実福/シンプル/とある恐ろしい本丸のはなし


 実休の庭にいる福島はいつも穏やかだ。本丸で顔を合わせた時から、思っていたが、とちらりと福島を見る。
「福島って、ひとによって態度を変えるよね」
「ん? まあ、人間なんてそんなもんじゃないか?」
 不思議そうな福島に、そうだろうけれどと眉を下げるしかない。
「あと、その言い回しは相手によっては喧嘩売ってるからな」
「そうなの?」
「悪口だろ」
「そんなつもりはないよ」
「分かってる。俺は勘違いしないさ」
 穏やかに、ゆっくりと喋る。この対応は審神者へのそれと似ていた。日本号にはずっと早く弾むように喋る。燭台切には、距離感を測るような仕草をする。つまりは、審神者のような幼子に接する対応と似ている気がする。この本丸の審神者はとうに成人した大人だけれど。
「なにか不満なのか?」
 不満と言ってしまえば不満という形に収まる。でも、この胸の内のもやもやとした不定形を型に嵌めるのは気持ち悪い。
「べつにそういうわけじゃないよ」
 だからこうして目を逸らす。

「それを悪とするならば外道とはすなわち極楽のように輝かしんばかりでしょう」
 対面、悪。
「何、怖がらなくていいぜ。ただの面談だろ」
「そうは言ってもね」
 目の前の獅子王は鵺を肩に乗せている。ひゅうろろろ、身のうちがよだつような、嫌悪。嫌、と、悪。憎悪の塊。
「質問用紙はこれな」
「筆談なの?」
「別に声でいい。だが、文字とは力である。ことばは正しく運用すべきだ」
 つまり、遺しておきたいものを書くといいと、獅子王は鵺に包まれながら笑った。

 福島はいつも楽しそうだと思っていた。
 じぃんじぃんと蝉が喚く午後。明るい山奥、審神者の敷いた境界線にある、六地蔵。六体の地蔵に花を供えている。
「神の内に折れたら、俺の欠片をここに埋めてもらう約束をしてるんだ」
 じぃんじぃん。蝉が耳をつんざく。
 馬鹿らしい。そう笑えばいい?
 まっことである。そう肯定すればいい?
 記憶のない自分はどうしたら良かったのだ。どうすれば、福島を死地から取り戻せる?
 境界はどこだった?

「カウンセリングとはただ話すだけじゃない。話者の心の内側に触れる最大の手法である」
 獅子王は頷く。
「つまり、実休は福島を知りたかったんだな」
「そうだと思う。僕は、彼と過ごした記憶がないから」
「本丸に来てからの日々では足りなかったのか?」
「ほんの一年のような日々で、僕ら刀が満足するとでも?」
「では何年が喜ばしい?」
 そんなもの。
「百年」
 九十九神。

 秋とはいつも鮮やかである。福島は語る。
「もみじが好きなんだってさ」
「だれが?」
「審神者さ」
 燃えるような山が好きなんだって。その言い回しに、違和感がある。燃えた僕らには言いそうにない。でも、少し安心した。審神者に愛されている。福島はそれを受けている。自身も受け入れてもらえている気がした。
「もみじの次はどんぐりだってさ」
「食べるの?」
「それは見たことないな。コマにして本丸内で大会を開くんだ。なんと一等にはご褒美がある」
「それはなに」
 福島は嬉しそうに言う。
「欲しいものを審神者のできる範囲で贈ってもらえる」
 大した魅力のあるものとは思えなかった。それなら戦場に出て、練度を積む方がずっと楽しいだろう。でも、目の前の福島にとってはとても幸福なことなのだ。そう、わかってしまった。
「ねえ、福島」
 僕の話を聞いてくれる?

「原始の人は形すらなかった」
 人間の成り立ち。
「母の胎内で受精卵となった卵子が着床し、成長する」
「ああ、正しい。ではその経過を実休はどう見る?」
「思ったより短期間に形ができるものだね」
「そうか? 人の子の一生からすればそれなりの時間だぜ」
「そうかな。僕にはとても短く見える」
 ここが目。ここが、腹。
「脳は?」
「ここ」
 人の心の宿る場所。
「じゃあ、すべての人間が産まれるわけじゃないことも知ってるよな」
 じいと鵺が見ている。底なし沼。
「人生とは奇跡である。ならば、俺たち刀剣男士は?」
 おそろしいけだもののにおいがする。

 冬。実休は福島を引き摺り出した。

「さ━━て。回想は済んだか、魔王様」
 手の中には刀。ぼろぼろのそれは折れてはいない。でも、重傷だろう。
「言っただろう。悪と外道と極楽。そして、これはカウンセリングだ」
「裁いてはくれないの」
「どうしてだ? 本丸の外、他人と関わったわけでもあるまいし、単に本丸内の物共の諍いだ。そんなもの、公にする必要はない」
「でも僕は、福島を傷つけた」
「福島がこの本丸に馴染み過ぎていた。そしてそれに怒り覚えるのは刀として正しいと審神者は考えておられる」
「それでも、彼は生きることを理解していた」
「だからなんだ。俺たちは刀であって、生きていない。生きるというのは生物の特権であり、俺たち無機物のものではない」
「ラベルが必要ならラベルを付けたい。僕が行き着く先は地獄だ」
「馬鹿らしいな。付喪神はひとりで地獄に行くわけがない。何故なら地獄もまた、生者の特権だからな」
「僕はどうすればよかったの?」
「それを考えるのはお前だよ、実休光忠。いや、魔王様か。この点における名前は実はどうでもいいんだけどな。ただ、お前が狂った。それだけだ」
「僕を、折って」
「それが罷り通るなら、全ての本丸は廃墟と化すだろうな」

 ぼう、ぼう。炎がゆらめく。暖炉の灯りは酷く心地良い。カウンセリング室は何故か暗い洋間だった。獅子王が暖炉のそばに立ち、薪をひとつ放り込んだ。ばち、ばちん。爆ぜる音。今年の薪は少し不出来だと獅子王は笑う。
「さて。その福島光忠はお前の好きにするといいと審神者は仰っている」
「僕がこの福島の管理を? どうして?」
「傷つけた、殺した。だから、おしまい。そんな訳にいかないなんて、お前はもうよく知っているだろ?」
「それが僕の刃生だと?」
「うん? そうじゃない。そもそも福島は死んでない。そして、折れてないんだ。だったら次にお前がやるべきことは決まっている」
「だとして、その傷が全て直ったなら、僕のしたことは、酷く滑稽で、不様で、見苦しいことだ」
 獅子王の鋼色の目が煌めいた。
「それを主は人生と言っている」
 ひどく、僕らは、間違える。

 実休はカウンセリング室を退室する。ふうっと獅子王は息を吐いた。
「生きることが何より難しい、か」
 記憶がないというのはどういう感覚なのだろうか。
 こつこつと足音がする。開いたままの扉の向こうに髭切が立っていた。
「獅子丸、次の患者だよ」
「迷っていいから、せめて獅子王に類する名前を呼べ」
「名前なんてどれでもいい。ただ、目の前の誰かを特定出来さえすればいい」
「まあ、概ね合格だな」

 実休は自室にたどり着くと、手の中のぼろぼろの刀を眺めた。この本丸で共に過ごした福島光忠だ。どうしてこんなにも傷つけてしまったのか。実休が傷つけたのかすら思い出せない。酷く記憶が曖昧で混濁している。僕は、僕である。実休光忠。そのはずである。
 だって僕は、僕はだって。
「名前を、呼んでほしくて」
 ただそれだけだった。
「おーい、実休、何してんだ」
 外を歩く、影。ああいたいた。福島光忠が笑っていた。ひかりを背負っている。
「そんなところで丸くなるんじゃない。さあ、行こう」
「なんで、福島、どうして?」
「ん? ああ、つまりは実休と俺の境界が曖昧だったから荒治療しようというわけだ」
 福島は変わらぬ。春のうらら。滲むような光の中で笑っていた。
「その"俺"は随分と可愛かっただろう?」
 だが。
「その"先"は実休にだってやらないよ」
 この本丸の福島光忠の刃生は全て俺のものだ、と。

 なんて惨い! 凄惨だ! 悲惨だ!
 それでも。
「は、はは。福島は、強いなあ」
「そうだろうな。ほら、俺を寄越せ」
「うん。でも、ひとつ、お願い」
「なんだよ」
 なんでもいい。
「何回でも、僕の名前を呼んで、僕を定めて、福島光忠」
 福島はきょとんと目を丸くしてからくつくつと笑った。
「それは責任重大だな。そんなお役目が俺でいいのかい?」
「お前がいいんだよ」
「そうか。なら、実休光忠、そろそろ昼飯を食べないか? お前の庭で、美味しい握り飯を食べよう」
 そうして、刀は刀へと還った。

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