燭台切+福島/拝啓、たいせつなあなたへ


 雨が降っている。薄く積もっていた雪が溶けていく。今日の献立はどうしようか。燭台切はぐっと頬についた血を拭った。手首に赤茶色がついた。
「燭台切」
 声をかけられる。振り返ると、獅子王が帰るぜと苦笑していた。
「どうしたの?」
「いや、べつにいいんだけどさ」
「うん」
「険しい顔してるんだな」
「そう」
「何考えてた?」
「今日の献立、かな」
「厨はいつも戦場だもんな。ま、今日は帰ったら休めよな!」
 疲労が溜まってると指摘されて、燭台切はわかってるよと返事をした。どこかささくれ立った気持ちが、ぼうぼうと荒む。今日は戦場で格好良く戦えなかったなと、ぼんやり思考した。

 修行を終えた太刀のみでまとめられた部隊で、帰還する。
 早く風呂に入りたいですわあ、と明石がぼやいた。彼は軽傷なので、風呂の後は手入れだろう。蛍丸と愛染のことを言わないのは、彼らが遠征部隊で出陣しているからだろうか。
 そう勘付いたのは一期もだったらしく、私も弟たちに見られる前に風呂に入りたいですなと微笑んでいた。
 たったか。太鼓鐘が走ってくる。みっちゃん居たと、焦ったように呼んだ。
「みっちゃん!」
「貞ちゃん、ただいま」
「おかえり。あのさ、驚かないでくれよ」
「うん」
「福ちゃんが、さ」
 彼がどうしたのか。続きを言うのを躊躇う太鼓鐘に、燭台切はじっと待つ。そして、言われた。
「福ちゃんが、行方不明になった」
 目を、見開いた。


・・・


 こん、こん。何かが落ちる音がする。福島はううむと呻き、ゆるゆると目を開いた。目に入るのは日本家屋の、畳だ。古い平屋に見えるが、しっかりとした木材を使っている。
 起き上がり、周囲を見渡す。耳に届くはけたたましい蝉の声、ぷうんと香る夏の匂いが鼻を掠める。
 ここはどこだろう。福島は首を傾げた。


・・・


「彼が行方不明に?」
 そうなんだ。太鼓鐘が難しい顔をしている。
「第三部隊で遠征に行ってたんだけど、仕事を終えて帰還して点呼したら、見当たらなかったとか。つまり、行方不明になったらしい。でも、審神者の端末ではきちんと本丸に反応があるって」
「どういうこと?」
「分からない。今、本丸の隅々まで探してて。これで居なかったら、政府に問い合わせるって」
「僕も探すよ」
「みっちゃんは疲労が溜まってるから、駄目だ。部屋で待機していてくれ」
「そんな」
「心配なのは分かるけど、赤疲労で倒れると厄介なんだ。頼むぜ」
 そこで獅子王が審神者への出陣報告を終えて戻ってきた。一先ず湯浴みで泥を落とすぞと、燭台切を引っ張る。どうやら、福島が行方不明だと聞いたらしい。
 泥を落とし、大風呂に入る。いつも獅子王の傍らにいる鵺が居なかった。結い上げた髪を気にしながら、言う。
「鵺には福島捜索部隊の手伝いを頼んだぜ」
「そう」
「福ちゃんが行方不明になったのは、時空ゲートの誤作動だと思う。で、姿が見えないなら、励起が解かれてる可能性がある。本体だけなら、ほんの隙間にだっているかもしれない。そういうところを見るようにって頼んだぜ」
 まあ、福ちゃんなら大丈夫だろう。獅子王は静かに言った。


・・・


 蝉時雨の中。昼間だ。福島はそっと立ち上がる。服装は戦装束だった。本体が見当たらないが、焦ることはないように思えた。
 無言で歩く。外に出ると、建物を見上げた。中に居るときは分からなかったが、二階があるらしい。小さいが、しっかりとした造りの窓が見えた。だが、大きさからして二階というより、屋根裏部屋かもしれない。
 こん、こん。何かが落ちる音がする。木張りの廊下を何かが転がっていた。近寄り、見ると、硝子玉だった。太陽光で煌めくそれに、触れる。瞬間、景色が変わる。
 本丸だった。屋敷の中で、審神者が刀を選んでいる。候補は五振り。はじまりの五振りだ。審神者が選ぶ。選んだのは加州清光だった。励起した加州が審神者を見る。いっぱい可愛がってね。そう笑む加州に、これからよろしくお願いしますと審神者は頭を下げた。
 景色が切り替わる。夏の匂いが鼻を掠めた。蝉時雨が耳に届く。手には硝子玉があった。
「本丸の記憶かな」
 では、この建物は何なのだろう。福島は硝子玉を元に戻して、探索を再開した。


・・・


「燭台切、いる?」
 光忠部屋に居ると、近侍の加州がやってきた。燭台切が顔を上げると、思ったより冷静そうだとホッとしていた。
「福島探索部隊を伝えたほうがいいかなって」
「うん。誰が探してる?」
「秋田、鶴丸、大和守、堀川、日本号、岩融が各刀種の代表をして、率いてる。いつもと勝手が違うけど、本丸の隅々まで探してるよ」
 そもそも、こんなことは初めてなんだけどさ。加州の言葉に、僕も初めてだよと燭台切は言う。そうだよね、加州は眉を下げた。
「で、心配だろうけど、燭台切は疲労度が回復するまで自室待機ね。何かあったら、鶴丸に聞いて。太刀の担当だから」
「鶴さんはどこにいるんだい」
「基本は大広間にいる。地図を広げて指示してるよ」
「そう……」
「あのさ、これはまだ周知していないことなんだけど」
 審神者からの言伝だと、加州は言った。
「もしかしたら、燭台切が必要になるかもしれないって」
「僕が?」
「何も分からないけれど、主の勘だってさ。だから、どうしても疲労を回復してほしい。数値だけなら団子でどうにかなるけど、主が求めるのは安定した精神の燭台切なんだって」
 だから、落ち着いてほしい。加州の願いに、燭台切がこくりと頷いた。それが役目だというのなら、待っているよ、と。


・・・


 木張りの廊下を進む。トントンと、何かを叩く音がする。福島は音を頼りに、ふらりと進んだ。仏間に木箱があった。禍々しさは無い。蝉時雨と夏の匂いに包まれて、それは青い塗装がされていた。少しだけ塗装が剥げたそれに触れる。瞬間、景色が変わった。
 春の本丸。刀が増えていた。そろそろ太刀もほしいな。そうして鍛刀したのが、燭台切光忠だった。僕が太刀で一番なんだね。そう微笑んだ燭台切に、審神者はその通りですと頭を下げた。加州と秋田が、そんな審神者の手伝いをする。どうやら、秋田は初鍛刀らしかった。
 景色が変わる。日本家屋の仏間。小さな仏壇は固く閉ざされていた。木箱を開く。中には手作りのお守りがあった。決して、刀剣破壊を防ぐものではない。でも、込められた気持ちが刀の力となる。福島はやや迷ってから、お守りを手にした。温かくて、落ち着く気がした。


・・・


 光忠部屋で、燭台切は武具の手入れをしていた。安定してほしいとは言われたが、どうすればいいのか。手を動かしていないと、すぐにでも部屋を飛び出してしまいそうだった。
「おい」
 声がした。振り返れば、戸を開いた大倶利伽羅がいた。
「必ず見つけ出す。だから、大人しくしていろ」
「うん。ありがとう、伽羅ちゃん」
 それだけ言って、大倶利伽羅はどこかへと急ぎ足で向かった。彼も福島探索に参加しているのだろう。相変わらず、優しいな。燭台切は眉を下げた。
 外では雪が降り積もっている。戦場は薄い雪で、雨さえ降ったが、本丸は深い雪に埋もれていた。彼が帰ってきたら、雪かきしないとな。現実逃避に、そんなことを考えた。


・・・


 ぽたぽた。水の落ちる音がする。福島はすたすたと淀むことなく進む。音を辿って厨に着くと、水道の蛇口から水滴がぽたりぽたりと落ちていた。触れていいものか。今度は少し躊躇ったが、福島は意を決して蛇口の栓を掴んだ。きゅ、と閉める。すると、景色が変わった。
 花が吹雪く。大量の花弁を舞わせて、彼は立った。背筋を伸ばした、小さく薄い体躯。獅子王だ。鍛刀に同席した燭台切が微笑む。太刀はまだ二振り目だった。ここは新参の本丸なんだな。獅子王がにこりと笑う。なら、この獅子王様に任せろってんだ。そう明るく言う彼に、審神者はほっと息を吐いてから、深々と頭を下げた。季節は麗らかな春だった。
 景色が切り替わる。福島はゆっくりと、蛇口の栓から手を離した。ここまでで三つ、景色を見た。どれもこれも、本丸の記憶だと思われた。だが、だとしたらこの見慣れぬ日本家屋は何なのだろう。福島は考える。
「心象世界、かな」
 だとしたら、一体誰の心象世界なのか。記憶に共通するのは審神者だが、審神者の心象に、見慣れぬこの日本家屋がある気がしなかった。
 では、誰が、何のために、福島に記憶を見せているというのか。福島はそっと次の記憶を探しに向かった。


・・・


 音もなく、雪が降ってきた。風はない。燭台切は部屋の中でじっと待つ。武具の手入れは終わってしまった。落ち着け。そう呟く。やっと相見えた兄弟を失いたくはない。そんな気持ちがふつふつと湧いてくる。焦りは禁物だ。息を吐いて、吸う。気晴らしなんだから深呼吸も侮れないよ。いつしか、福島が言っていた気がする。
 ひゅうろろ。ころころ。獅子王の鵺が、上から転がり落ちてきた。え、と天井を見ると僅かに板がずれていた。その隙間から落ちてきたのだろう。鵺がぷるぷると震えて、しゃきっと立った。
 そのまま、何やら戸棚をかりかりと引っ掻く。この中が見たいのかな。燭台切が鵺を持ち上げて、戸棚を開く。
 すると、そこには闇があった。
「え、なにこれ」
 ひゅうろろ。鵺が鳴きながら飛び込む。小さな戸棚なのに、奥にぶつかる音がしない。
 捜索の手伝いをしている鵺が飛び込んだのだ。燭台切は察して、すぐに闇へと手をのばす。手が闇に触れたかと思うと、そのままズルリと体が傾いて、落ちていった。


・・・


 夏のにおい。日陰の縁側に座る。蝉時雨が鳴り止まない。ぱらり、ぱらり。本を捲る音がする。本はどこだろう。そう思って音がする方を見ると、本があった。葡萄色の分厚い洋書に、触れる。すると、景色が変わった。
 本丸の厨。トントンと包丁の音がする。じゅうと、卵を焼く匂いもした。歌仙が、君が来てくれて助かったよと苦笑する。ひとりじゃ限界があるでしょう。燭台切が穏やかに言う。その通りさ。歌仙は肯定した。
「あ、和泉守くんの水筒がある」
「全く。あの子はまた忘れたのか」
 歌仙が困ったものだと眉を寄せる。そんな歌仙を、燭台切は柔らかく、遠いものを見るように目を細めていた。
 彼は誰を思っているのだろう。
 景色が変わった。福島は本を床に戻す。洋書の文字は読めなかった。だが、しっかりとした表装と、中身が手書きなことから、日記帳ではないかと察した。
「審神者の日記かな?」
 でも、外国語で日記を書くような人だろうか。福島は首を傾げた。
 そうしていると、上からバタバタと物音がした。上だ。福島は目を丸くした。この日本家屋は二階もしくは屋根裏部屋があるとは気がついていたが、階段が見当たらなかった。あんなに歩き回ったのに、見つけられなかった階段の、その先に向かえというのか。
 でも、記憶たちの静かな囁きのような音とは全く違う、いうなれば生々しい音がしていた。福島はどこかに違和感を覚えながら、立ち上がった。
 階段があるとしたら、引き戸か何かで隠されているのだろう。どこにあるのか。福島は日本家屋を歩く。引き戸等を一つ一つ確認していると、二階でもバタバタと物音がした。今までとは違う不規則な音に、やはり記憶ではないと確信する。誰かいる。だが、不安にはならなかった。再会しなければ。そんな思いが湧き上がってくる。
 そうして、いくつ目かの引き戸を開く。そこに、階段があった。
 瞬間、ドタッと黒いもの落ちてきた。ひゅろろ、鵺だ。いつも獅子王の傍らにいる鵺が、あの不安を掻き立てる不気味な声で、鳴いている。なお、大きさは手のひら程度まで小さくなっている。
「え、鵺くん?」
 そこ、待って。そう言って転がり落ちるように二階から降りてきたのは、燭台切だった。
「いた!」
 目を見開き、暗闇から明るい場所に出てきたというのに眩む様子もなく、彼は福島に駆け寄った。むしろ福島の方が、パチパチと瞬きをする。
「光忠、そんなに慌ててどうしたんだい」
「良かった、落ち着いてるね。あなた、本丸で行方不明になってるんだよ」
「行方不明って。俺が、かい」
「そう」
 さあ、と燭台切は福島の手をぎゅっと掴む。熱い手に、福島はわずかに震えた。
「とにかく帰ろう」
「どこに」
「本丸に!」
 鵺が膨らむ。しゅるり、黒い道が彼から真っすぐに現れた。福島の手を握って、燭台切がその道を走る。足がもつれぬように、懸命についていく。記憶が、日本家屋が遠ざかっていく。なあ、福島は言った。
「どこまで走るんだい」
「帰るまで!」
 必ず、連れて帰る。その決意がきらりと光る。その輝きに、福島は眩しいなと目を細めた。蝉時雨が遠くなる。夏の匂いが薄れていく。鵺が鳴く。ひゅうろろろ。
 見えたのは、本丸の冷たい雪だった。


・・・


 その間際、ひらりと福島の服の隅に、小さな写真が貼り付いた。


・・・


 冬の景趣。ぼすんと視界が白く染まる。冷たい。ぷはっと起き上がると、雪の上だった。上から落ちてきた二振りに、大広間にいた鶴丸がぎょっとする。
「戻ったか!」
 審神者の元に走る鶴丸。太鼓鐘と大倶利伽羅が走り寄り、福島と燭台切の帰還を喜んだ。皆が安堵し、本丸全体の気が緩む。
 その中心で、ぽかんとする福島と手を繋いだまま、燭台切は良かったと福島に笑いかけた。
「帰ってきたんだよ」
「そうか」
 ただいま。福島の言葉に、おかえりと返した。
 きんと冷えた雪の中で、福島が見た記憶たちが霧散していった。
 福島達の元を離れた鵺が、獅子王に駆け寄る。獅子王は大きな鵺を抱き上げて、全て知ったかのように柔らかく微笑んでいた。
 霧散していった記憶たちの中で一つだけ、写真が残る。福島が服の隅に引っ付いていたそれに気がついて持ち上げると、その写真は白黒だった。中央には勇ましい青年。周囲を囲むのは刀剣男士たち。だが、青年はただ、まだ幼児とも言える子どもを立たせていた。
「これは」
 この小さな子どもこそが、審神者だと福島は確信した。この本丸に務める前、修行時代の写真だろう。青年と子どもに血縁関係は無さそうだった。
 あの家は師との心象世界だったのか。
 青年たちの後ろには、あの日本家屋が建っていた。

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