マツミナ/深夜にチョコレイト



 手の中にはダークブラウンのパッケージ。手のひらに収まるそれに、私は頭が痛くなる。嗚呼、何故買ってしまったのか。
 初まりはただ、夜のタマムシデパートでふらふらと食料品を見て回っていたところ、何やら半額の菓子があることに気がつき、それが贔屓にしている店のもので、数が二つぶとあるから旧友と分ければいいかと深く考えずに買ってしまったのである。以上。簡潔なまとめである。現実はエンジュの旧友の玄関前。現実逃避をしていても、時間は無駄に過ぎてゆく。当たり前なのだが、いっそこれは日付が変わってからの方がいいのかと考えてしまう。そう、日付である。これがその日付の時だけ特別な意味を持ってしまうものなのである。さて、肝心の本日の日付であるが、2月14日である。手の中には二つぶしか入っていない所謂高級チョコレート。
「……積んだ。」
 絶望的な時に呟くといいと選ばれたあの子に教えられた言葉を呟けば、無常にも引き戸が開かれる。そりゃ、旧友が私の気配に気がつかないわけがないのは分かっていた。そして深夜近くに玄関前でいつまでも棒立ちでいることに疑問を持つのも分かっていた。恐る恐る旧友の顔を見れば、呆れた顔をして言われた。
「とりあえず入りなよ。」
「すまないんだぜ、マツバ……。」

 二人で茶を淹れて今でちゃぶ台を挟んで座る。ポケモンたちはというと、ゲンガーたちゴーストタイプはむしろ今から元気になるようなものなので遊び回っている。居間に寄ってこないなんてことはなく、ひょいと覗いてはそろそろと逃げていく。多分マツバがお怒りモードだからだ。ピリピリとした気配に合わさった笑顔が逆に怖い。
「で、ミナキ君。こんな深夜に何しに来たのかな。」
「あ、あのな、マツバ。これはちょっと、その、衝動的な。」
「こんな時間に出歩くことが危険なのは女性だけではないって言ったよね。老若男女、誰だってこんな夜中は危ないんだよ。危険な人間も出歩くし、この街はゴーストタイプが好き好み易いんだ。連れてかれてもいいのかな?」
「す、すまない。」
 ハァーッと長いため息を吐いて、マツバはやっとピリピリとした怒りを和らげた。しかしこのタイミングで言うのもと思って気がつく。もしかしたらマツバはバレンタインを知らないかもしれない、と。
「あのな、マツバ。これを買ってきたんだ。二つぶしかないから二人で食べないか。オススメの店でな。」
「あ、バレンタイン?」
 希望は打ち砕かれた。早い。マツバが滅多にない速度で私の心にダメージを与えた。HPゲージが赤くなりそうだ。
「僕が毎年バレンタインに近所のおばさんたちとかからチョコレートを与えられることは知ってるよね。」
 与えられるという表現がもう怖い。しくじったと思う。これは火に油を注ぐ行為だったと。今度からバレンタインには気をつけようと心に刻みつつ、大量のチョコレートの仕分けに何度も手伝わされていることを思い出す。何で忘れていたのだろうか、夜だからか。疲れているのだろうか。
 そう考えているとマツバが仕方ないという声色で告げる。
「とりあえずそれは食べないとね。」
「……え?」
 信じられない言葉に驚いていれば、マツバは手慣れた動作でダークブラウンの包装紙を外し、現れた黒い箱を開いて艶やかな赤いコーティングがされたチョコレートを口に運ぶ。その形がハートであることに気がつき、どうしようもなく焦って立ち上がろうとすれば足を打ち、予想外の痛みに耐えていればマツバがゴクリと食べ物を飲み込む音がした。顔をあげれば差し出されている赤いチョコレート。
「口を開けて。」
 考える間も無く言われた通りに口を開けばチョコレートが舌の上に置かれる。指先が離れたのを確認して、私は口の中のチョコレートを咀嚼した。フランボワーズの酸味と調節されたチョコレートの淑やかな甘みが心地良い。ゆっくりと味わって飲み込めば、マツバがほらねと続けた。
「美味しかったでしょう。」
 マツバもちゃんと味わったのだなとか、いつも微笑みを浮かべている顔が無表情なのは何故なのかとか、どうして今だったのかとか。色々なことが脳内に散乱して、どうしようもなくて目を閉じればマツバの声が聞こえる。
「今日はもう寝なよ。」
 今になって強い眠気を感じたのだった。

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