が、このたぬき寝入りだった。起きたまま二人の会話を聞く靱さを、俺はまだ持ち合わせていなかった。

(いつか、そんな日がくるのだろうか)

片方の足音が一つ離れた部屋に吸い込まれ、もう片方が気配を絶ったのを確認すると、目を開けた。瞼の裏を流れる血潮の残像が暗闇の中で溶けていき、ぼんやりと焦点が合っていく。伊作が纏わせていた生が切れた匂いが、いつの間にか部屋の中を侵食していた。

「5年は組のやつ、か…」

心のうちに留めておくはずだった言葉は、知らずの内に音となり、口から零れていた。さっき伊作が告げた名前が、おぼろげながら、記憶にある面影と結びつく。けれど、それ以上の哀しみも痛みも、何の感情も湧き出てこない。元々面識がさほどある奴ではないけれど、彼の名はもはや何の意味もないただの記号になってしまった。

(これが仲のいい奴や会計委員の下級生だったら、たぬき寝入りを続けられただろうか)

即座に“応”と答えることのできない自分に、思わず漏れた苦笑が闇を揺らした。伊作が仙蔵を呼びに来る夜が来るたびに“その瞬間”のことを考える。“その瞬間”はいつか来るかもしれない。来ないかもしれない。

-------------だから、今は覚悟など、いらないのだ。

自分に言い聞かすように、ぐっ、と目を閉ざした。

(やはり、自分は保健や作法の委員長でなくて正解だった)



悼む人

 

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