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▼ 05

 なんでこんな目に遭うのかと青年はこれまでに何度思ったか分からない。青年は仕事場から出て品物を納品した帰りに形容し難い黒い妖に追われていた。
「あー、クソッ!」
 その青年は紙一重で妖の肢体から逃れながら、走る。逃げ足だけは早いと自負するそれは確かに早い。勢いをつけて腰ほどまである塀を飛び越え、古民家に侵入すると青年は先生先生と叫んだ。
 屋敷の敷地を叫びながら青年が走り回っていると、換気のためにがらりと音を立ててガラス戸を開いていた初老の男が嫌な顔をして青年を見つけた。
「おい、俺の家で何をしているんだ。」
「あ、いた! ハヅキ先生どうにかしてください! 」
「はァ。 それぐらい自分で何とかしろ。俺は家の掃除に忙しい。」
「エエッ、何ヶ月ぶりですか? 前回の時は夏のお盆の頃じゃなかったですか?! 」
 逃げて走りながら喋る青年に、初老の男は器用だなとぼやきながら家の戸を開く作業を再開した。ガラガラと音を立ててガラス戸や木戸、果てには障子戸を外して庭に立てかけていく。その間も青年は走り続けていたので中々に滑稽な図である。
 しかし人の体力など知れたもの。青年の足が少しばかりふらついたところで、古民家の屋根から声がした。
「やあやあイツカ君。今日も楽しそうだねえ。それは何かい、鬼ごっこというやつかい、鼬ごっこというやつかい。」
「ゲッ、お前いたのかよ! 」
「何々此処は私の幾つかのねぐらの一つさ。居たって何の不満も無いだろう。さてさてハヅキ先生や、掃除は終わったかい。」
 屋根からひょいと顔を下に出した男に、初老の男は優しい笑顔を見せる。
「いや未だだからそこで昼寝でもしているといい。」
「そうかいそうかい。ハヅキ先生は今日も働き者だねえ。それに比べてイツカ君はごっこ遊びをしている。」
「五月蝿い! 好きでこんな事になってんじゃねえ! 」
 嗚呼煩いと屋根の男は耳らしきところを押さえ、仕方無いねえと覗かせていた頭を引っ込めるとひょいと地面に降りた。しかしその足は拳一つ分空に浮いている。
「ひとつひとつ、ハヅキ先生や、これは喰ってもいいのかね。」
「腹を壊すから止めておいたらどうだい。」
「ふむふむしかしそうかねえ、案外美味しいかもしれないよ。これはちょっとした夢の塊の様子だからねえ。」
 男は美しい蒔糊散らしの被衣から滑るように手を出し、青年を追いかける妖を指差した。そして青年が苦々しい顔をしながら男へと向かって走り、男と妖が近づくと、男の被衣がぶわりとある筈の無い風に揺れた。身に纏う狩衣までもがばたばたと揺れ、とうとう被衣は空に舞った。すると男の姿が一瞬で墨の様に宙に溶け、かと思うとそれが妖を取り込んで、男の姿に戻る。
 狩衣姿の男は先が赤い紐で結ってある長い黒髪を揺らし、息を切らして地面に座り込む青年へと振り返った。
「おやおやイツカ君はばててしまったか。」
「五月蝿い。 ハヅキ先生何で助けてくれなかったんですか! 」
「面倒臭い。無が助けてくれたのだから問題無いだろう。」
「妖なんかに助けられたくないんですよ! 」
「おやおや、私は食事をしただけだがねえ。」
「嗚呼そうか、不味くはなかったか? 」
「中々美味しかったよ。次はもっと美味いモノを連れて来るといい。」
「知るか! 好きで連れて来てるんじゃない! あー、もう、だから妖は嫌なんだ。」
 ぼやく青年を無視して初老の男は狩衣姿の男に飛び去っていた被衣を渡した。満足そうにする男の一方で、青年はやっと息が整った様子で立ち上がり、挨拶をして敷地から出た。気だるげに頭を掻いて歩くその背中に、男は笑みを浮かべながらひらひらと手を振っていた。そして初老の男の方はというと、もう興味を失くした様子で掃除へと戻っていたのだった。




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