燭台切+福島/靄は雫と為りて萌芽潤す


 穏やかに眠る。
 本丸には様々な関係の刀がいる。粟田口のような数多くの兄弟や、髭切と膝丸のような繋がりや、来派のような関係性だってある。関係を明確な言葉にする必要は無い。ただ、相手を認めて、彼らはうまく関係を築いている。
 では、僕はどうだろう。燭台切はまだ、福島のことを兄と呼べずにいる。

 刀剣男士は人を模し、心を得た。それ自体は、悪いことではない。でも、燭台切としてはその心というものを尊いものだと考えていたし、なにかの揉め事があれば積極的に解決の手助けをしてきた。だから、燭台切は心というものに慣れていたと思っていた。
 だが、実際に兄を名乗る同派が来たとき。同じように長船派が祖、光忠が一振りが本丸に励起したときに、燭台切は心に、何とも言い難い感情が浮かんできたのだ。
 兄ではない、とは思う。ただ、家族ではある。長船派の皆のように、同派としての関係は認められた。でも、彼は兄だと笑った。それが、燭台切の心に靄を張る。
 だって、兄弟なんていなかった。この刃に刻まれた黒と金が、何もかもを消し去ったと思っていた。
「みっちゃんは兄弟が嫌なのか?」
 太鼓鐘が落ち着かない燭台切を連れて、万屋街の茶店に連れてきてくれた。
「嫌ではないよ」
 目の前で、太鼓鐘は抹茶と和菓子を食む。燭台切は何も喉を通らないような気がしていた。鮮やかな練り切りが、目に痛い。
「じゃあ、すきなのか」
「好きではあるよ、家族だもの」
「なら、別に兄弟に拘らなくてもいいんだぜ?」
「でも、彼は兄だと言ったから」
 あの時の、微笑みを、燭台切は思い出す。兄だと言ったときの、愛よ、慈しみよ、燭台切にはそれが引っかかる。
「真面目だなあ」
「真面目?」
「兄弟も家族も、そんな覚悟なんていらないからな」
「貞ちゃんは、そうなの?」
「物吉も亀甲も、別に覚悟なんてしてないぜ」
 ただ、そこに居るだけで、いいんだ。太鼓鐘の柔らかな声に、燭台切はまた、心に靄が浮かぶ。何が引っかかるのか、燭台切にも分からない。太鼓鐘はそのまま、買い物でもするかと提案してくれた。

 夜、燭台切と福島の部屋に戻る。燭台切がひょいと入ると、福島は風呂から上がったばかりらしく、まだ水気の残る髪を拭いていた。
「おかえり、光忠」
「あなたも光忠でしょ」
「返事は?」
「……ただいま」
「うん、おかえり」
 福島の笑顔に、燭台切は目を逸らす。格好がつかない。福島の前では、靄が烟って仕方ない。
「そういえば、加州くんたちが爪紅をくれたんだ。魔除けだって」
「ああ、それ」
「足に塗ろうと思って。手は初心者には難しいそうだから」
 光忠も塗るかい。そう言った彼の卓上には赤い瓶が一つ。嫌だな。そう思って、燭台切は言う。
「塗るよ」
「なら、はい」
「あなたの爪を塗るから」
「え?」
 足を出して。そう言うと、福島は困惑した顔をしていたが、すぐに、いいよと受け入れた。その早さに、また、心が烟った。
 まだヒトガタを得て間もない。初々しい四角の爪に、赤い爪紅を塗っていく。赤は魔除けの色だ。ひとつひとつ、丁寧に塗ると、福島がふふと笑う。終わると、きれいだねと嬉しそうにしていた。
「ありがとう、光忠」
「うん」
「とても綺麗だね。それに、ちゃんと魔除けになりそうだ」
「そうだね」
 また、ありがとうと言われる。燭台切はただ、その爪は僕が塗ったんだと考える。そうすると、心の靄が少しだけ晴れた。
「光忠?」
「ねえ、あなたは」
「うん」
「僕が弟じゃなかったら、声をかけなかったかい」
 拗ねたような声が出た。しまったと思う。でも、福島は気にしなかった。
「そうだとしたら、そもそも、俺は存在しないよ」
 その言葉に、あ、と心になにかが落ちた。
 そうだ。彼は、光忠なのだ。
「兄弟とか、家族とか、そういう物の前に、光忠だから」
 長船派が祖、光忠が一振り。それが、第一だったのだ、と。
 燭台切はその答えが漸く腑に落ちて、そっと福島に視線を戻した。
「明日の朝ご飯に食べたいものはあるかな?」
 遅くなったけど、励起したお祝いに、と。その言葉に、福島は光忠のご飯は何でも美味しいからなあと楽しげに悩んでいた。

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