燭台切+福島/よろこびたまえ/Twitterアンケートより


 春の訪れ、喜色を滲ませるあなた。

 花を愛でるのは、良いことだ。燭台切はそう思う。冬の間、福島はドライフラワーやプリザーブドフラワーを作っていた。贔屓の花屋から仕入れた花を、部屋に籠もって作品に仕立てていく。勿論、出陣には必ず出向き、内番もこなした上で、である。君たちは似てるね。燭台切と共に厨に立つ歌仙が言うので、君たちも似てるよとしか言えなかった。兼定はどちらも、悠々と立っていて、眩しかった。
 春が来たということは、花が咲くということだ。福島は初めての春を喜んだ。桜を愛で、野の花を愛でた。それはもう喜んだので、日本号達も良かったなと頬を緩ませたぐらいだ。
 そして、今日も花が咲く。燭台切は三色団子を作りながら、宴会の準備の手伝いをする福島を眺めていた。
 優しい笑み、丁寧な応対。どれを取っても、光忠にふさわしい姿をした彼に、胸が痛む。冬の間の彼を見たのは、同室の燭台切ぐらいだ。他の刀は姿をあまり見せない彼を、そういう物なのだろうと受け止めていた。それがまた、胸を締め付ける。
 元来の彼を知っているとは言わない。花を愛でる彼が、花を必要としている姿が、痛々しく見えたのは燭台切のエゴである。
 本当は、福島だって声を上げたかったのではないか。花が欲しくて、花が好きで、何より、人の笑顔がほしいと背中で語る彼。燭台切には、何とも苦しい話だった。
「君達は似てるね」
 重箱に、稲荷寿司を並べる歌仙が言う。
「君達こそ」
 燭台切には、そう言うしかなかった。

 宴は何度目だろう。花が咲いて、浮き足立って、酒を交わして、食べ物に舌鼓を打つ。頬を僅かに染めて、ふわふわと話す福島は、酒を飲んではいない。日本号は、あれは場酔いするんだと言っていた。
 嬉しいのは本当。楽しいのも本当。でも一番は、人が笑っていることだろう。それは優しいということか。否、である。
 燭台切にとって、食事を振る舞うのは、相手のためで。福島が花を愛でるのも、相手のためで。そこに悲壮感なんて一つもない。だけど、主体をどこに置くかが難しい。
 健全なる精神は、健全なる身体から。この本丸の審神者の金言である。
「ねえ、光忠」
 お団子美味しいよ。福島がそう伝えてくれる。胸がすくような笑顔の筈なのに、どうしてか、苦しくて。だから、燭台切は応えるのだ。
「たくさん食べてね」
 そうして、あなたの花をもっと見せて、と。

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