「先輩、」

何度呼び掛けても、本に没頭している先輩に痺れを切らして。
肘の袂あたりを掴み、ゆさゆさ、と揺らしてみる。
すると、ページを繰る手が止まった。

「あやべ」
「暇です」

柔らかい声が、頭上から降ってくる。
見上げると、少し困ったような表情で先輩は微笑んで。
じゃれて悪戯をする猫を叱るように、先輩は私の髪をくしゃりと撫でた。

「ん、ちょっと待ってて」

私の頭に手を置き撫で続けながらも、先輩は再び視線を本に戻した。
けれど、少しずつその指先から力が抜けていくのがわかって。
おざなりになった手は、とうとう、止まった。

(せっかくの休みの日なのに)

「先輩、」

また袖を掴んで揺らすと、手が止まっていたことに気づいて。
苦笑しながら、また、私の髪を掬うと、優しく梳いた。
そんな先輩を軽く睨む。

(先輩、そんなんじゃ騙されませんよ)

「ごめん。明日までの返却だから、な」

なっ、と、赤子をあやすように微笑み、三度本の方へと向かいなおす。
肩越しに、そっと覗きこむと、やや黄ばんだ髪には文字だけではなく図も載っていて。
ちらり、と見ただけでは、何かの戦場の様子が描かれている、ということしか分からなかった。

「それ、面白いんですか?」
「うん。まぁな」

(私といるより、面白いですか?)

喉から零れ落ちそうになるその言葉を、ぎりぎりの矜持で掬い上げる。
それでも収まらぬ気持ちを落ちつけようと、目の前にある先輩の髪を手にする。
なんとなく一房を軽く引っ張ってみるけれど、先輩は既に本の世界に入り込んでいた。

(先輩のばか)



「綾部、おまたせ。…え、何これ?」

本を閉じながら私の方を振り返った先輩は、すぐに、自分の違和感に気づいたようで。
一つの太い縄のようになってしまった自分の髪を呆然と見ていた。
少し離れた所から先輩に声をかける。

「みつあみ、って言うらしいですよ」
「よくそんなの知っていたな」

先輩は解こうと結ばれた紐を外し、それから手が止まった。
一度やってみれば単純な手順の繰り返しなのが分かるのだろうけど。
初めて見た先輩にとっては、どうやって絡まっているのかが検討つかないのだろう。

「前、暇な時に、タカ丸さんに教えてもらいました」

そう言うと呆けていた先輩の顔が、ふいに険しくなった。

「綾部、ちょいちょい」
「何ですか?」
「あのさ、」

手招きされ、先輩の傍まで行くとそこに正座をする。
難しい顔つきに、いつもより低い声。
沈黙が漂う。

(みつあみしたことに、悪戯に怒ったのかな?)

「やっぱり、いい」
「言いかけて途中で止めるの、やめてください。気になります」
「じゃぁ、えっと、暇なら、ここにおいで」
「はい? 今、だから、来てるんじゃないですか」
「あぁ、そうか。…えっと、そうじゃなくて、タカ丸さんの所に、行かないでほしいというか」

ようやく先輩の言いたいことが分かって、先輩の首にしがみつく。

(「じゃぁ、先輩、私と一緒の時は本を読まないでくださいね」)


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