光忠兄弟中心/とむらひ2


 飛ぶ鳥の声。けたたましい蝉の声。小さな古びた駄菓子屋で買ったラムネ瓶のビー玉が、カランと音を立てる。ふくちゃんが、今年も暑いなと、汗を滲ませて言った。そうだね、僕は返事をする。
 ひらひらと宙を舞う蝶々。草むらを跳ねるバッタ。それらを見て、ふと言う。虫取りがしたいな。虫取り籠と、虫取り網を、持ってさ。そんなささやかな頼み事に、ふくちゃんは目を丸くしてから、にっと笑う。
「じゃあ、明日は早起きしようか」
「いいの?」
「もちろん!」
 どんな虫を取ろうか。ふくちゃんの声に、僕はゆっくりと考えを巡らせた。
 疵も痕も、何も持たない僕らに、時間だけはたっぷりあるのだから。


・・・


 春の朝は、じわりと冷えている。
 こんこんと歩く音。彼はわざと音を立ててるんだ。福島の意識が浮上していく。とん、立ち止まる。新人部屋の戸をするりと開く気配がした。冷たい空気が小さな部屋に入ってくる。寒い。だが、心地良かった。
「おはよう、福島」
「おはよう、獅子王くん」
 福島がするりと起き上がると、獅子王は質問する。
「よく眠れたか?」
「うん、それなりに」
「良かったぜ!」
 今日から内番頑張ろうなと、太陽のような笑顔を向けられて、頑張るよと福島は欠伸を噛み殺した。まだ、眠たかった。

 新人用の朝餉を済ませて、内番のために内番着になり、畑に向かう。畑の前で、よろしくお願いしますと頭を下げたのは、福島と共に畑当番に割り振られた秋田だ。獅子王は畑の近くにある木陰で座っていた。
 秋田は今日の段取りを福島に説明し、簡単なことからやってみましょうと張り切っていた。困ったことがあれば、木陰にいる獅子王に聞けばいいらしい。獅子王さんは畑当番も慣れてますから。秋田はそう教えてくれた。
 肉の器を得て、初めての事ばかりだ。福島はひとつひとつの作業をおっかなびっくり行っていく。草むしりと種まきを終えて一息つくと、獅子王が昼休憩しようぜと声をかけてくれた。その頃には、気がつけば太陽が真上に来ていた。
 昼餉を持ってきて、茶などの用意までしてくれた獅子王のもとに、秋田と一緒に手を洗っててから向かう。
 握り飯を食べる。初めて食べるそれはとても美味しくて、福島が驚いていると、燭台切のお手製だからなと獅子王が微笑んだ。秋田が、燭台切さんのおにぎりはとても好きですと笑う。しかし、仕事はどうしたんだろう。福島が不思議そうに言う。
「光忠は近侍じゃないのかい」
「ああ、それなら今日までだったかな。週替りなんだ」
「へえ」
「ちなみに、次の近侍は長谷部!」
「そうなんだ」
「福島もそのうち近侍をやるから、心構えしておいてくれよな」
 大丈夫。主は無茶を言う人じゃないから。獅子王の弁に、それならいいけれどと福島はやや不安そうにしたのだった。

 夕方まで畑当番の仕事をしてから、三振りで風呂に入って泥を落とす。夕餉はまだ歌仙の特別仕立てで、しばらくは箸の使い方も覚束無いからなと、獅子王が正しい箸の持ち方を教えてくれた。これが案外難しくて、福島は四苦八苦した。

 夜になる。日本号はしばらくは遠征当番らしく、遠征に行っては帰り、帰っては向かった。小判が足りなくてな。獅子王と日本号は遠い目をしていた。福島は小判って何だろと首を傾げた。秋田が、そのうち分かりますと苦笑していた。

 暗くした新人部屋の布団に入るも、寝付けそうにない。またかと福島は息を吐いて、のろのろと布団から出て、上着を掴んだ。
 相変わらず薄い上着を羽織り、廊下を進む。消灯時間を過ぎているために、明かりは消されていた。ぽつぽつと明るい部屋もあるが、多くは個人の部屋なので、小さなランプの灯りだろうと察する。新人部屋の文机にもランプが置いてあった。
 厨にさしかかると、明かりが付いていた。やや迷ってから戸を開く。すると、燭台切が振り返った。
「やあ」
 また眠れないのかな。そんな柔らかな声に、福島はそうらしいと眉を下げた。

 夜の厨は静かだ。燭台切は福島のためにホットミルクを作り、マグに入れて渡してくれた。感謝し、口をつける。甘くて美味しい。福島はほっと息を吐いた。
「本丸には慣れそうかな」
「たぶん」
「それならいいけれど」
 懐かしいな。燭台切が呟く。懐かしいとは。福島が瞬きをする。
「僕も、以前はそうだったから」
「光忠も、なかなか寝付けなかったのかい」
「まあね」
 意外だな。福島が言うと、そうかなと燭台切は小首を傾げる。食器を片付け、野菜庫や冷蔵庫を覗く彼は、忙しなく動いていた。近侍の仕事もあっただろうに。福島が、働きものだなと声をかけると、そこまでじゃないよとの事が返ってきた。
「あなたは食べたいものとかある?」
「まだ料理がよく分からないけれど」
「あ、そっか。まだ歌仙くんの特別メニューだね」
「そうなるのかな」
「食事のマナーを一通り獅子王くんに教えてもらって、合格したら他の刀と同じごはんになるよ」
「そうだったんだ」
「獅子王くんは、あれでいて、言わないからね。必要なことは、きちんと伝えてくれるけど。その辺は個体差かな」
「個体差?」
「所謂、刀剣男士の個体差って言われてるものがあるんだ。励起させた審神者によって、同じ刀剣男士でも、味好みとかが少しずつ違ってくるの。僕もそれなりにあるね」
「へえ」
「面白いよね」
「そうだな。俺にもそういうのがあるのかな」
「きっとあるよ」
 演練とかで同じ刀と会うようになれば、すぐ分かるだろうね。燭台切の言葉に、それは楽しみだと福島は微笑んだ。

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