※ ?×久々知 前提の 鉢久々 です。暗め。


三郎は、優しい。

「兵助」

三郎は、だるそうに学生服の裾を踏みながら毎日やってくる。サボってくることもあるからから、時間は、バラバラ。朝一のこともあれば、やや遅い昼飯の袋を提げながら来ることもあるし、夕方や夜のこともある。けれど、いつも、そうだ。泥のように疲れて濁った眼をしてる。

「三郎、今日もサボり?」

本や雑誌の山をどけて、熱帯魚のいる水槽の隣に三郎の席を作ってあげる。悲惨な音を立てて崩れた山に、彼は眉を顰めたけど、何も言わなかった。それで、適当に本や雑誌に載っていたことをネタに会話を紡ぐ。三郎の方も、最近やったゲームだとかそんな話をぽつぽつとしてきた。盛り上がることは一度もないまま、他愛のない会話はすぐ途切れた。

「…なぁ、三郎」

空気が凶器になると知ったのは、つい最近のこと。圧し掛かられるその重さに、俺は窒息しそうになる。

「んだよ?」
「……いや、なんでもない」

話しかけて返事をもらったはいいが、それ以上、口にすべきことが見つからず、俺は唇をきつく閉じた。三郎の方もあらかた話のネタが尽きてしまったのか、何かを言いかけようとしては、その空気だけを食んでいる。この沈黙が嫌で話しかけたのに、話題がないから沈黙が堕ちるのだと気付く。

「……そうか」

結局、それの繰り返しなのだ。カチカチ。金属音が、小さく空気を震わせる。小刻みなそれは本当に些細な音なのだろうけど、静謐さが支配するなかでは耳障りなだけだった。おそらく、三郎が俺の見えない所でジッポを弄んでいるのだろう。それは、三郎がイライラしている証拠。俺のために我慢しているのに、俺はそのイライラに気付いて、そのことを顔をに出してしまう。

「悪ぃ」

三郎が、ぼそり、呟いて部屋から出ていく。別に三郎が謝る必要は、全然ないのに。微塵でも表情に出れば、三郎は外に出ていってしまう。三郎は優しい。俺の前では、決して煙草を吸わない。別にあのことは、三郎のせいじゃないのに。どうしようもないことなのに。なのに、責めてしまう俺を三郎は赦し続けている。

「兵助」

暫くすると、少しだけ穏やかな表情になって戻ってくる。ほのかな煙草の匂いとその身に纏わせて。でも、その裏にあるものに俺は気付いている。泣き出しそうな、その瞳に。そこに抱えている混沌とした暗闇に。本当は、気付いている。-----------ただ、気付かないフリを、しているだけで。

「さぶろ…」

呼びかけた名前は、その本人に途中で塞がれた。そっと、重ねた唇は熱く、微かに苦かった。その味はあいつの口づけとよく似ていて、瞼奥が、じりっ、と痺れた。涙は出そうになかったけれど、瞼が腫れぼったい。その重みのまま睫毛で世界を遮断しようとした瞬間、水槽が視界に入った。こぽこぽ、アクアリウムの魚が、俺を見ていた。感情のない、死んだような眼で。



***

三郎は、ワルだとカテゴリーされている。まぁ、実際、煙草も吸うし、服装はどこが制服なのか原型を留めてない時もあるし、学校もサボるのはしょっちゅうだし、ケンカもすることがある。おまけに、他人に無関心だ。氷よりもまだ冷たい眼差しを剥かれれば、大抵の奴は何も言えなくなる。でも、俺は知っている。三郎が、ホントは優しいことを。優しすぎるほど、優しいことを知っている。

捨てられた猫に、ミルクをあげていたことも。

(鳴き声がうるさかったからな)
家のために日雇いのバイトをしていることも。
(遊ぶ金が欲しかっただけだし)
横断歩道で足を痛めた老人を、負ぶって渡ってあげたことも。
(あんなトコにいたら、邪魔なだけだろ)

そして、毎日あいつのお墓にいっていることも。

事故だった。そう、あれは事故だったのだ。三郎は、幸い軽い傷ですんだけど。----------------けど、あいつは還ってこなかった。原因は、あいつが三郎に煙草を渡そうとした、わき見運転。そう、だから、三郎が悪いことなんて一つもありやしなかった。そう、三郎は、悪くない。



***

「悪ぃ」

三郎は、所在なく立っていた。まるで幽霊みたいに生気のない顔で、あいつの亡骸に縋っている俺に、そう言葉を漏らした。真っ白の三角巾が、リアリティなく、首から吊り下げられていた。俺は、彼の胸に飛び込んだ。三郎は、俺を抱きしめようとして。無事だった左手を差し出したのを、おぼろげに覚えている。

「な…ん、で、さぶ…ろなん…だよ」

俺は、彼の胸を叩いた。炸裂する感情を抑えきることができず、ただただ、貸された三郎の胸を叩き続けた。一瞬、萎縮して躊躇いがちに俺に触れたもの。あいつと違う、三郎の指。俺の髪を撫でる、その慣れない手つきが憎くて、憎くて。

「…んで、さぶろ…が、生きてんだよ」

俺は、全然悪くない三郎を悪者にした。

「悪ぃ」

三郎は、それしか言わなかった。三郎の所為じゃないのに。全然悪くないのに。謝罪の言葉以外は何も言わず、ただ独り、俺に胸を打たれ続けた。ただただ、責め続けられていた。病院特有の消毒薬臭さに、俺たちにあんなにも染み付いていたはずの煙草の匂いはすっかりかき消されていた。



***

俺と、三郎と、あいつは中学時代からの悪友だった。恋心を抱いたのはいつだったか、覚えていない。気が付けば、あいつとそんな関係に陥っていた。それでも、三郎との距離が変わったわけじゃなく、一緒にいることが多かった。喫煙仲間、ってのもあったのかもしれない。俺たちは、いつも煙草の匂いを纏っていた。3人でバカをする時も。独り泣く時も。

---------------------------------そして、あいつに抱かれる間も。

けど、あいつがいなくなってから、俺は、煙草を見られなくなった。



***

三郎は、優しい。優しすぎて、独りで傷ついてしまう。何も言わず、独りで罪を背負おうとするのだ。その細っこい、今にも折れてしまいそうな薄い背中で。責め続けられるのを甘んじて受け入れている。悪くない三郎を悪者にする俺を赦すのだ。

「兵助」

ほら、そうやって今日もやってくる。煙草ではなく、線香の匂いを幽かに携えて。傷ついた瞳を、無理に靭い睨みで隠してやってくる。俺の前では、木偶の坊みたいに突っ立って、まるで何てことないかのように振舞うのだ。そう気付いているけれど、俺は、そのことについて触れることができなかった。

「今日は遅かったな」

相変わらず折り目がどこなのか分からない制服を着こなしているから学校帰りなんだろうけど、辺りはそれにしては随分と暗く夜に呑まれていた。そのことに言及すれば、三郎は痛みをかみ殺すみたいに唇を噛みしめ、目を伏せた。しばらく黙りこんだ三郎は「……検査、あったしな」と、今にも消えそうなくらい小さく、くぐもった声で答えた。怒られて泣き出しそうな、子供みたいな表情を浮かべながら。子供。そう子供。俺たちは、子供でしかないのだ。煙草なんか吸っても、大人にはなれない。俺たちは、その頼りない背中に架された罪に潰されないよう、必死に生きている。もがくように、縋るように、ただただ、息を吸い吐き出し、それを繰り返している。

俺がいなくなったら、三郎はどうするのだろうと、時々、思う。

「なぁ、三郎」
「んだよ?」
「……いや。なんでもない」

無表情で、俺のことを忘れるだろうか。せいせいした、って言うだろうか。それとも…できれば、そのどちらかでいてほしい。三郎のせいじゃないのに、行き場のない感情をすり替えて、勝手に罪をなすりつけた俺のことなど罵って、過去を切り捨てていってくれればいい。俺を忘れて、幸せになってほしい。

そう思いながらも、今度は俺から唇を求めた。

「三郎…」

そっと、重ねた唇は熱く、微かに苦い。あいつに三郎が似てるのか、三郎があいつに似ているのか、もう分からなくなってしまった。あいつの熱も匂いもあやふやになってしまっていた。思い出そうとすればするほど、俺の中ではっきりと濃くなるのは三郎の影で。瞼奥が、じりっ、と痺れる。中毒症状。三郎は、煙草の。俺は、三郎の。

「兵助……」

ダンボール箱に捨てられた子犬同士が慰めてる、と周りの奴らは揶揄するかもしれない。けど、そんなこと、どうでもよかった。重要なのは、俺と三郎が寝る、その事実だけだ。彼の手が、乱暴にカーテンを引っ張った。覆いかぶさる彼の体温は、人じゃないように冷たかった。なのに、這いずりまわる三郎の舌は焼き印のように熱かった。アクアリウムの魚は、相変わらず死んだような、どろりと覇気のない目で俺たちの情事を眺めている。俺に埋める三郎の髪から、あいつの好きだった銘柄の匂いがしたような気がした。

----------------愛した人を殺した人を愛するのは、罪ですか?

俺は目を瞑り、どこぞにいるか分からないカミサマとやらに、ひっそりと問うた。




アクアリウムで眠る孤児たち

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