さみくも/発露
※ネタバレ注意


 朝露の匂いがした。まだ薄暗い朝方、村雲はすんと鼻を鳴らし、布団から起き上がり、迷わず戸を開く。
 そこにいた刀剣男士は、ふっと微笑んだ。
「おはようございます」
「雨さん、またこんな時間に。ちゃんと寝てるの」
「雲さんこそ、お迎えありがとうございます」
 村雲は夜戦帰りなんでしょうと言う。
「湯浴み、しておいでよ」
「ええ、着替えを取りに来ました」
「今持って来るから、待ってて」
「部屋に泥を運んではいけませんからね」
「血の臭いがするよ」
「返り血です。心配してくださり、ありがとうございます」
「うん。心配になるよ」
 村雲はせっせと五月雨の風呂用意を整えると、桶に入れて、はいと手渡した。
「寝ると思うから、寝間着ね」
「まだ朝餉まで時間がありますからね」
「うん。ちゃんと寝てね」
「雲さんも寝てください」
「待ってるくらい許して」
「嬉しいですよ」
 本当に。五月雨はそう言うと桶を手に、風呂へと向かった。

 今日は曇り空だった。

 雨はすぐには降りませんよ。外をボンヤリと眺めていたら、いつの間にか五月雨が戻ってきていた。髪もしっかり乾かした様子に、村雲はホッと安心する。
「布団の用意はできてるから」
「ありがとうございます」
「そろそろ起きるよ」
「おや、そうですか」
「二束三文なりに、働かないとね」
 村雲に、集団生活の心得を教えたのは、五月雨だ。なので、五月雨は良いことですと、微笑んだ。

 五月雨が布団で横になったのを確認してから、村雲は着替えを済ませて部屋を出た。洗面所で身支度をして、厨に向かう。
 厨では、歌仙がざかざかと米を洗い、炊く準備をしていた。村雲さんかい、歌仙は振り返る。
「手伝いかな?」
「うん、できることは少ないけど」
「順番に覚えればいいさ。五月雨さんは?」
「寝てるよ。夜戦だったから」
「ああそうだったね。夜戦に参加した刀たちはまだ寝ててもらおう。さあ、味噌汁を作ってくれるかい?」
「うん」
 慎重にネギと豆腐の味噌汁を作っていると、おはようと野菜籠と卵籠を抱えた燭台切と太鼓鐘がやって来る。どうやら朝餉用の食材を調達してきたようだ。
「春野菜を持ってきたよ」
「卵もちゃんと確保したぜ!」
「二口ともありがとう。手を洗って卵焼きと野菜炒めを作ってくれるかい」
「野菜炒めにお肉入れようか?」
「いいね」
 そこで太鼓鐘が、おはようと改めて村雲に声をかける。村雲はビクッと驚いてから、おはようと返した。
「村雲さんは味噌汁の担当か?」
「うん。そうみたい」
「俺は卵焼き! 村雲さんは甘いのと、出汁が効いてるの、どっちがいい?」
「甘いほうかな」
「じゃあそうするか!」
「二束三文なんかの意見でいいの……?」
「こういうのは、厨番の特権だ!」
 にぱっと太鼓鐘は笑う。村雲は、そういうものなんだなと理解した。なにせ、このやり取りは本丸に励起されてから、もう何度目か数えられないほどになるからだ。

 料理なんて出来ないと思っていた。だが、五月雨の食べる握り飯を見ていたら、彼に作って渡したくなって。痛む腹を押さえて初期刀の歌仙に相談したのが切っ掛けになり、するすると厨番の手伝いにと迎えられた。

 朝露の匂いは消えている。本格的に朝となっていた。そうこうすると、本丸がバタバタと、にわかに騒がしくなってくる。
 雨さんを起こしに行こうかな。村雲が手を止めると、察したらしい燭台切が水出し茶を渡してくれた。起こしに行ってあげて、とのことだった。

 部屋に向かう途中、篭手切と出会った。脇差部屋が何やら騒がしい。どうしたのと質問すると、部屋に猫が潜り込んだようだ。
「本丸に猫が?」
「おそらく転移装置のばぐです! 今から報告に行くところで……」
「そう、転ばないように気をつけてね」
「はい!」
 ぱたぱたと篭手切が審神者の執務室に向かう。猫か。村雲は眉を寄せた。どうせ寄り付いても来ない猫。考えるだけ、胃を痛めるだけだろう。だから、考えるのをやめた。

 部屋に入る。五月雨がぱちりと目を覚ました。長い睫毛が揺れた。
 村雲は挨拶をするため、口を開く。
「おはよう」
「おはようございます」
「眠れた?」
「ええ、それなりに」
「まだ寝ておく?」
「いえ、起きます」
 体が鈍りそうですから。五月雨が言うと、村雲は、雨さんなら大丈夫だろうにと、思っていた。

 五月雨と共に朝餉を済ませる。今日は二口とも、休みだった。
「雲さんのご用事は?」
「雨さんについていくよ」
「では裏庭の散歩でもしましょうか」
 つまり、見回りだ。村雲はこくんと頷いて、雨さんが言うのならと目尻を垂らした。

 五月雨が歩く。村雲がその横を歩く。以前は、後ろを歩いていた。隣は許されないと思っていた。考えもしなかった。だが、五月雨が言ってくれたのだ。
「雲さん、隣を歩いてください」
 命令なようで、底まで優しい声。村雲は許されたと、直感した。

 本丸の裏庭は広い。城の防衛装置の点検は係の刀がいるものの、五月雨のように見て回る刀が多い。同じ道具故に、思うところがあるのだ。村雲としても、自分の目で見て道具の調子を確認しておきたい気持ちはわかる。

 いつも通りの見回りを終える頃、ぽつりと雨粒が落ちた。雨が降る。五月雨が、村雲の手を取った。あ、と思う間に、軒下に連れて行かれた。

 ザアザアと、軒下。本降りとなった雨の中。どうしようかと、村雲は五月雨を見る。五月雨は雨を楽しみましょうと穏やかにしていた。
「楽しむの?」
「ええ、雨のにおいと、音と、感覚を研ぎ澄ませるんです」
「向きそうにないや」
「そんな事はありませんよ」
 雲さんは同じ刀剣男士ですから、と。同じなんかじゃないのに。村雲は、そっと、繋がれたままの手を握り返した。
「雨さんは優しいね」
「そんなことはありませんよ」
「優しいよ」
「雨にかこつけて雲さんと一緒にいるのに?」
「……そうなの?」
「ええ、そうですとも」
 五月雨は、雨が止んだら空を見上げてみましようと笑った。きっと、虹が出る、と。
 村雲は、まだ虹を見たことがない。それは楽しみだと、ゆっくり肩の力を抜いたのだった。

- ナノ -