「失礼します」

返事を待たずに障子戸を横に滑らすと、就寝の身支度を終えた先輩の、背中が視界に入った。
吹き込んだ風に揺れた蝋燭の焔に合わせて、まっさらな寝巻きに落ちた影が蠢く。
なんだかいつもより、その背中が小さい気がして、その理由を探す。

(あ、背中を丸めているからか。まるで、猫が寝てるときみたい)

先輩は、竹のように、すっと背筋を真っ直ぐに伸ばしている印象が強いせいか、不思議な感じがする。

「あぁ、綾部。ごめん、ちょっと待って」
「あ、いいです。本を返しに来ただけだから」

右手に持つ小刀に目を落としたままの先輩に、慌てて中座しようとしたけれど、
「うん。けど、綾部の感想が聞きたいし」という言葉に、浮かりかかった腰を降ろして。
先輩の手元を照らす灯りが風で揺れないように扉を閉めようと、ずりずりと背後に手を伸ばして下がる。

-------なんとなくだけど、その背中を見てたくて、



「爪、切ってたんですか?」
「あぁ。ほったらかしにしてたら、随分、伸びちゃってな」

小刀を鞘に戻しながら顔を上げた先輩は、照れ笑いを浮かべてた。
しなやかに体躯を腰骨から立てる姿は、いつもの先輩で。
ちょっと残念、抱きつけばよかった、なんて思う。

「足って、切るの、時々、忘れますよね」
「そうそう。危うく巻き爪になるところだった」

先輩は削った爪を反故紙に包むと、その場から屑かごに向かって放った。
それは私の目の前で、ゆるやかな弧の軌跡を描き、すとん、綺麗に収まった。

「夜に爪を切ると親の死に目に会えない、って言いません?」
「綾部でも、そんな迷信を信じるんだ」

先輩の目が少し見開いて、驚いた色に染まっていた。

「迷信は信じませんよ」
「え?」
「でも、おばあちゃんが言っていたので」
「そっか。なんか、綾部のおばあちゃんだと、当たりそうだな」
「そうですか?」
「あぁ。…まぁ、俺らみたいな生き方の人間は、親の死に目なんて会えないだろうけど」

先輩の柔らかな笑みに、きゅ、っと胸が哀しく音を立てて。

「綾部?」
「なんか、抱きつきたくなりました」

(どうか、その背中で哀しみを抱え込まないでください)



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