実福/前進/特殊な本丸の実福


 ゆうるり、ゆらり。水の中。

 この本丸には水が多い。海や川といった大きな自然はもちろん、湧き水がどこからか湧き出て池や湖となり、時には温泉になり、間欠泉が毎日一回はどこかで噴出している。
 住居や仕事場、とにかく人の身を得て必要な施設は湖の上にある。ここは比較的、水嵩が増していないのだとか。何度も屋敷の場所を建て替え、土地を調べたのだと、近侍の獅子王が言っていた。
 実休は透明な湖を見ている。小魚がきらきらと泳いでいて、水草がこぽりと酸素を生み出す。屋敷のある湖はあまり水嵩が増していないらしいが、水はきちんと流れているらしい。
「実休、どうした?」
 ひょいと福島がやってくる。手には金魚鉢があった。
「どうしたの、それ」
「ああ、審神者に新しい弟子が来るらしくて。とびきり綺麗な水をこの中にと頼まれたんだよ」
「新しい弟子? また弟子がくるんだね」
「まあ、円滑に回っている特殊な本丸だからこそ、だろうね。多くの経験は審神者にとって有利になるんだろう。たぶんな」
「ふうん。どこの水にするつもり?」
 福島はそれがねと困り顔だ。
「俺の旧部屋に行こうと思って」
「ああ、あそこ」
 あそこはもう、沈んでいる。

 通行証を手に、湖の底へと歩く。本丸はそもそも審神者の霊力の塊だ。よって、審神者の霊力によって励起した刀剣男士は、審神者の水に苦しむことはない。まあ、それは本当にむき身の話で、服も髪も濡れてしまう。ただ生きるだけなら、歩くぐらいなら、問題はない。
 福島に続く。湖の底はうす暗い。それでも光が入っているから、水草は草原のように広がっている。旧屋敷の福島の旧部屋は、もともと井戸を作る予定があった。湖は湧き水で出来ているが、井戸は地下水脈に直接触れるように作るつもりだったらしい。よって、水質が多少異なっている。
 水にできた境目を見る。福島の旧部屋だ。入って、福島が金魚鉢をゆらりと揺らす。満たされた金魚鉢にぴったりと蓋をしていた。霊力で閉じたそれは淡く輝いている。

 湖から上がる。全身水浸しだ。水番の今剣がおふろにはいってくださいねと笑いながらタオルを渡してくれた。冷えた体には風呂が一番である。
 福島と風呂に入ってから、審神者の元に向かう。ついて来なくてもいいのにと福島は不思議そうだが、実休はついて行きたかった。
 審神者の執務室。からりと開いたガラス戸。からんからんと、風鈴に似せた木片が鳴る。ドアベルの代わりだ。
 福島が審神者に金魚鉢を提出し、審神者から許しを得て、退室する。そのまま、二振りで食堂に向かった。

「それで新しい弟子はどうなるの?」
「さあ。たぶんまた数日で根を上げるんじゃないか?」
 何せ、水ばかりで制約の多い本丸だ。普通の人の子は地面が恋しいとさめざめと泣くのが通例である。たまにそれを乗り越える猛者がいるのが面白いよと福島は嬉しそうにする。まあそれは悪くない話だけれど。
「ねえ、なんで福島だったんだろう」
「うん?」
「だって、他でも良かったのに」
 福島の旧部屋の水は、とびきり綺麗とは少し違う。ただ、審神者のたましいには近い。
 結局は、地下深く、数多もの肉を寄せ付けない熱の塊がこの本丸における審神者なのだから。
「ええと、嫉妬か?」
「そうかも」
 かわいいおにいさま、そう福島はくつくつと笑っていた。

- ナノ -