これはきっと綺麗な涙/鳴獅子/嫉妬話
タイトルは診断 書くものに悩む貴方へ 様からお借りしました


 こんなの、間違ってるのに。

 手の上には小さな瓶詰めの金平糖。誉をとったご褒美にと主がくれたそのお菓子を持って、俺は上機嫌で鳴狐を探していた。
 せっかくこんなに綺麗で美味しそうなお菓子を貰ったのだから、鳴狐と食べたいと思ったのだ。普段言葉が少なくて、表情もあまり変えない彼が笑ってくれたらなんて俺は夢想した。
 探し歩いている間にお供の狐を見つけた。五虎退の虎探しを手伝っているというお供の狐に、鳴狐の場所を聞いたら向こうですようと池の側を教えられた。礼を言って俺はそこに向かう。
 弾むような心地で歩いていると、遠くに鳴狐の姿が見えた。鳴狐、名前を呼ぼうとして俺は足を止めた。彼が誰かと喋っていたからだ。
 どの刀かはこの距離じゃ分からない。ただ、槍や大太刀といった大きな刀ではない。でもそんな事はあまり関係なくて、ただ鳴狐の様子が俺の足を止めた。
 少し頭が揺れて、ふふと僅かな笑い声。後ろ姿なのにそれが分かるのは、きっと俺が彼を恋しく思っているからだろう。あの鳴狐が、俺の知らないところで、俺以外の誰かに笑いかけている。その事実に心臓が悲鳴を上げた。
 そんなの当たり前なのに、ちっともおかしいことじゃないのに、俺はくるりと踵を返し、走り出した。

 途中で誰かに呼び止められた気がしたけれど、俺は止まらなかった。悲鳴を上げる心臓が気にならなくなるぐらいに走って、自分の部屋に駆け込んだ。行儀悪く音を立てて戸を閉めて、部屋の真ん中にずるずると座り込む。心臓を掴むように胸を押さえて、唇を強く噛んだ。ぷつり、血のにおいが鼻を掠めた。
「……うそだ。いやだ。こんなの」
 蚊の鳴くような声が出た。みっともないのに声を出すことを止められなかった。
 こんな風に胸が締め付けられて、苦しくなるなんて嘘だと思った。これが嫉妬というものだと理解したら、真っ先に嫌だと思った。こんなのは要らないと思った。
 嫉妬しちゃうと鬼になるよ、誰かが言ってた。それを何度も心の中で繰り返し唱えて、ぶつぶつと口も動かす。嫉妬なんて醜いものはいけないんだと繰り返す。

 するりと、戸が開く僅かな音がして、俺は顔を上げた。誰なのか。誰だとしても、こんな時には誰とも関わりたくないんだと言いたくて振り返った。誰かわかった瞬間、ドクリ、心臓が歪な音を立てた。
 そこに、鳴狐がいた。

 彼はゆっくりと部屋に入る。後手で戸を閉めて、一歩一歩近づいてくる。俺はそれが怖くて、否、嫉妬が知られるのが怖くてずるずると彼から離れた。背中に壁が当たると、もう逃げられないと俺は青ざめた。
 鳴狐は俺に近づいて、そっと俺の顔に触れた。両手で俺の顔を包み込んで、それから親指を目元に滑らせた。するりと何かが拭われた感覚がして、俺は自分が涙を流していることに気がついた。
 涙なんてとんでもないと俺は彼の手の中から逃げ出した。彼が手を離して、俺の目をじっと見つめていた。俺は彼から目を離したいのに離せなくて、唇をまた噛んだ。血のにおいがした。
「血、出てるよ」
 それぐらい知ってると言いたかった。でも、口を開くことで何か醜い言葉を吐いてしまうのではと恐ろしくなった俺は何も言えなかった。
 鳴狐がゆっくりと言った。
「綺麗だね」
 その言葉を聞いたら、直さま嘘だと思った。だけど鳴狐は言葉が少ない代わりみたいに、嘘だけは絶対に言わない。だから俺は目を見開いて、呆然としてしまった。
 だって綺麗なものなんてひとつもないのだ。俺の醜い嫉妬も、こうして部屋まで逃げてきたことも、鳴狐に怯えて動けないことも、何一つとして綺麗なものなんて無い。その筈なのに、鳴狐は綺麗だなんて言った。
「なんで」
 俺の口から自然とその言葉が溢れた。その声に反応した鳴狐がふわりと笑った。幸せそうに笑ったのだ。
「獅子王が嫉妬してくれた」
 ね、綺麗でしょう。そんな言葉が聴こえるようだった。意味が分からないのに、どこか認められたかった気持ちが肯定された気がした。少しだけ息を吐いたら、じわりと唇が痛みを訴えた。痛みでは無い理由で、ぽろりぽろりと涙の粒が頬を滑った。鳴狐の手入れされた指が、涙に触れた。
「また泣いてる」
 鳴狐のせいだって言いたかったけど、俺はそっと体をずらして部屋の隅の自分のそばに転がっていた小瓶を持ち上げた。
「これ、たべようぜ」
 一緒に食べたくて探してたんだと伝えたら、鳴狐は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう」
 その笑顔に少し恥ずかしくなった俺は俯きがてら頷いて、手の中の小瓶の栓を抜いた。
 手のひらに転がった小さな金平糖が僅かな光を浴びて、まるで宝物みたいに輝いていた。

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