マツミナ/先送りの救済/君との境界にはスイッチがある


 君との境界にはスイッチがある。鮮やかな真赤をしたスイッチはぎらぎらと存在を主張して僕らを惹きつけるけれど、僕らはずっと見ないふりをした大人だった。

 それが現れたのはきっとあの子が僕に待ち望んだ景色を見させた時だ。降り立った虹色の神様に、僕は首を垂れるわけではなく、ただ網膜に焼き付けるように神様とエンジュの空を見つめていた。三回の揺れの後、あの子が神様に選ばれたその瞬間に僕は崩れ落ちるように意識が曖昧になり、人には見えないスイッチが現れた。
 風のように移動する憧れを追い求める旧友がちらほらとエンジュに顔を出してくれた。スイッチが彼との境界だと気がついたのはそんな時だった。玄関を開いた先に立つ彼の優しい微笑みと、その体と僕の境にあるスイッチに、僕は悟ったのだ。これに君はまだ気がついていないのだと。

 季節が巡れば、ミナキ君は稀にひょっこりと顔を出した。そして一日ほどゆっくりとして、また旅立った。何度も何度も繰り返す中で、スイッチの赤がだんだんと目にちらつくようになった。最初はただスイッチがあるなと思うだけだったのに、いつの間にかその赤に嫌な汗が滲むほどだった。
 そうして恐怖し嫌悪する日々の中で、とうとう恐れていた日が訪れた。

 前回の来訪からあまり時間を置かずに彼が僕の家を訪れた。急いで玄関に向かえば清々しい笑顔をした彼がいた。その顔に僕は苦しくなって、無理をしないでいいのだと告げた。彼の目が潤み、一筋の涙が流れた。憧れがあの子を選んだのだと理解した。
 彼はたくさん泣いて、泣き疲れて眠るその姿を見てゲンガー達が持ってきてくれた毛布をかけてあげた。数時間後にやってきた夕暮れ時に、彼は告げた。
「スイッチが見えるんだ。」
 その目は虚ろだった。その危うい姿に僕はそっと告げた。
「そんなものは見えないさ。」
 少しでも彼が楽になれたらという願いを乗せたその言葉に、彼はゆっくりと瞬きをしてから、僅かに微笑んだ。
「ああ、少し夢うつつだったみたいだぜ。」
 その目はスイッチから逸らされた。

 その日から僕らはスイッチが見えないふりをしている。いつか彼の心が癒えたら、押す日が来るのかもしれない。けれど今はまだ何もしないでいたかった。スイッチを押した先は未知で、何の整理もついていない人間の僕らには恐ろしすぎるのだ。
 そうして、やがて訪れるスイッチの役目を僕らは予感したまま、今日も笑い合う。

- ナノ -