02.虚無から覗く微笑み/今獅子/ワンダーランド


 暗い森の中、赤い蝶々が飛ぶ。ひらひら、ひらひら。歩いて、追いかけて。淡く光るそれ。待って、待ってくれよ。
 蝶々を追いかけていると突然視界が開けた。月明かりで満たされた広場に彼は居た。
「あれ、どうしたんですか獅子王。」
 今剣はそう言うとふわりと装飾をたなびかせてこちらに振り返った。にこりと笑う姿は無邪気で愛らしい。だから俺はそうだなあと告げる。
「どうだったかな。そうだ、気がついたらここにいたんだ。」
「そうなのですね。ならばいっしょにあそびましょう!」
 今剣はそう言うと両手を俺に向けて差し出した。その手の中には蹴鞠。赤と白の糸で彩られた蹴鞠があった。
「さいしょは獅子王がどうぞ。」
「うん。」
 俺は近寄るために歩き出して、そういえばと気がつく。
「蝶々はどこだろう。」
「どうかしましたか?」
 今剣は笑う、笑う。
「あ、いや。なんでもない。」
「そうですか。」
 蹴鞠を受け取ろうとして今剣の後ろに穴があることに気がつく。真っ暗で底の見えないその穴は人が二人は一度に入れる直径があった。けれどなぜか恐ろしくは思えなかった。
 今剣は言う。
「おそろしいでしょう。」
 見当違いな言葉に急いで否定をする。そんなことはない、俺は恐ろしくは思えないと。すると今剣は目を見開いて、それから真剣な顔で問いかけてくる。
「ならば獅子王にはどうみえるのですか。」
 だから俺は穴をよく観察する。確かに暗く、深く、大きな穴だ。
「暗くて深くて大きな穴だ。だけど、安心できる暗さだな。」
 恐ろしい闇夜の色ではなく、もっと温かな色だ。まるで、俺たちは経験したことのない母の胎内のように。優しい優しい籠の中、その場所のように。
 今剣はくしゃりと泣きそうに顔を歪めて笑む。
「“ほんとう”はつたわらないのですね。」
 ならば、と聞こえた瞬間に、俺たちは穴へと落ちていった。


「おはようございます獅子王!あさですよ!」
 今剣の声に目を覚ます。ああ夢か。今剣の顔をじっと見れば、今剣はきょとんと不思議そうな顔をする。どうかしましたかと問いかけてくるものだから、俺はそうだなと考えて伝える。
「奇妙な夢を見ていたんだ。」
「ゆめですか。たのしかったですか?」
「そうだな、不思議な夢だったぜ。」
 最初は無自覚だったのだ。蝶々は今剣。蹴鞠は日常。ならあの穴は。嗚呼、俺はもう気がついてしまったんだ。
「今剣になら飲み込まれてもいいかもしれねえな。」
 笑んだのはきっと俺だけではないのだ。

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