瞼に落ちる白闇の気配が急に濃くなったのと、そこに冷たい温もりの気配を感じたのは同時だった。
僕の目の辺りを覆おうとする掌は、けれども、決して触れようとはしてこなかった。
一瞬近づいては、すぐに、遠ざかる。

(いつもなら、いとも簡単に触れてくるのにね)

その距離がもどかしくて、僕は布団の端をぎゅっと握って、その名を呼んだ。

「雑渡さん?」
「……あたり」

声の縁が少し揺れて振幅するのに、雑渡さんが驚いているのが分かった。
見えはしないけれど、あの大きな白目さらにが開いたような気がして、僕はちょっと笑った。
雑渡さんは僕の眼前にある空気を塞ぐようにしていた掌を外したようで、また、闇の色が白んだ。

「目、見えているのかい?」

彼の声の大きさが一寸小さくなって、雑渡さんが僕から離れたことを知る。
僕は雑渡さんがいるであろう方向に眼球を動かしたけれど、距離のせいか、影すら見えなかった。
茫洋と広がっている闇の、そのどこかに彼が存在しているのかと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

「いえ。あぁ、でも明るさは感じますよ。
 それに、いつもより耳や肌が聡くなってるかもしれません」
「そうかもしれないね」

呟いた雑渡さんの声は小さく、けれど、実感に充ちた深い響きがあって、僕は片目を包帯に覆われた彼の顔を頭の中で描いた。



***

医務室で最初に覚醒した時、ちりり、と刺すような痛みが僕の眼球を襲った。
火の粉を被った時のような熱い痺れに、記憶を手繰り寄せ、敵の術に嵌ったことを思い出す。
まだ胸にこびり付いて離れない、突くような独特の匂いに吐き気をもよおしていると、僕の枕元に人の気配を感じた。
熱を諫めるかのような冷やした手ぬぐいと共に「もう少し寝なさい」と新野先生の言葉が降りてきて、僕は眠りについた。



その次に目を覚ました時、その昏さはそこに存在していた。
凝らしても凝らしても、ぼんやりと膜に包まれたかのように物事の隈を捕らえることができない。
二度と目が見えなくなるんじゃないか、って恐怖よりも、その暗闇が思ったより温かくて、僕は安堵した。

(彼も、それほど冥い世界に生きてるわけじゃないのだ、と)



***

「雑渡さんと、お揃いですね」

僕の言葉に、雑渡さんの息がひそやかに固まっていくのを全身で感じていた。
歓びにも似た安寧の感情を吐露するためだけだったのに、雑渡さんにとっては自分を責める材料にしかならなかったらしい。
どうすれば誤解が解けるだろうかと色々と言うことを頭の中でこねくり回してみたけれど、どれ一つ、ちゃんとした台詞にはならなくて、言の葉の残骸だけが積み上がっていき、僕の胸を塞いだ。

結局、ただ、布団を掴んでいた指を、宙へと放つしかなかった。

(あなたを責めたいわけじゃない、のに)

「闇が怖いかい?」

あやすように僕の指先を包み込んできた雑渡さんの手は、驚くほどに固かった。

この手を、僕はよく知っているはずだった。
こっちが怒って振り払うくらい、いつだって、向こうから触れてくるというのに。
なのに、こうやって改めて触ると、皺だとか傷だとか胼胝だとか、僕の知らない雑渡さんの過去がそこに染み込んでいた。

「怖くないですよ。雑渡さんとお揃いですから」
「一生、私とお揃いなのかい?」

哀しいくらい優しく闇が震えた。
けれど、ただ、優しいだけじゃなかった。
靭かった。
嘘を吐きたいのに、それを赦さない靭さがあった。

「……いえ。新野先生の話だと、硫黄のせいで一時的に視力が落ちてるのだろうって」
「そっか、よかった」

蕾が綻ぶように笑うと、雑渡さんの指が僕の掌からするりと抜けた。
と思った時には、僕の瞼に柔らかい暗さが降りてきた。
その温かさに、闇が静かに濡れた。

(もうすこし現実が残酷で、一生見えなくなったなら、この掌を独り占めできるのだろうか)




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