燭台切+福島/ブラザーコンプレックス/盛大に何も始まらない。続きを書くかもしれない。分からない。


 手のひらの憂鬱。幸福は果てしなく、深く包み込む。真綿で首を絞めるというけれど、彼の愛はそれよりも胸を締め付けられる。
 それが、兄弟ということだ。

「初めまして」
 寸分の狂いもない笑顔だった。燭台切はぱちんと瞬きをする。初めまして。返す。
「あなたは?」
「福島光忠だよ」
「光忠の刀なのかい?」
「そうだよ、きみは?」
「燭台切光忠さ」
 そう。福島は柔らかく笑む。
「同郷の物としてよろしく」
 その瞬間、燭台切はとすんと何かが落ちてきた。

 燃えた物は、それ以前の記憶を失くすことがある。一期は語る。
「鯰尾は、その点、強かですね」
 強く、前を向こうとする。眩しくて、頼もしい。一期は嬉しそうにする。燭台切はふうんと返事をした。視線の先では、鯰尾が福島に畑当番を教えていた。

 この本丸と刀剣男士たちは、ただの刀であった時代をあまり覚えていない。何故なら、肉の器を得て体験することがあまりに鮮烈だからだ。審神者曰く、幼少期からの持病が励起に影響を及ぼしているのかもしれない、らしい。
 燭台切はそのことを良いとも悪いとも考えたことがなかった。寂しさも無かった。何故なら、皆が平等に、覚えていないからだ。だからこそ、新しい関係を築くのだと、前向きに捉えていた。
「みっちゃん!」
「貞ちゃんどうしたの」
「来月の当番が決まったってさ」
 太鼓鐘がぴょんと跳ねる。その後ろを追いかけていたのは愛染だ。彼らはこの本丸で仲が良い。愛染は姿こそ幼いものの、兄気質であり、太鼓鐘が弟気質なので、歯車のように噛み合ったのだ。何より、それぞれの刀派の兄弟が来るのが遅かったのもある。
「燭台切さん、今日の夕飯何?」
「焼きそばだね」
「目玉焼きはあるか?」
「付けようね」
「やった!」
「愛染ずるい! 俺も!」
「貞ちゃんもね」
 やったと二振りが笑い合い、来月の当番が決まったことをふれ回る。燭台切はさてと厨で腕まくりをする。最初に材料を揃えてしまおう。
 下拵えをしていると、大包平が厨当番の手伝いに来る。なにせ、刀の数が多い。調理は重労働なので、姿の大きい刀が必ず手伝うことになっていた。他にも後藤と物吉も手伝いを申し出てくれた。
 夕飯を食べ終えてからも、片付けが山程ある。皆で協力して仕事を終えると、夜戦部隊が出陣して行った。彼らのための夜食も準備したい。燭台切は多くの刀たちとせっせと働いた。

 燭台切が部屋に戻る頃にはすっかり夜中になっていた。風呂を終えて、明日の準備をしていると、ふらりと光忠部屋に福島が帰ってきた。
「おかえり、遅かったね」
 その言葉に、福島はまあねと苦笑する。
「実はお酒の席に呼ばれちゃってね」
「断らなかったの?」
「断れなかったというか、巻き込まれたというか。号ちゃんが何とか気を回してくれて、戻ってこれたんだ」
 今度、お礼をしなくちゃ。福島が息を吐いた。酒気はない。酒を飲みはしなかったようだ。あまりお酒の席が得意ではないと、燭台切は聞いていたので、そっと立ち上がり、布団を二つ並べた。
「早めに休むといいよ」
「ありがとう」
「気分が悪かったら、気分転換に話し相手になるけれど」
「光忠も忙しかっただろう。俺なら大丈夫」
 しかし、畑当番の手解きを受けたのだ。精神的な疲労感が大きいだろう。初めての体験は、あまりに鮮烈だ。
「気が立ってたりはしない?」
「お風呂に入ったら、だいぶ落ち着いたよ」
「良かった」
「でも、落ち着かないや」
 そうして胸を押さえる福島に、燭台切は白湯でも用意しようかと提案する。だが、自分で用意するよと福島は断った。
「給湯室は向こうだったね」
「うん。分かるならいってらっしゃい」
「行ってくるよ」
 福島はとんとんと向かう。ふらふらとしているので、危なっかしい。だが、ここで無理矢理手伝うのは、彼にとって良くないと判断した。何事も経験することに、意味がある。

 白湯を持ってきた福島は、そっと座っている。
「給湯室で厚くんに会ったよ」
「ああ、夜戦部隊が入れ替わったんだね」
「うん。先に抜けたんだって」
 それでね、教えてくれたんだ。福島は外を見る。
「夜の桜を夜桜って言って、雲が薄くかかっておぼろげな月を朧月って、言うんだって」
 知識としては知ってたのにね。福島は外の朧月を見る。季節は春。桜が咲き誇って、花弁を舞わせている。夜風は少し寒い。
「そうだね」
 とても綺麗だね。そう言うと、まったくだと福島は笑った。仄かな月明かりの下で、彼は柔らかく笑うのだ。
 それを見ると、すとんと落ちてくる。何かが、燭台切に訴えかける。それこそが、繋がりだ。誰かが言っていた。誰だっただろうか。
「光忠」
「なあに」
「俺は光忠のこと、何も知らないけどね」
 とびっきり思うんだ。
「俺は光忠が兄弟で良かったと思うよ」
 この刀は、まるで燭台切のすべてを見透かしているようだ。燭台切は胸を締め付けられる。これぞ真綿よりも柔らかなもの。優しい顔が、蕩けるように、燭台切だけを見ている。
「僕も、そう思うよ」
 きっとね。そんな希望的観測など露とも知らず、福島は、朧月へと視線を戻したのだった。

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