※過去・家族環境に捏造色が濃いです。

密生している薮に、すっぽりと覆われて、息が詰まりそうだ。もう、どのくらい、そうしているのだろう。流れゆく時間の感覚が失われそうになるほど、この場所に息を潜めているのは確かだった。自分に脈々と疾走する拍動はじわりじわりとその速度を速めていく。握った手汗を袴にこすりつけて、自分に言い聞かせる。大丈夫だ、と。けれども根拠のない自信は砂上の城よりも脆い。すぐに不安に押しつぶされそうになる。

怖かった。

追っ手に狙われているから、ではない。敵方に感づかれるようなヘマはしてないし、その痕跡もできるだけ消してきた。万が一、だとしても、館に残された兵力ではここまでは追ってこないだろう、という読みもある。ただ、蠢くような恐怖がひしりひしりと心を食い荒らしていく感覚を留める術がなかった。

(三郎は無事だろうか。かえってくるだろうか)

二人で組む時は、変装で内部事情を上手く利用することができるから、三郎が陰になることが多い。けど、今回は標的に古文書が関係してくることから僕が陰となり、三郎が陽動する側に回ることになった。茂っている草葉の隙間から辛うじて見える空は闇の気配が色濃く、夜明けまではまだ時間がありそうだ。

------------- けれど、約束の刻限が近づいてきていた。

少しずつ動いていく草影を見ながら、僕はさっきの三郎とのやり取りを思い出していた。



***

作戦の確認を終えると、不意に三郎が視線を宙へと向けた。その眼差しの先を辿ると、白っぽい月が、ぼんやりと潤んで見える。もうすぐ死するはずなのに、まるで生まれたての赤子のように溌剌とした光を放っている。

「今夜は寝待月だね」
「そうだな。まだ、ちょっと明るいか」
「うん。でも、仕方ないよ」

頂の近くにあるそれは、昇っていく時の舟形から、その船を漕ぐ櫂のように立ち姿に変えていた。辺りが闇に溶け出す頃に姿を現したことを考えれば、随分と時間が経ってしまっている。夜が更けていくうちにつれて、そのうちに、ひっくり返って沈んでいくだろう。その前に、終わらせなければならない。

「雷蔵」
「ん?」
「この月が傾いて、その枝に掛かっても、私が戻ってこない時は、先に戻れ」

不意に、三郎の口から禍言 (まがごと)が吐いて出た。僕がもしもの話をすると怒るくせに、三郎は簡単にそういった言葉を口にする。恐れや慄き一つも表情に上らせることなく、自分が最悪の事態になった時のことを人ごとのように話す。その度に思うのだ。

----------三郎は、生きることに執着してないのでは、と。

「けど、」
「必ず、追い付くから」

虞に囚われて黙り込んでいる僕を諭すように、彼の目が柔らかく緩んだ。

「私が嘘をついたことがあったか?」
「学園長のフィギュアが飴細工でできているってのは嘘だった。食堂のメニューが一種類になるってのも、嘘。山田先生の部屋は化粧道具だらけってのもあった」

それから、と言いつのる僕の声に、慌てて「そうだったか?」と、三郎はとぼけた声を出した。さらに「そうだよ。三郎は、」そう言い募ろうとした僕の唇を彼の人差し指が塞いだ。じわりと伝わってくる三郎の熱に出かかった文句はするりと溶かされていく。言葉を呑みこんだのを見越して、彼は飄々とした笑顔を浮かべた。

「大丈夫だ」
「え」
「大丈夫。私のかえる所は、雷蔵の所だから」

さらり、とこちらが赤面するような言葉を放つと、彼はその笑みを狐面で覆った。口まで裂けた鮮やかな赤は、墨衣に染められた夜の中でもくっきりと映える。あまりに強烈な印象に、嫌でも目に灼きついてしまう。不気味なそれの下にある表情は、一切、分からなかった。

-----------------そうして、するり、と深い闇の中に沈み、三郎は見えなくなった。




***

思い耽りながら屈みこんでいたせいか、土の冷たさが、うっすらと頬に張りついてきた。湿り気の帯びた感触に夜の底を過ぎた事を知る。陽はまだ遠いけど、少しずつ眠りの深淵から浅瀬へと世界が漂流しだしたのが分かった。雑多とした勢いの茂みから顔だけを出し、先ほど三郎が指さした木に、その枝に目を凝らす。地上へと目がけて堕ちていきそうな月は、その端っこを枝に引っかけて、辛うじてぶら下がっていた。

(戻ろう。任務を果たさないと)

夜明けを前に風が出てきたのだろう、鼻先を透いた匂いが掠めた。目前の木が、ざわりと、その身を大きくしならせた。弓なりの枝が大きく弾かれる。葉の間から零れる月光が揺らめき、僕に斑に抜く。一吹き。風が止んだ。蠢く影が元の位置に戻った、そう思い視線を上げれば、引っ掛かっていた月は枝から外れいた。約束の、刻限。

(大丈夫、三郎はかえってくる)

そう思うのに、足が動かない。まるで、大地に吸いついてしまったかのようだった。自分の意志とは反対の力はあまりに頑なで。それでも、なんとか引き剥がそうと、ぐっ、と顎に力を入れて奥歯を噛みしめる。

-------------------大丈夫、と信じてるのに。なんで、、、



「っ、」

と、一瞬、破れた闇の気配に、全身が強張る。僅かな違和を見逃さないように、と身体中の全てが目となり耳となり辺りを探る。じとり、と滲み出る汗に構う余裕はなく、敵であればすぐにその場から去れるよう、膝下にぐっと力を溜め込み、くないを握る。凝らした目は瞬きをする暇もなく、眼窩に熱が溜まる。緊張のあまり耳は甲高い金属音の幻聴が聞こえてきそうだ。

(誰、だ)

キリキリと切れそうな程に張りつめたそれは、頭上からの「雷蔵」という声に弛んだ。すたん、と月明かりに隈取りされた影が滑り降り、地面の陰と同化する。手中のくないを収め、僕は三郎のもとに駆け寄った。

「三郎!」
「首尾は?」

狐面のせいでくぐもった声は、余裕が含まれてて、胸をなでおろす。ざっと、彼の身体中に視線を巡らせると、僅かなかすり傷だけのようで。鼻を突く火薬の匂いに隠れてしまった鉄錆の匂いは薄く、三郎の血ではないだろう。

「上々。今頃、すり替えた巻物を守ってるはずさ」
「そうか。こっちは、ちょっと撒くのに手間取って、」

少し疲れが滲んだ声音が、不意に途切れた。三郎の視線の先は、転覆した月の船が、ゆっくりと沈んでいくところで。撤退の刻限を決めた木の枝からは、ずいぶんと離れた所まで追いやられていた。

「先に戻れって言ったのに」
「うん。でも、かえってくるって約束しただろ」

僕の言葉に、狐面に描かれた耳へ裂けた赤い口が、さらに歪んだように見えた。三郎は何も言わなかった。彼が黙り込むなんて思ってもいなくて、生まれた沈黙に居心地の悪さを覚える。あの頃ぶかぶかだった狐面は、最初から彼のために造られたかのように、ぴったりと彼の顔を覆っていて。その下で、三郎がどんな表情をしてるのか、読み取ることはできなかった。けれど、一瞬だけ、三郎が泣いているような、そんな気がした。どんどんと重たくなっていく空気を打破しようと「……最近、お面を被ってるんだね」と疑問にも似た言葉をぶつけた。何も返ってこないだろう、と半ば思いながら。けれど、しばらくした後に、三郎から「あぁ」とくぐもった相槌が戻ってきた。

「昔のが、出てきたからね。ちょっと、不気味だろ」
「ちょっとどころじゃないよ」
「そうか?」
「そうだよ。夜に見ると怖い」

僕の言葉に三郎は笑った。面の下はやっぱり見えなかったけど、声に出して笑っていたから、はっきりと分かった。歌うように「今度、誰かを脅かしてやるかな」と告げる三郎は、いつもと変わらないような気がして、安堵しながら彼の手を引く。「帰ろう、三郎」と。

「あぁ、かえろう」


(三郎は、かえってきたのに。なのに、どうして、僕はこんなにも不安なんだろう)



抱くは大地、攫われるは焦燥

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