姫鶴+小豆/アールグレイと栗の実


 きみには笑ってほしい。
 刀に思うような願いではない。姫鶴は本体を鞘に戻した。たったと五虎退が駆けて来る。
「えっと、索敵終わりました。もう危険はありませんっ!」
「ん。ありがと、ごこ」
「はいっ」
 じゃあ帰ろうか。姫鶴は部隊を引き連れて、本丸に帰還した。

 本丸の匂いがする。姫鶴はとろとろとした眠りから浮上していく。粘度の高い水の中、揺らぐ大きな泡のように。
 目覚めると、手入れ部屋だった。目覚めたかい。歌仙が安心したように息を吐いた。
「帰還してから今までの記憶は?」
「ない」
「だろうね。少し憑物があったから、石切丸が祈祷したんだ。怪我もあったし」
「軽傷だよ」
「だとしても、まだ練度の低い貴方には命取りになる」
「はいはい」
 じゃあもう手入れ部屋から出ていいからねと歌仙は部屋を出て行った。審神者に報告するのだと、その足取りで分かった。

 手入れ部屋を出ると、少し冷たい風が頬を撫でた。燃えるような紅葉が、本丸を包んでいる。秋だ。姫鶴は廊下を歩く。
 窓の外を横目に、すたすたと淀みなく歩くと、やがて厨に着く。そこでは燭台切と小豆が栗の皮剥きをしていた。小豆が先に顔を上げる。
「おや、姫鶴。ていれがおわったのだな」
「ん。何してんの」
「くりのかわむき、だな。なれないこがむくと、けがをしやすいからね」
 なかなか、てつだいを、たのめないんだ。そう肩をすくめる小豆の斜向かいの席で、燭台切がそうなんだよねと苦笑している。
「姫鶴さんに飲み物でも出そうか」
「いい、別に」
「鶴さん秘蔵の水出し紅茶があるけど」
「何それ」
「ああ、たまにつくってるんだよ。いっぱいぐらいならいいとおもう」
 燭台切が冷蔵庫から器を取り出し、硝子のコップに茶を入れる。そして、アールグレイだよと渡してきた。姫鶴はそれを受け取る。ぷうんとした柑橘類の匂いにくらりとした。
「いい匂い」
「おきにめしたかな」
「鶴さんに言っておくね」
「ん。ここにいていい?」
「かまわないよ」
「あ、じゃあ僕、ちょっと届け物があるんだよね」
「届け物?」
「昨日から薬部屋に閉じ籠もってる薬研くんにごはんを、ね。あとそろそろ外に出なさいって言わなきゃ」
「あっそう」
 じゃあすぐ戻るからと燭台切が厨を出て行く。姫鶴は小豆の向かい席に座ると、栗の皮剥きを続ける彼の手元を見た。包丁を使う手は慣れていて、とてもじゃないが危なそうには見えない。ちからがいるんだよ。小豆が言った。
「そうなの?」
「かたいからね、ちからかげんをまちがえると、すぐにてをきるよ」
「体験談?」
「まあね。はじめのころは、くろうしたよ」
 姫鶴の手元にはアールグレイ。小豆の手元には剥かれた栗の実。働きものだこと。姫鶴は目を細めた。ぷうんと、柑橘類の香りがする。
「どうかしたのかい」
 そうして微笑んだ小豆に、嗚呼と姫鶴は自覚した。
「あつきには笑ってて、ほしい」
 刀に持つような感情ではない。そう思うのに、溢れる言葉は止まらなかった。小豆はきょとんと目を丸くしてから、ははと笑った。
「姫鶴も、ひとになれてきたね」
 ほうら、やっぱり。姫鶴は眉を寄せて決まり悪そうに紅茶を飲んだ。鼻に抜ける華やかな香りが、思考を掻き乱してくれた。

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