(暇だなぁ。今頃、みんな机に向かってるんだろうなぁ)

天井の染みが何に見えるか考えるのも、見慣れてしまって、すっかり飽きた。
爆風にやられたせいか、頭の隅っこで揺れるように感じていた耳鳴りも、ようやく静まってきて。
けど、やっぱり聴覚が鈍くなっているせいか、扉が開けられるまで訪問者の足音に全然気付かなかった。

「タカ丸さん」

囁くような小さな声に顔を向けると、障子戸に指をかけたまま綾ちゃんが突っ立っていた。
僕の方を見ているけれど、ほんのちょっと手前に視線を落として、伏せられた目は僕を見ようとしていなかった。
まだ痛む傷に響かないように、けれど綾ちゃんに痛みがあることは悟られないように、肘を使いながら布団から体を起こす。
入口でたたら踏む綾ちゃんの考えていることが手に取るように分かって、「入っておいでよ」と、できるだけ明るく声をかけた。

綾ちゃんは、ぼんやりとした足取りで俯き加減で僕の傍らまで来ると、黙ったまま坐った。
その視線は布団に投げ出しっぱなしだった僕の腕から先の、隙間なく埋められた包帯にあった。
いつもの検分するような鋭さはなく、茫洋とした眼の色は、たぶん自分自身を責めるものなのだろう。
時折、何か言いたげに唇が動くのが分かったけれど、音が空気を震わせることはなかった。
けれど、僕も何て言ってあげればいいのか分からなくて、唇をかみしめた。
満ちていく沈黙は、ゆっくりと僕らを絡め取っていく。

「……傷、痛みますよね」

振り絞るような声が、静けさを打ち破った。
躊躇う綾ちゃんの指先が、僕の腕に触れていた。
分厚く巻かれた包帯が感触を阻んで、分からないほどに、ひそりと。

「ん? あぁ、見た目よりは大したことないよ」

笑う様に口蓋を震わせて、「伊作先輩、大げさなんだもの」弾むように答える。
少しでも綾ちゃんに笑ってほしくて、冗談を言うような口ぶりで明るく振舞ってみたけれど。
それは綾ちゃんの上を滑っていったようで、綾ちゃんは僕の腕に縋りつくように深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」
「綾ちゃんのせいじゃないよ。もともと、火薬を準備したのは僕だしさ。
 まさか暴発するなんて、誰も思っていなかったし。うん、だから綾ちゃんのせいじゃないよ」

気にすることないよ、と綾ちゃんの頭を撫でようと、僕はなんとか腕を伸ばして、

「……何で、私なんか庇ったんです?」

引きつるような痛みが走って、僕の掌は宙を掴んだ。

「何でって」

へらりと、さっきと同じ事を言おうとしたけれど、綾ちゃんの纏うものに気圧されて、中途半端な笑みだけが取り残された。
それを貼りつけることも剥がし落とすこともできず、綾ちゃんが顔を上げるのをぼんやりと見ていた。
ただ、見ていた。

「私がいなくなったら、久々知先輩を独り占めできたでしょうに」

綾ちゃんと、初めて目が合った。
泣きそうな綾ちゃんの眼に映り込んでいる僕も泣きだしそうな顔をしていた。
どうしようもできなくて、どうにもならなくて、じんわりとしみ込んでいく言葉だけを感じていた。

「……気づいてたの?」

綾ちゃんは、一度だけ小さく頷くと、さっきとは違うしっかりとした眼差しで僕を見つめた。
その真っ直ぐさに、目をそらしたのは、今度は僕の方だった。

「綾ちゃん、僕、髪結いをしてるんだよね」
「知ってます」

布団を握りしめる綾ちゃんの手が、ぎゅ、っと硬くなったような気がした。
血の気が失せた綾ちゃんの白い拳を目で辿り、それから僕は自分自身の手を見下ろした。
混濁している指先の感覚は、今日戻るのか明日戻るのか、それとも一生戻らないのか、分からない。

「だから、この手は僕にとって、命よりも大切なものだったんだ」

全部、覚えてる。
この指先に刻み込まれてる。
自分が今まで生きてきた道が、この手に。

(だからこそ、ずっと避けてきた。この手に傷がつくことを)

「けどね、それより大切なものができちゃったんだよね」
「大切なもの」

噛みしめるように繰り返した綾ちゃんの言葉に、僕は自分の手を見下ろしながら、うん、と相槌を打つ。

「綾ちゃんが怪我したら、きっと、兵助くんが哀しむなぁって思ったらさ」

そっと目を閉じると、柔らかい暗闇に兵助くんが笑いながら現れた。
瞼がじんわりと温かくなって、ゆっくりと滲んでいく。
兵助くんの笑顔が溶けていく。

「この腕がなくなってもいいって思ったんだ」

(そしたら、全部、諦めて、この場所を去れると思ったんだ)




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