小狐丸×お供の狐/月は嗤う/不安になるお供と不器用に慰める小狐丸


 秋の夜長。肌寒くなってきた初秋。美しく空に浮かぶであろう下弦の月は、雲により覆い隠されていた。月見を口実に呑む者はおらず、月が無くとも酒を呑む者たちは遠征へと出かけていた。多くの刀剣男士が所属するこの本丸においてこんなに静かな夜は珍しかった。だからだろうか、いつも見えない者共と見慣れない風景が広がっていた。
 ふらふらと本丸の中、たまに庭にも出ながら散策をすればにっかり青江と出会う。やあ小狐丸、良い月だね。そんなことを言うので雲の中でもかと笑えば、きっと向こうには美しくも心を不安にさせる下弦の月があるのだろうと笑っていた。そろそろ部屋に戻るという青江に、私はまだ散策を続けると告げて別れた。
 次に出会ったのは獅子王の鵺だった。夜の闇の中、体を伸ばして気を緩めている姿はなかなかにのびのびとしている。案外こういう性格の奴なのかと意外に思えば、こちらに気がついて立ち上がった。そのままその場でわたわたと体を震わせたかと思うと一目散に走り去ったので、羞恥心まであるのかと笑いが込み上げた。

 歩き続ければ、今度は妙な者を見かけた。いつもは無口な男の肩に乗り、大きな声でせわしなく喋る、彼曰くお供の狐。その狐が石灯籠の隣で一人静かに夜空を見上げているものだから私は興味深くて、一歩、また一歩と近寄った。だんだんと明確になる狐の姿にやはりあの狐だと少しばかり心が弾んだ時のそのすぐ後に狐の表情を読み取ってしまうと私はぴたりと動けなくなった。あの狐がほろほろと涙を流していたからだ。
 思わず駆け寄って、空を見上げる狐の頬に触れる。涙をいくばか指ですくえば、狐はやっと私に気がついたらしく、目を見開いてこちらを見上げた。
 如何したのかと聞けば、狐は言う。孤独を思うと恐ろしいのだと。
「わたくしは、いつか必ず鳴狐に置いていかれてしまいます。ええ、それは予想でしかありませんが、ずっと一緒にいるからこそ確信できるものなのでございます。わたくしは一介のお供の狐。鳴狐と運命共同体でありながら、鳴狐とは別の いきもの なのです。わたくしは刀を握ることができませぬ。わたくしは戦えませぬ。わたくしは無力でございます。鳴狐の負担にならぬ様、戦場で死ぬことが無いようにできているお供の狐でございます。ならば感情などいらなかったでしょうに、わたくしにはまるで極彩色の如く溢れきらめく感情があるのです。わたくしは鳴狐の死が怖いのです。わたくしは独りになるのが怖いのでございます。」
 余程恐ろしいのだろう。語り続けた狐に、その口元を触って止めさせる。やけに喋るな、なんて言ってしまえば、もちろんだと狐は言う。
「わたくしの取り柄はこの口しかございませぬ。戦えぬ小さなこの身、唯一の取り柄がこの 言語 なのです。」
 またほろほろと涙をこぼす狐に、私は焦りを覚えながら指を滑らせて涙を拭えば、狐がそっと私から離れようとするので屈んで狐を抱き上げる。いつもなら驚いて降ろしてほしいと叫ぶのに、今日の狐はやけに静かだ。
 小狐丸様、と狐は言う。なんじゃ、そう返事すれば狐は寂しそうにしながら答えるのだ。
「わたくしは孤独が怖いのです。小狐丸様は優しすぎます。だから、如何かわたくしを突き放してくださいませんか。そうでなければわたくしはきっとわたくしで無くなってしまいます。」
 だから、どうか、なんて。私はそれが悔しくて、苦しくて、狐を抱き上げていた拘束の腕に力を込めた。
 狐は哀れなのか。否、おそらくは雲に隠れた半月の所為なのだ。
「もうよい。今日は寝ろ。」
「いけませぬ。わたくしはこのままでは鳴狐の前で泣いてしまいます。それだけは許されないのです。」
「何が許されぬのじゃ。相棒だろうに。」
「だからこそでございます。わたくしは鳴狐の前では はつらつ としたお供の狐でなければなりませぬ。今のわたくしはただ怯える一匹の狐。ですからわたくしは……。」
「ならば私の部屋に来れば良い。」
 そう言えば目を丸くする狐に、私は気が付かぬ振りをして、自分の感情を押し付ける。
 何が孤独だ。何が怖いだ。そんなもの不確定な未来の話でしかない。鳴狐が明日折れるとも決まっていないのに、そんな風に悩み涙を流すことなど意味を成さない。
「何が口だけが取り柄じゃ。お主のその優しさが、慈愛の心が何よりの取り柄じゃろう。」
 言語など、取得しようと思えば誰だってできるのだ。それが五虎退の虎だろうが、獅子王の鵺だろうが、やろうと思えばできるのだ。そんなもの、唯一の取り柄などではない。
 許されるとか許されないとか、そんなものは以ての外だ。
「鳴狐が許さぬとも、お主の有り様が許さぬとも。この小狐丸が許す。」
 怯えも、恐ろしさも、怖がりも、寂しさも、孤独感も。不安定なそれら全てをこの私が許そう。
「お主は尊い命を持つ いきもの じゃ。」
 それは刀剣男士も動物も人間も、有り様は違えど、同じ様に同じ時の流れの中をもがき苦しみながら生きているのだから。
 苦しいと囁いた狐に、私は腕を緩めてその首を撫でた。びくりと震える狐に、私は自然と口元が緩やかな弧を描いた。狐がその目に恐怖と似ているようでいて先ほどとは違う色を浮かべるのを眺めて、弧を描く口を開く。
「何なら首輪を与えよう。私が許したその印。私が許したその命。ただ怯える一匹の狐に私が愛した いきもの たる印を。」
 狐の首から手を離せば、その小さな体から力を抜いて寄りかかってので、その背中を撫でてやる。そして与えられている自室へと歩き出せば、その道中で狐は呟いたのだ。
「今宵は下弦の月だからでしょうか。」
 その、理由を付ける為だけの言い訳たる呟きに、私は何も返すことなくやけに静かな本丸を歩き続けたのだった。
 肌寒い秋の夜長。雲が流れつつある夜空に、感情を弄ぶかのような下弦の月が顔を出し始めていた。

- ナノ -