膝丸中心/魂の誘惑/どこかしらに異常のある刀剣男士が顕現する本丸の話


 辛いことも苦しいこともなく、只々平穏な日々が続く。これは夢の中だろうか。兄がいて、今剣がいて、岩融がいる。自分の持ち主として迎え入れてくれた審神者がいる。夢だろう。膝丸はそう決めた。
 これは、夢だ。

 目を覚ます。ちゅんちゅりり。雀の声がした。朝だ。膝丸は外を見た。開けっ放しだった窓から、とんとんと跳ねるように歩く雀が見えた。
 同室は髭切と決められていた。だが、この本丸に髭切はまだ居ない。審神者はなるべく早く髭切を迎えられるようにと、心を配ってくれている。ありがたいことだ。
 膝丸は起き上がり、寝間着から内番着に着替えた。

「膝丸さんおはようございます」
 食堂で声をかけてきたのは毛利藤四郎だ。この毛利は亜種らしく、彼より小さな刀への認識に誤作動が起きている。なかなか小さな刀を認識出来ないのだが、彼としては不満はあるものの、小さな子を一切認識できないよりはマシだと考えているようだ。
「今日は随分とのんびりですね」
「昨日、夜更ししてしまってな」
 寝坊だ。膝丸がそうぼやきながら朝食を受け取る横で、真面目すぎるんですよと毛利は呆れた。
「何事も頑張り過ぎですよ。全く、大包平さんじゃないんですから」
「しかし、兄者が来るまでに覚えたい事がたくさんあるのだ」
「もう、あんまり無茶すると生活に影響が出ますよ」
 というか出てるじゃないですか。机に向かい合って座ると、毛利は手を合わせていただきますと挨拶をしてから朝食のうどんを啜った。膝丸のうどんはたぬきうどんだったが、毛利はきつねうどんらしい。

 この本丸にはどこかしらに異常のある刀が多い。先程の毛利のような認識機能の誤作動から、膝丸の夜更し癖と低血圧。まるで神様というより人間だ。
 人間よりも人間らしいよと審神者の近侍にして政府産であるが故に一定の基準をクリアしている加州は言った。ならば、この本丸で一番神様らしいのは加州かもしれないな。膝丸はぼんやりと思い出した。
「膝丸、また寝坊か」
 そう歩いてきたのは大包平だ。彼は畑仕事の最中らしく、玉のような汗を滲ませていた。そういえば季節は初夏だ。手入れを必要とする野菜も、収穫する野菜も、きっと多いだろう。膝丸はよしと思い立った。
「手伝おう」
「それは助かるが、今日は非番なのか?」
「非番だぞ」
 そうかと大包平は頷いてから、眼鏡をくいと確認してレタスの間引きをしようと言った。
 そう、この本丸の大包平は眼鏡をかけている。鋼色の目は通常の大包平より日差しに弱い。サングラスの案もあったが、目線が交わせないのは不安だと周囲が言った為に特殊なコーティングがされた眼鏡を着用しているのだ。

 大包平の畑仕事を手伝っていると、休憩しようと、同じく畑仕事をしていた燭台切が言った。
「僕たちは水筒があるけど、膝丸さんは無いよね? お茶を持ってくるよ」
「いや、構わない。少し厨に行って来よう」
「そう? わかったよ。厨当番の貞ちゃんによろしくね」
 日陰の縁側で眼鏡を拭く大包平と、暗いところで光る金色の目を持つ燭台切の隣にはちょんと水筒がある。そう、ここの燭台切の目は暗闇で光るのだ。まるで炎みたいだと、指摘したのは燭台切より先に顕現し、厨当番筆頭である太鼓鐘だった。
 その時の太鼓鐘は歌うように言っていた。
『みっちゃんの目は、夕火(あぶり)色だな! 夕陽と炎のような目でさ。俺、すっげえ綺麗だと思うぜ!』
 太鼓鐘はそうにこにこと笑っていた。その笑顔に、燭台切は何とも言えずにぽかんとしていたが、やがてふわと笑って『そうさ、夕火色さ』そう呟いていた。余程気に入ったと見えて、微笑ましいものであった。

 厨ではその太鼓鐘がテキパキと彼の身長に合わせた厨で働いていた。日向が補佐として動き回り、さらに手伝いとして大倶利伽羅が林檎の皮を剥いていた。今日のおやつは林檎を使ったアップルパイらしい。
「やあ膝丸さん、水筒かな」
 はいどうぞ。すぐに日向が水筒を膝丸に渡してくれた。太鼓鐘はおっと目を上げて、ちゃんと休めよと笑う。どうやら夕飯に食べる魚の煮付けをもう作り始めているらしい。日向は笑みを浮かべていた。
「畑仕事を手伝っていたね、非番なのに、お疲れ様」
「いや、大したことはしていないぞ。日向こそ厨番の手伝いご苦労さまだ」
「梅仕事のついでさ。梅ジュースなら出せるよ」
「じゃあ、人数分頼めるか?」
「任せて。膝丸さんと大包平さんと燭台切さんで、三振り分だね」
 テキパキと床下収納から梅ジュースを取り出して氷と炭酸で割ると、盆に乗せて膝丸に渡した。

 梅ジュースを手に日陰の縁側に戻ると、わ、いいものだねと燭台切が反応した。
「梅ジュースだぞ」
「僕、日向くんの梅ジュース、好きだよ。ほら、大包平さんはこっちね」
「ああ、助かる」
 大包平は眼鏡をすっかり戻して、梅ジュースの入ったグラスを受け取った。
 ごくりと三振り並んで梅ジュースを飲む。爽やかな梅の香りに、気分がすっと軽くなった気がした。
「今年も、もう梅ジュースの季節か」
「早いものだね。真夏になる前に、僕の生存上がり切るかなあ」
「まだかかるだろうな」
 そっかと燭台切はがっくりと大振りな仕草でがっかりしてみせた。大包平はくつくつと笑いながら、眼鏡越しに燭台切を見つめる。
「生存が上がり切らずとも、出陣は可能だぞ?」
「でも、貞ちゃんはもうカンストで全ステータスが最大値なんだよ。僕、格好悪いなあって」
「格好悪くなんかないだろう」
 なあ膝丸と言われて、膝丸はコクコクと頷いた。
「燭台切はいつも余裕があって格好良いぞ」
「そうかなあ」
「そうだとも」
 ならいっか。燭台切はそう言って、手の中のグラスを触った。
 膝丸はちらと大包平と目を合わせる。仕方ない孫だと言いたげな彼の様子に、膝丸はまあなと頷いてみせたのだった。

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