落ちる、落ちる。指先から、手の甲から、ゆらり、水の中のように、ぬらり、落ちてゆく。
(目を、開けなければ)
そう思うも、目はなかなか開かない。何故だ、何故だ。これは、何だ。水の中で落ちてゆく。これは何だ。この心地良いこれは、これは。
(夢…?)
私の目が開く。そこはまさしく水の中。そんな水の中を私は落ちてゆく。熱さも冷たさも感じず、ただ、水の感触を得ながら落ちてゆく。それは微睡みのようで、どこまで落ちてゆくのだろう。
(それは、些細なことなのだろうか)
否、重大なことだ。私は落ちるのをやめねばならない。止まらねばならない。しかし、どうやったら止まるというのだ。足をばたつかせるのか、手で藻掻くのか。
(どちらも、違う)
何なのか。何なのか。
その時、ゆらりと何かが水面に映った。何かは水色をしていて、薄い紫でもあって。そうだ、何かは恋い焦がれた。
(スイ、クン…)
「ミナキ君!」
ぱちり。目覚める。
何度か瞼を動かすと、私を心配そうにマツバが見ていた。近くには医者らしき人もいる。
「ミナキ君は時間を過ぎても、揺すっても大声出しても全然目覚めなかったんだよ。大事だといけないと思って医者を呼んだんだ」
「そう、か」
医者は私を軽く診察すると帰って行った。私は始終ぼんやりと夢のことを考えていた。あの夢の心地良い落下に思いを馳せていた。恋い焦がれるスイクンまでいた夢は、あまりに甘美だった。
「ミナキ君?」
「…ん、ああ、すまない」
「何かおかしいよ、どうしたの」
「何でもないさ」
「嘘」
私はゆらりとマツバを見る。マツバは私をしっかりと見据えていた。
「夢なんでしょう?」
「…ああ」
「スイクンの」
「マツバは流石だな」
嘘は吐けないと笑みを零すと、マツバはうっすらとした笑みを浮かべたまま言う。駄目だよ、と。
「?」
「ミナキ君は渡さない」
「何を言っているんだ、マツバ」
マツバはまるで私の向こうを見るような目をしていて、私は静かに後ろを振り向き、庭を見る。するとそこには、清らかな池には。
(スイクン)
私は素早く立ち上がり、駆け寄る。否、駆け寄ろうとした。
グイッ
痛みすら覚える力加減で、マツバが私の腕を掴んでいた。
「マツバ!離せ!離せマツバ!」
「…」
「嫌だ、スイクン!私だスイクン!嫌だ、お願いだ、私を」
私、を…?
「駄目だよミナキ君」
マツバが力一杯私の腕を握りしめる。痛い、いたい、でも、スイクンが。
「ミナキ君は連れていかせないよ。」
嘘水面鏡
(連れ去りの亡霊)
スイクンは本物。夢は幻覚。マツバの思い込み。ミナキの自殺願望。