委員会から戻ると、僕の部屋で綾ちゃんは本を片手にくつろいでいた。

「綾ちゃん、何してるの?」
「本を読んでます」
「や、それは見ればわかるんだけど」

うつ伏せに寝ころんだ綾ちゃんは、しばらく考え込むような表情を見せた。
腰から立てた足を、ぱたぱた、と交互に忙しく動かして。
それから、「あぁ」と思いついたように僕を見た。

「じゃぁ、寝ころんでます」
「そうじゃなくて、何で、僕の部屋に、ってことなんだけど」
「タカ丸さんの部屋、居心地がいいので」

それ以上言ってもしかたないか、と諦めの境地で部屋に入る。
背後から覗きこむと、難解な陣形図と細かな文字が紙面いっぱいに広がっていた。
僕の影が落ちたにもかかわらず、綾ちゃんの視線は途切れることなく上下の軌跡を描いている。

「それ、面白い?」
「さぁ? 久々知先輩の部屋から勝手に借りてきたので」

綾ちゃんの口から綴られたその名は、柔らかく聞こえる。

「そういえば、さっき、委員会中に兵助くんが言ってたんだけど」

兵助くん、という言葉に、猫のように耳がピクンと小さく動いた。
僕の方に向き直った綾ちゃんは、僕の背後を見つめているようだった。
わざと焦点の合わさないように、ぼやけた眼差しのまま、僕に問いかける。

「何て言ってました?」
「『図書室から借りた本がなくなった。明日返さないと雷蔵に怒られる』って」
「じゃあ、明後日にでも返しに行きます」

顔に落ちてくる髪を耳にかけながら、綾ちゃんは再び本へと視線を向けた。
頁を繰る手が2,3度動く度に、するり、と彼の頬を滑り伝う髪の毛。
うっとうしそうに、ふるふる、と首を揺すった綾ちゃんに声をかける。

「綾ちゃん、みつあみでもしようか?」
「お願いします。…ところで、みつあみって、何です?」

黒目がちの眼が、ぐるん、と僕の方を向いた。
さっきまでの膜の張った瞳とは違って、力強い光がまっすぐ宿っていた。
了承しときながら質問してきた彼に、思わず零しそうになった苦笑いを口で押し留めて。

「んーとね、髪を三つに分けて、それを順番にやってくんだけど」

口でどういう風に説明すればいいのか分からなくて、起き上った綾ちゃんの髪を手に取る。
「やってみた方が早いかな」と、そのまま、指に絡む毛を梳いて三つの束に分ける。
左の中指で真ん中の束を押し戻しながら、左の束を交差させて編み----

結い方が見えるように、とみつあみを彼の顔の正面で行ったせいか、綾ちゃんが近い。

日に焼けた肌は、そうとは感じれないほど肌理細やかで。
「へぇ」と呟く唇は可愛らしいほど小さくて。
影が落ちる睫毛は羨むほど長くて。

(兵助くんが好きな人、か)

--------------- 編み込まれていくのは、嫉妬と羨望と、それから胸の痛み。



「はい、完成」
「ありがとうごさいます。で、これが、みつあみですか?」
「うん。ちょっと、緩くなっちゃったけど」

綾ちゃんは確かめるように指で結い目を辿ると、それから僕の方に視線を向けた。

「タカ丸さんの髪でやってみてもいいですか?」
「僕の髪で? いいけれど、長さが不揃いだから、やり辛いと思うよ」
「大丈夫です。だって、髪の毛が3本あれば、できるんですよね」
「せめて10本くらいの束にしようよ」

僕の言葉に、綾ちゃんは真顔で「冗談ですよ」と答えた。



綾ちゃんは僕の背後に回ると、結わえていた紐を解いた。
たゆんだ僕の髪を、不慣れな手が、こわごわと掴む。
力の抜けた指先が優しく髪を通り抜けていく。

「タカ丸さんは、火薬の匂いがしますね」

ぽつん、と落ちてきた言葉に息が止まった。
じわじわと速まっていく心臓がうるさいほどに痛い。
喉がカラカラに乾ききって、言葉は枯渇したかのように、出てこない。

(きっと綾ちゃんのことだから、他意はない、と思う。けど、)

酷く後ろめたい気持ちが、紡ぐ言葉を迷わした。

「……あー、さっき、委員会だったからね。綾ちゃんは土の匂いがする」
「さっきまで、穴を掘ってましたから」

指先を彷徨わせながら、綾ちゃんは僕の迷いなど気付かずに淡々と答えた。
それが逆に、すべてを見透かされているような気がして。
気持ちを押し隠している自分が滑稽に思えてくる。

(どこまで気づいてるんだろう)

「綾ちゃん」
「何ですか?」

問いただそうとした言葉は、けれども、ぎゅ、っと頭ごと後ろに引っ張られたことで遮られた。

「痛っ」
「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

編もうとして強く引っ張った力を綾ちゃんが緩めた途端、みつあみは解け落ちた。

「平気平気」
「なら、いいんですけど。あ、何かさっき言いかけてましたけど」
「何でもない」
「そうですか?」
「うん」

(今は、まだ、このままで)



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