マツミナ/対象を失った探求者であった彼は新たな目的を見つけるまで眠るのだ/日常


 このところ穏やかな日々が続いている。私はマツバの家に住み着き、家事や書類の整理をして過ごしていた。居間の机の半分を占領して行うのはかつて追いかけていたスイクンの資料だ。走り回っていた時は出来なかった資料の整理を今になって私は手を付け始めたわけだ。もう私はこの足で走って北風のポケモンを追いかけることはないだろう。彼はあの子を選んだし、あの子は彼を放したけれど私を選ぶことは未来永劫に無いのだと私は分かってしまったのだ。ショックではあったが、それよりもあの子を見て納得したのだから何もわだかまりなど無い。あの子は正に唯一無二の無色透明なのだ。何にも染まることのない、揺らぐことのないヒロイックを纏う子どもなのだと。

 時計を見ればそろそろ夕飯を作り始める時間だった。書類を手早く片付けて、書類置き場にとマツバが与えてくれた書斎に運ぶ。書斎にはたくさんの本が揃っており、書庫にはこれ以上に和綴じの本や巻物や洋書まで膨大にあるらしい。書斎に並ぶ、わりと最近の本達を通り抜けて私の持ち込んだダンボール箱以外は何も置いていない作業台の、ダンボール箱に書類を入れ込む。そこそこ整頓して入れて、書斎を出た。

 今日はいただいた新鮮なレンコンがあるからきんぴらを作ろうと考えながら廊下を歩き、居間を覗き込んだ。そこにはさっきはいなかったマツバが居た。おかえりと言えばただいまと微笑まれた。
「ジム戦はどうだったんだ?」
「僕が勝ったよ。まだジムバッジはあげれそうに無いチャレンジャーだったなあ。」
 穏やかなその声にそうかと相槌を打って考えていた今日の夕飯を言えば、私の作るシチューが食べたいと言われたので、ならばとメニューを考え直す。
「野菜がたくさん入ったシチューにしよう。冷蔵庫の中を整理するのを兼ねてもいいかもしれないな。」
「いいんじゃないかな。明日の朝ごはんは僕が作るね。」
「お願いするぜ。」
 居間から離れて台所で食材を準備する。シチューのルゥが見つからないのでホワイトソースから作ることに決めて小麦粉などを漁っていればふわふわとムウマージが寄ってきた。マツバのムウマージである彼女は料理に興味があるらしく、調理をしていると必ず近寄ってくるのだ。手伝いを申し出てくれた彼女に指示をしながら食材の準備を続ける。途中でゴースも混ざって調理を開始すれば、いい匂いにつられてやってきたマツバのポケモンたちにいつの間にか囲まれていた。しかし何時ものことなのでそう気にすることではない。

 出来上がったシチューの味見をして、マツバに声をかけてシチューの鍋を持って移動する。ちなみに食器や飲み物はポケモン達が持ってくれている。居間の机に鍋を置き、ポケモン達の食事を用意してから皿に盛り付ける。
「美味しそうだね。」
「熱いから気をつけるんだぜ。」
「ふふ、気をつけるよ。」
 いただきますと挨拶をしてスプーンでシチューを口に運ぶ。モーモーミルクの優しい甘さを仄か(ほのか)に感じるそれは中々の出来だ。マツバは美味しいと嬉しそうに笑って食べてくれた。

 食事を終えてポケモン達と食器を運ぶ。が、その前にとマツバに声をかける。
「風呂なら洗ってあるぜ。あとは湯を張るだけだ。」
「ありがとう、それじゃあ」
「すぐ入るか?なら、」
「そうするよ。お湯なら自分で調節するから。」
「そうか。ならゆっくり入ってくるといいんだぜ。」
 ただし寝ないようになと笑えば、分かっているよと笑い返してくれた。
 台所で食器を洗う。手伝いに名乗り出てくれたのはムウマージとスリープだ。ふたりの手を借りながら後片付けを済ませればまだマツバが風呂に入っていた。それを確認して書斎から書類を運んで整理の続きに取り掛かった。この家に持ち込んでいない書類を思い出しながら、脳内の今度帰ったら持ってくるリストに連ねる。
 しばらく整理に熱中していると視線を感じて顔を上げる。すると机を挟んだ向かいにマツバがいた。じっとこちらを見ていたらしいマツバがお風呂が空いたよと言ったの聞いて返事をし、伸びをしてから立ち上がって風呂に向かった。

 風呂から出れば居間でうつらうつらしているマツバがいた。その姿に見兼ねて居間に布団を敷く。ポケモン達と運んだその布団についでにと用意しておいた湯たんぽを潜り込ませ、マツバの肩を叩いた。ふらふらとしているマツバを布団に入らせてその目元を手で覆う。
「おやすみ、マツバ。」
 僅かな衣擦れの音にすら掻き消されそうな返事を聞いて、私は手を離してそっと立ち上がり、居間の電気を消した。

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