第8話:母と子


 測定が終わり、在は水槽から出る。すると帰宅を命じられたことを知った。
「どうして」
「リカ直々の命令よ。やはり半年前だもの、お母さんに会いなさい。会えるうちに会うべきね」
「ネグリジェさんに……わかりました」
「あなた、」
「失礼しました」
 ミキの言葉を遮るようにそう言うと、在は駆け足気味に研究室を立ち去った。その背中をミキは見つめ、まだなのだと悟る。
「在、あなたはまだネグリジェさんを母だと思えないのね」
 ミキの大きな独り言に、部屋の片隅に居たルルンがゆっくりと瞬きをしていた。


 在は寮の自室で簡単に外に出る準備をすると、学園の外に出る。校門で己を待っていた黒い高級車に乗り、流れる景色を眺めた。運転をするのは在に長年連れ添ってくれた初老の執事だった。
 無言の高級車は走り続け、やがて一つの山に入る。そこは既に上野家の敷地だ。
 車は山を登り、大きな門をくぐると見えてきた大きな城の前で止まる。執事が戸を開くと在は車から降りて、執事からネグリジェの居場所を聴き、中庭に向かった。

 花が咲き乱れる中庭が見えるバルコニーにネグリジェは居た。プラチナブロンドの長い髪と青い瞳の女性は、在に気がつかずに手紙を読んでいた。その手紙の家紋を判断すると、在は急いでネグリジェに駆け寄る。
「あら、在、おかえりなさい」
「ネグリジェさん! その手紙は」
「いいの、気にしないで」
「気にしないなんて出来ません! だってそれは俺の」
「在」
 ネグリジェはふわりと微笑み、在に語りかける。
「お母さん、とは呼んでくれないのね」
「……それは」
「お母さんだと思えない?」
「そんなことはないです、ネグリジェさんは俺を育ててくれました。」
「そうね。無理強いはしないけれど、少しだけ、寂しいわ」
「……ネグリジェ、さん」
 ネグリジェが手紙を仕舞おうとするのを見て、在は力強く言う。
「見せてください」
「在……」
「せめて俺に見せてください。それは俺の問題の筈です」
「見せないわ」
「どうして!」
 在の困惑した声に、ネグリジェは柔らかに言う。
「貴方を守りたいの。貴方はまだ子どもだわ、大人に守られるべき存在なの」
「そんな」
「さあ、部屋に入りましょう。改めて、おかえりなさい在、お茶を飲みながら学園での話を聞かせて頂戴」
「……はい」
 ネグリジェの有無を言わさぬ声に、在はただそう答えるしかなかった。そしてその答えに、ネグリジェは満足そうに部屋に入るのだった。

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