「何やってるんだい、先生」

ころりと転がした万年筆の先をぼんやりと眺めていると、背中の辺りに温もりと重みがしなだれかかった。茶目けの含んだ声音に、「あぁ、三郎。というか、先生って呼ぶのやめてよ」と答えると、くすくすとした笑う息が服越しに肌に触れて、こそばゆくなった。三郎を引きはがすために小袖の布を握りしめながら振り向くと、僕と瓜二つの顔が寸前まで迫っていた。月がくるりと一回転するような、長い口づけ。

「せんせぇはせんせぇにかわりない」

どこか稚い声で彼がからかっているのが分かったけれど、唇に籠る熱に怒る気もなくしてしまった。そのまま黙って、再び原稿用紙に体を向けると、三郎のしなやかな腕が僕の首に絡みついた。これじゃぁ、仕事もはかどらない。どうしようかと思案していると、「さっきから随分怖い顔をしていたけれど、どうしたんだい?」と耳元を低い声が掠めた。

「あぁ、ここの翻訳で困ってしまってねぇ」

僕は売れない作家であった。国が外へと開かれて幾星霜か、流入してくる文化に花開きつつある我が国。それまで内内のことしかしらない人々は、浪漫だのなんだのと、外からのいうものに憧れを抱いていた。三郎は、どこからか、そういった外の話を集めてきては、僕に大和言葉に直すことをせがんだ。大衆を毛嫌していた三郎がその他大勢と同じようにのめり込むのは滑稽かもしれなかったが、鬱蒼とした日々を過ごすよりかはよいだろう。目を輝かせて読む三郎に、最初は、ただ遊びのつもりで彼が選んできた話を僕が翻訳していただけだった。作家としては売れなかったが、どうやら僕にはそういう才能はあったらしい。いつの間にやら、それが店で売られる様になっていた。どうやら三郎が版元に売り込んだらしいのだが。まぁ、日々のご飯に困らなくなったのから、それはそれでよかったのだが…。

「何て書いてあるんだい?」
「I love you」
「ふーん。で、どういう意味?」
「それに困ってるんだよ」

僕が嘆くと、三郎は「あらぶゆ。あらぶゆ」と呪いの言葉のように音面をなぞった。

「ちっとも、わからないな。どんな人がどんな時に使う言葉なんだ?」
「んー、そうだな。さっきの僕らみたいかなぁ」

そう答えると、三郎は柔らかく微笑んだ。窓の向こうに、満月。



「月が綺麗ですね」


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