竹久々(現代)
「結構、暗いな」
「そうだな」
時間を潰すために店で飯を食っている時は、やっと暗くなってきたな、と思う程度だった。だが、会計を済まして、一歩外に出れば、物の隈は闇に浸食され、その輪郭は曖昧になっていた。標識のポールだったりガードレールだったり、白っぽい物はぼんやりと浮かんで見えるが、元から暗色に近しいものは闇間に取り込まれてしまっていた。
「これだけ暗いと、光が栄えるだろうな」
まだ見ぬ灯りを想像したのか兵助の口元に笑みが浮かぶ。春休みを利用して旅行しようとなって兵助が行き先の候補地の一つに挙げたのがこの古都だった。計画を立てる時に、ネットでたまたまライトアップをするというのを知って。兵助に伝えれば「行きたい」という返事がすぐに戻ってきて、俺は行程にライトアップと灯明で照らし出された路地を歩くのを入れたのだった。ただ、一日観光して歩き回って疲れてるだろうし、と、火が灯り出したのを見たらすぐに帰ろうと俺は考えていた。だが「どうせなら完全に暗くなるのを待たないか?」と兵助が言ってきて。その言葉から兵助がすごくこのことを楽しみにしているのが伝わってきた。だからだろう、話し掛けてきた彼の声のトーンは低かった。
「なぁ、ハチ、本当にこっちで合ってるんだろうな」
「と、思うけど……」
カッコいいとこを見せるために胸を張って断言したいところだったが、そうもいかねぇ。つい、言葉を濁してしまったのは、俺も自信がないからだ。歴史で習った都という印象が強いからだろうか、通りに「三条」とかそんな名前が付いているからだろうか、勝手に格子状に東西南北と道が組まれていて整然としているイメージがあった。だが、実際は、そうでもねぇ。もちろん、大通りなんかは、きちんと道の交差は賽の目のようになっているのだが、細い路地にいったん入り込んでしまえば、案外、入り組んでいて、分かりづらかった。
(こっちで合ってるよな……)
改めて兵助に問われ不安になってしまったのは、飯屋を求めて歩き続けているうちに、気がつけばその細い路地裏をさまよっていたからだ。会場となっている通りからは外れているのか、普通の街灯がぽつんぽつんと白っぽい光を落としているだけで、ライトアップされている雰囲気が全くなかった。ネットで見た写真は足下に灯籠のようなものが置かれていたが、そんな気配も全くない。ただどことなく闇の端に浮かれた空気が溶けだしているような気がして、俺は心配そうな面もちの兵助に「大丈夫だって」と告げ、先だって歩きだした。ぱたぱた、と響く靴音。すぐに並んだ影が石畳の上で重なる。--------それはまるで手を繋いでいるみたいで、己の右手が掴む空虚に淋しさを覚えて。
(暗ぇし人気もねぇから繋いでくれねぇかな)
兵助は絶対に昼間や人目のある所では手を繋いでくれなかった。マイノリティだからというよりも単純に恥ずかしいだけなのだ、というのは兵助の性格上よく分かっているつもりだが、それでも、やっぱり手を繋ぎてぇ、大事な人の温もりを感じていてぇと思うのは自然なことなわけで。
(……けど、何て言うよ)
いきなり「手を繋ぎたい」だなんて言ったところで「何で?」と言われるのが目に見えていた。天然というか、素でそういうことを口にするから厄介だ。兵助が手を繋いでくれるときというのは、彼がその理由について納得した時だけだ。だが、今みたいに、単に兵助の温もりを感じていたい、っていう想いがあるだけで、きちんとした理由があるわけじゃねぇと、当然その問いには答えることができねぇ。俺は足下で繋がっている手を見ながら歩き続けた。脳裏に「へたれだな」と嘲う三郎がぽん、と出てきて、頭の中で「うるせぇ」と言い返す。どうにか理由を付けづに手を繋げねぇだろうか、と考えるが妙案は浮かばない。
(もう、いっそのこと実力行使か?)
どうしたって思いつかねぇものは思いつかねぇ、と、一気に影じゃなく実際の距離を埋めようとした瞬間、
「お、合ってたみたいだな」
指先が空を切った。右側からあがった声に、ぱ、っと路地の影から俺は顔を上げれば、ぼんやりとした意識に温かな光が飛び込んできた。夜を賑わせる楽しそうな気配。さっきの路地での様子が嘘みたいに、たくさんの人であふれていた。どう声をかけるか考えてもたもたしているうちに、どうやらライトアップを行っているメインストリートにたどり着いたようだ。
(あ、)
これだけの人手であれば、兵助は手を繋ぐことを拒否するに違いない。せっかくのチャンスだったのにな、と自分のふがいなさを罵りたくなる。だが、もう、どうしようもねえ。悩んでいるうちに何もできなかった。結局、指一本分の距離は埋まることなく、右手の淋しさが増しただけだった。
「綺麗だな、ハチ」
「……お、おう」
いきなり話を振られて、素っ頓狂な声が出てしまった俺に「大丈夫か?
何かずっと黙ってたみたいだし」と案じるような眼差しを兵助は向けてきた。その優しさに、まさか「どうしたらお前と手を繋げるか考えていた」だなんて言えるはずもなく。何でもねぇ、と手を振ってみる。兵助は眼差しを不思議そうなそれに変えて「ふーん」と呟くと、人の流れにその身を投じていく。だが、俺はどうしても諦めきれなくて。
「兵助」
つい、人波に飲み込まれそうな背中に声を掛けていた。振り返った兵助はちょうど淡い糖蜜色の灯りに照らし出されて、すげぇ綺麗で。----------綺麗すぎて、俺はそのまま言葉を失ってしまった。
「ハチ?」
「……や、何でもねぇ」
何か眩しいというか、まるでそこが聖域みたいな気がして。急に直視できなくなってて、俺は目を足下に落とした。あからさまな態度に「どうしたんだよ?」と怪訝な声を兵助が上げているのは分かっていたが、どうしても顔が見れねぇ。さっ、と兵助の隣を追い越して通り抜けよう、と歩速を上げようとした瞬間、
(えっ)
ぐ、っと引っ張られたダッフルの袖。そこにあるのは兵助の指先だった。
「……すげぇ人だから」
驚いて振り向いた先にいる兵助の顔が赤くなっているのは光のせいだけじゃないだろう。俺はコートの袖を掴む兵助の指をぱっと振りほき、そのまま、彼の手を自分のそれで包み込んだ。びくっ、と一瞬固まった彼の指先は、そのまま解れていく。-----------溶けていく互いの温もりは、これから来る季節のように温かなものだった。
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京都オフ記念
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