鉢雷(現代 Route66設定)

さよならでもまたねでもないの続き



愛しい日々が切り抜かれたまま、そこにあった。床には、タワーのように積み上がったCDやDVDと、散乱しているブックレット。いつもと変わらない、光景。何一つ変わってない、部屋。

(まるで、今朝、出て行ったみたいだなぁ)

日常の続きを今すぐにでもすることができるくらいに変化のない景色に、僕は、三郎が旅に出ていることが信じられなかった。--------ましてや、もう、二度と帰ってこないかもしれない、なんて。けれど、あの凍えそうなほど冷たい夜に膚の熱を分かち合った瞬間、僕は気付いてしまった。三郎が必死に守ろうとしていたものの正体を。そして、懸命に保とうとしていた均衡が朽ちていく柔らかな音を、僕は確かに聞いたのだ。

(もう、戻らない。戻れない)

結局、僕は電話を取らなかった。

***

今時珍しい黒電話は、不機嫌な声みたいな呼び出しの音を、ずっと、鳴らし続けていた。こんなに根気のある三郎の友人など知らない。勧誘の電話にしては、あまりに遅すぎる時間だ。そんな推論をしなくたって、心が叫んでいた。三郎からだ、って。けど、僕は迫りくるベル音と振動を、見て見ぬふりをした。

(だって、まだ、出ていない------さよならでもまたねでもない、答えが)

三郎は僕に執行猶予を与えたつもりなのだろうか。終わらせるために。だとしたら、とんと見当違いだ。だって、まだ、何も始まってない。けれど、じゃぁ、今までの過去を全て清算できるのか、と問われれば、僕は首を縦に振ることができなかった。

***

ようやく沈黙した電話に、僕は、彼の部屋へと足を踏み入れた。

馬鹿みたいに広い家の、ほんの一室を彼はテリトリーにしていた。コレクター気質というべきか、変に熱中すると、我を忘れてごちゃごちゃと関連したものをどこからともなく集めてくる。その時々で変わる三郎の収集癖は、食玩やペットボトルキャップ、などなど、けれど、一過性の病みたいにブームが立ち去れば、その物は突然、なくなってしまう。たくさん部屋が余っているのに、そこに押し込むことなく処分をする。僕が知る限り、唯一、棄てられなかったのは、レコードやCD、DVDといった類だろうか。いわゆる『ジャケ買い』をするせいか、そのジャンルは多岐にわたっていた。それを種別に分けるとか、そういったこともせず、ただただ、山のように積まれていた。

(この中に、あるんだろうか)

あの日、ぼんやりと明るい曇り空の下、だらだらと歩いた坂道の途上で彼が呟いた「ルート66」。若者二人が冒険を求めて旅するドラマ。そのDVDを見れば、何かが分かるのだろうか。それが道しるべになるというのだろうか。

(この、問いに答えを出すための)

山積したCDやDVDのケースを掻きわけようとして、ふ、と、ギターが目にとまった。もらいものだ、と言っていたそれは、生身のまま壁に身をもたれさせられている。ケースに入れない理由を「どうでもいいものだから」と言っていたけれど、本当は違うことを僕は知っていた。盤面に照明が落ちると、いつも、磨きこまれたようにぴかぴかと光っていたから。---------それも、今は、うっすらと白っぽくなっているような気がした。

***

「ギター?」
「そう。ピアノもいいけど、持ち運びができないからさ」

僕が初めてそのギターを見たのは、三郎がやたら酔っぱらって帰ってきた日だった。歩くだけでクスクスと笑い、鼻歌が生まれる三郎に、よっぽどいいことがあったのだろう、と「どうしたの?」と尋ねた。すると彼は、芝居がかったかのように両腕を広げ「よくぞ聞いてくれた」と大仰な声を上げた。嬉しさのあまり子どもみたいに「見てくれ見てくれ」とそれだけを繰り返し、にやけた顔で、部屋の外に連れ出そうとぐいぐいと僕の腕を引っ張った。

「ちょ、三郎、待ってよ。痛いって」
「あ、すまない」

あまりの力強さに、悲鳴じみた抗議をすれば、ようやく三郎は握りしめた腕を解放してくれた。それでも、すぐさま「ほら、早く、雷蔵」と手招きしていて。本当に楽しそうな、ふわふわと甘い足取りに付いていけば、現れたそれ。琥珀色のフォークギター。丸っこいフォルムは、ぽてりとしていて、愛嬌を感じさせる。どことなく古びた感もあるけれど、それが逆によかった。

「どうしたのさ、これ」

僕が尋ねると、三郎は宝物を自慢する幼子みたいに、胸を張って「もらったのさ」と得意げに答えた。話を詳しく聞けば、バイト先の伝子さんのつてで手に入れたらしい。ずっと憧れていた、と、ぼそりと呟く三郎は、歳相応の照れた顔をしていた。三郎のピアノの腕前を知っていたから、「何か弾いてよ、三郎」と僕は、頼んだ。すると、彼は慌てて、手を振った。

「そんな急に曲が弾けるわけないだろ」
「でも、音ぐらいは、鳴るでしょ?」

僕の頼みに「まぁ、そうだが」と言い淀み、それから、彼は指を弦に伸ばした。まるで、硝子細工に触れるみたいに、そっと。---------奏でられた音はたどたどしく、けれど、揺らされた空気は、祈りみたいに美しかった。

***

その日から三郎は暇さえあれば、ギターと戯れていた。とても愛しそうな顔をして。

「お前も、置いて行かれたのか」

自分でそう呟いて----------あまりの淋しさに、僕は泣きたくなった。答えなんて、とっくに出ていた。さよならでもまたね、でもない、その答えを。迷うことなんて、一つだってなかった。なかったのは、勇気だった。事実を受け止めるだけの、そして、それを赦すことの。

(馬鹿だなぁ、今さら気付くなんて)

ギタの弦を弾いてみる。あの日、三郎が紡いだのと同じ調べが僕の耳に届いた。






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