01.茨の螺旋に抱かれて/じじしし

 悪いことは言わないよ、彼はやめておきなさい。なんて。
 誰が言ったのだろう、誰が発端だったのだろう。遡ってしまえば全ての火種はきっと目の前の月なのだろうけど。美しい月の、その虹彩にある月を見つめる。ため息すら出そうな美しさだ。この月はとびっきり美しい。
「満足したか。」
「まだ。だけど、三日月が疲れたならやめる。」
「そうか。俺もお前の目が見えるので楽しいが、どうにも疲れてしまった。」
 お前の目は光の加減で色が変わるからな、なんて愛おしさを滲ませて言うのだからこの月はタチが悪い。素直な好意ほど対応に困るものはないのだ。きっと、短刀ほど幼ければそんなことないのだろうけど。
 美しい月、三日月宗近の目から目を逸らし、目を閉じる。開けばまた三日月が見えるのだろう。でも、瞼の裏に焼き付いた瞳の美しさを堪能したかった。
 目を閉じたままにしていれば三日月が動く気配がして、するりと首筋を撫でられる。思わず震えれば、三日月が笑ったような気がした。そして首筋を何度も撫でるものだからざわざわと脳味噌が騒ぐ。三日月の指先が喉仏に触れるたび、非常事態だと叫ぶ声が脳味噌を蝕んでいく。それらは恐怖だ。首はどうしたって人の身の急所なのだから。
 でも俺は三日月を止めることはしない。三日月が楽しそうなのもあるが、俺は三日月がこんなにも触れるのが自分だけだと知っているからだ。三日月が人に触れることをあまりしない。世話をするよりされる側だし、短刀を褒める時に頭を撫でたりはしない。でも潔癖症だとかそういう話ではないのだ。ただ、三日月には人に触れる習慣があまりないということだ。
 三日月は嬉しそうな雰囲気を纏って口を開く。
「口付けをしてもいいだろうか。」
 そう聞こえた時には三日月の頭が近付いて来ていて、首筋にぬくもりを感じた。俺の答えなんて聞いちゃいないことぐらい、俺はとうに慣れている。
 三日月が俺の首筋を舌で舐め、そこに唇を寄せて口付けを落とす。チリ、と痛み。鬱血しただろう。後で手入れしてもらわねばとぼんやり思えば、三日月は笑う。
「目は開かぬのか。」
「……まだ、」
 瞼の裏、黒に浮かぶ月。三日月とは欠けた状態でありながら、完全とすら思うほどに美しい。でも、やっぱり瞼の裏じゃ飽きてしまう。だからゆっくりと目を開く。最初に三日月の顔が見えて、その口元が弧を描いていることを認識した。嗚呼、美しい月が笑ってる。
「獅子王や、その目を今一度俺に見せておくれ。」
 そんなことを言わずとも、俺の目は三日月に釘付けだというのに。

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