「何か賑やかだね」
「そうだな」
「あの声は、乱太郎たち?」
「あぁ、あいつらだな。一年は組」
「いったい、何、騒いでるんだろうね?」

随分離れた所から、幼い足音と笑い声が駆けて近づいてきて。甲高く興奮しているそれは、叫び声に近く、何を言っているのかは分からないけれど。「あー、たぶん、豆まきだな」と呟いた留さんの言葉に、今日が節分だったことを思い出す。

「ガキは元気だなぁ」

そう言うと留さんは、ぶるり、と大きく身を震わせ、肩をすくめた。悴んだ手を、制服の上に着た羽織の袖口に手を仕舞い込み、長屋へと向かう。外に面した廊下に吹き込む風は、冬の凍てついたもので。温かさのかけらすら感じることができない。

「明日から春だなんて、信じれないね」
「そうだな。こんだけ寒いとな」

まだ春が目に見えないことを安堵してしまう僕は、まだ、覚悟ができていないのかもしれない。この学び舎から離れることを。みんなと、留さんと別れることを。

***

「あ、ぶなっ」

角を曲がった瞬間、お腹のあたりに水色の頭巾が、目に入った。ぶつかる、と思った時には、自然と体を流れと逆に引いたけれど、間に合わなくて。お腹に当たった衝撃に、とっさに、羽織に引っ込めていた手を出し、衝突してきた人物の腕を引っ張る。

「廊下を走るなっ!」

思わず飛び出た大声に、ぱたっ、と何かが零れ、床に打ちつける音が返ってきた。途端に、ぱた、ぱたぱた、と音が続いて、ざぁぁ、とまるで土砂降りの時のような音に代わる。何だろうと反射的に見下ろすと、流れる水のように大量の福豆が廊下を走り、広がっていく所だった。

「あちゃぁ」
「あー」

その惨状に、きり丸としんべヱの声が重なり、ようやく掴んだ手の主が誰か分かった。

「乱太郎、大丈夫か」
「大丈夫? 乱太郎? こけなかった?」
「うん。私は平気だけれど、…あ、伊作先輩。…ごめんなさい」

はっと、乱太郎の表情が翳った。その面持ちに、さっき、思わず怒鳴った自分の大人げなさを感じて。それに、十分後悔してるような様子の彼に、出かかった注意の言葉が鈍る。

(あんまり叱っちゃ可哀そうかな。反省してるみたいだし)

叱責の言葉を飲み込もうとしたその時、

「お前達」

やけに低い声が僕たちの間を貫いた。廊下中にばらまかれた豆をかき集めていた留さんが僕たちの方を見つめていた。その声に鋭さに、何を言われるのだろう、と三人は緊張した面持ちで。誰かの、ごくり、と息の呑む音が聞こえる。

「これで、廊下を走るとどうなったか分かっただろ。危ないから、次から気をつけろよ。分かったら、返事っ!」
「「「はい。ごめんなさい。次は気をつけます」」」

ぺこり、と勢いよく頭を下げた三人に、留さんの眼差しが緩んだ。

「これ、食堂からもらったのか?」
「あ、はい」
「おばちゃんが、今日は節分だからって」

と、彼の掌いっぱいになった福豆を差し出した。あまりの量に、受け取ろうとした乱太郎の手だけでは間に合わなくて。乱太郎、きり丸、しんべヱの三人で、なんとか分かち合って、入っていた紙の包みに戻す。

「ふーん、うまそうだな」
「あ、食満先輩も食べますー?」
「おぅ、いいのか? ありがとな」
「えーと、先輩たちは15歳だから16個っすね」
「いいなぁ。ぼくも、たくさん食べたいなぁ」
「しんべヱ、よだれよだれっ!」
「えー、うらやましいよぉ」
「って、しんべヱさぁ、さっき、歳の数の倍くらい食べてただろ?」
「あれ、ばれてた?」

そんなやり取りを見ながら乱太郎が僕の手に、ひとつずつ福豆を載せていく。

「伊作先輩、さっきは、ごめんなさい。痛くなかったですか?」
「あれくらい、大丈夫だよ」
「本当にごめんなさい」
「いいよ、さっき留三郎も言ってたけど、次を気をつければいいんだから」
「けど、」

申し訳なさそうな乱太郎の、その元気のなさに、胸が堪える。

「おい、乱太郎」
「はい」

急に名を呼ばれた乱太郎は、どぎまぎとした様子で。直立不動、というかのように体を硬くして、留さんの方を向いていた。その様子を見た留さんは、にやり、と笑みを浮かべて、乱太郎に問いかけた。

「知ってるか? あんまり、福豆を食べるとお腹から大豆が生えてくるんだぞ」
「「「うええっ」」」

飛び上がらんばかりに驚いた三人に「留三郎、嘘付くなよ。三人とも、本当に信じるじゃないか」と取り成せば、三人は「「「なーんだ」」」と顔を見合わせた。いつもと変わらぬ乱太郎の笑顔に、ほっと、しながら、のこりの福豆をもらった。

***

楽しそうな笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩いていった三人の背中を見ながら、隣の彼に話しかける。

「留さん」
「ん?」
「ありがと。僕の代わりに、乱太郎をちゃんと叱ってくれて」

あぁ、と小さく笑う留さんを見ながら、僕は掌の豆を、福を、握りしめた。


春立つ前の日に

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