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第三者視点


 少しだけ暖かくなった朝の風、初夏の朝日の中で、ヒカルはいつものように赤いリボンを頭に纏う。しかしその目がいつもと同じだったのはそこまでだった。決意を秘めた目で、ジャージではなく最初に本丸にやって来た時の制服を身に纏った。紺色の襟をした夏のセーラー服、深い紺色のプリーツスカートは夏らしい軽やかな素材で出来ていて、長さは標準より短い。そしてオレンジ色の目をゆっくりと閉じて、息を吐いた。
 瞬間、ヒカルの姿は本丸から消えた。


………


 ヒカルが居ない。そう気がついたのは朝のランニングにと呼びに来た愛染だった。叫び声に審神者が反応し、またなのかと青ざめる。獅子王も含めた刀剣男士全員に式を飛ばし、本丸内で二度目のヒカルの捜索が始まった。
 審神者は連絡役と本部を務めるために自室で待機し、獅子王達は本丸内を駆け回る。あそこにはいなかった、ここにもいなかった。すべて審神者に報告し、その度に審神者は本丸の見取り図へ結果を書き込んでいく。
 その図がすべて埋まりそうになった時、時間は真昼間、正午ちょうどの瞬間だった。審神者がハッと顔を上げる。たまたまその場にいた加州と鯰尾が問いかける前に、審神者はゆらりと立ち上がった。
「ヒカルちゃんの気配がする……」
 そのまま部屋を出ようとする審神者を引き止めたのは偶然報告に帰ってきていた獅子王と愛染だった。どうしたんだよ主さんと愛染が問いかけると、審神者は口を開いた。
「庭の、すぐそこに気配がある!」
 途端に走り出した審神者に、獅子王達も続く。刀剣男士たる付喪神である彼らもヒカルの気配に気がついたのだろう。すぐに審神者を追い越した。刀剣男士達が皆、庭に集まる。
 そうして庭の真ん中に見えたのは、赤いリボンとオレンジ色の髪を揺らめかせたヒカルの姿だった。

 セーラー服の少女。どうしてその姿をしているのか、どうして突然消えて現れたのか。聞きたいことは山ほどあるのに、彼らがそれらの疑問を口にできるような雰囲気はなかった。ヒカルは沈黙し、目を伏せている。感情を表す筈のかんばせは、人形のように何も表していない。
 長い様で一瞬の様な、そんな異様な沈黙を破ったのは他でも無い、ヒカル自身だった。
「思い出したの」
 ヒカルは小さな唇を弱く動かして、静かに語る。
「私の全てを如何か許してほしい。そして如何か、私を、止めて」
 俯きがちだった顔と、伏せていた目を開いた時、“変化”、否、おぞましい何かとしか言いようの無い“起動”が起きてしまった。

「リミッター解除、プログラムの解凍開始、解凍率10、15、21……」
 ヒカルの髪がぶわりと舞う。少女の口から紡がれるのは、到底人の声とは思えぬ無機質な音声。
「何が起きているの? ねえ! ヒカルちゃん!」
 審神者が叫ぶ間もカウントは続く。獅子王達が動揺している間に、少女の起動は進む。
「98、100、完了、システムチェック、オールクリア、太陽による侵略プログラムを始動します」
 ヒカルは語る。
「私は太陽である。太陽は私である。太陽は父であり、母である。太陽は母体である。私は侵略プログラムA00。小太陽生成プログラム内蔵型。私は、この星を侵略する為にやって来たんです」
 突拍子も無い話に、獅子王達は目を見開き、ただただ信じられないと呟く。だが、ヒカルは語るのを止めない。
「まずは現在のこの星に太陽の影響がどれほどあるのか調べる必要があった。だから私はここに滞在した。結果、小太陽生成の必要が有ると母体は判断した」
 ヒカルの声をした、ヒカルの姿をした別の何かのように、少女はある筈の甘い軽やかさを含まずに、機械的な音を発し続ける。
「小太陽生成プログラムが作動すれば私を核に爆発が起きます。この本丸を中心に周囲に有る数多もの町、多層に広がる本丸が小太陽の土台となり、焼滅します」
 焼滅、その一言に刀剣男士たちはハッと息を飲み、審神者は頭を振った。
「こんなこと、いけないことだけれど。今思えば“私”には視察の任務しか与えられていなかった、なのに、“私”はみなさんとの日々を楽しいと思ってしまった。いちプログラムでしかない私の、心が育った。この心は虐殺に耐えられない」
 だから、とヒカルは言った。その声が僅かに人の肉声に聞こえた時、少女は悲痛な表情をして言った。

「だから、身勝手だけれど、どうか、私を止めて」

 最初に動いたのは獅子王だった。彼は真っ直ぐな目でヒカルを見つめる。
「どうやって止めるんだ」
 審神者がハッと獅子王を見上げる。待って、そう小さく呟いた。
 ヒカルはその人の声で、髪とリボンを揺らめかせながら続けた。
「私の腹か首を斬って。そこには重要な回路がある。そこを破壊すればプログラムは異常を察知して停止、再び凍結する。そして私は母体に帰還する」
 何かの痛みに耐えながら、微笑みを浮かべる少女に、審神者が戸惑いの声を上げる。
「それってつまり、」
「殺してってことか」
 はっきりと口にしたのは獅子王だ。審神者が信じたくないと目をぎゅっと閉じた。
「死という概念は私にはない。でも、A00では侵略不可能と判断されたこの地を、私は永遠に踏むことが無くなる」
「そんなの、死ぬのと同じだわ!」
「でもそれよりも私は、あなたたちを殺してしまうことが悲しい。あってはならないと思う。だから、どうか、許されないことかもしれないけれど、私を切り裂いて、止めて」
 そしてゆっくりと両腕を広げたヒカルは微笑みを最後に、一切の表情を失った。がくりと体が揺れ、ぶわと地面から浮き上がる。宙に浮かんだ彼女は、もはやヒカルではなかった。その目は何も映さず、ただ強いオレンジ色の光を放ち、口はやわくただし固く閉じられ、髪と衣服は風も無いのにゆらゆらと揺らめく。
 獅子王が刀を探して腰に手を当てた時、なあと声を掛ける者がいた。獅子王が反応して振り返ると、愛染が自身である短刀を差し出していた。
 獅子王は探る様に愛染の目を見る。異常な事態の中で、その目はしっかりと獅子王に視線を返した。愛染は口を開く。
「獅子王は今、本体持ってねえだろ。それに、オレの力じゃあヒカルを苦しませるかもしれない。だから」
 やるしか無いのなら、どうか一思いに。その言葉に獅子王はわかったと頷いて愛染国俊を受け取った。後方では審神者が力無く地面に座り込んでいる。嫌だ、嫌だと弱く頭を振っていた。しかしその姿を獅子王は一切見ることなく、ヒカルへと近寄った。
 ヒカルに近寄ると、最早彼女の声帯では無いどこかから機械音声がプログラムの準備を進めた結果を述べ続けていた。着々と進んでいるらしい音に、獅子王は僅かに眉を寄せ、少女に近寄ると、一声、声をかけた。
「腹を刺す。それで合ってるか」
 少女は何も答えなかった。獅子王はそれが分かりきっていたように、無表情で少女のセーラー服から覗く白い腹へと、一気に短刀を突き刺した。

 ぶわっと血が飛ぶ。けれどそれは空中で粒子となって消えてしまい、獅子王の手も体も汚れなかった。少女はどさりと地面に落ち、口からもたらたらと血を流しながら機械音声を放つ。
「異常察知、異常、異常、異常、エラー、プログラム緊急停止、凍結開始します」
 シュ、と音が止まった時、少女は安心したように笑った。
「ああ、良かった、本当に、良かった……」

 獅子王がヒカルを抱き上げると審神者がよろめき、足をもつれさせながら駆け寄って、止血をと叫んだ。そして式すら呼び出そうとするその腕を、愛染が掴んで止めた。ヒカルはそれを見て、微笑む。
「止血をしてしまえば太陽はこの地に付け入る隙があると判断する。それは全てを水の泡にする」
「でも、そんな、」
 狼狽え、顔を青ざめたままの審神者に愛染が寄り添った。それを見て、ヒカルは獅子王を見上げる。
「獅子王さん、私を斬ってくれてありがとう」
 浅く頷く獅子王を見て、次に愛染へと目を向けた。
「愛染さん、私の肌を切り裂いてくれてありがとう」
 愛染がぎゅっと唇を噛みながら頷くと、ヒカルは次々と刀剣男士の名を呼んでありがとうと感謝の言葉を紡いだ。
 そして最後に、未だに顔を青ざめたままの審神者を見上げた。
「審神者さん、あなたは私に愛を教えてくれた人、ありがとう」
 そう言うと、ヒカルは審神者だけを見つめて、優しく微笑み、言った。
「またね」

 瞬間、全身がぱっと砕けて煌めく粒となった少女はキラキラと空に昇っていく。そうしてはらりと落ちて残った赤色のリボンは、審神者と愛染と獅子王が祭りで贈ったあのリボンだった。
 審神者は震える手でそのリボンを持ち上げると、ぎゅっと掴んで胸へと引き寄せた。審神者のその目からいく粒もの涙が溢れ落ちる。
「またねなんかじゃない。あなたは死んだ。さよならだ!!」
 衝動のままに叫んだ審神者の、彼女の持っていたリボンの端を獅子王がゆっくりと持ち上げた。
「墓を、作ろう」
 その提案に、愛染は泣き顔を無理やり笑顔にして、頷いた。名案だ、笑っていた。
「俺たちで葬ろう。ヒカルがちゃんと、居たんだって印を残そう」
 体すら残らなかった少女の、その痕跡を残すのだ。獅子王の提案に、愛染は審神者の背中をさする。体を揺らし、時折呻き声を上げながら泣いていた彼女は、しばらくすると浅く頷いた。

 分かった。そうしようか。そうして泣きっ面のまま顔を上げた審神者に、愛染は一粒の涙を流し、獅子王は偉いぞと震える手で彼女の肩を叩いたのだった。

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