膝獅子/殆どが不確かな壗/ぼんやりした昼のこと+夏の前・晩春+蜃気楼にはまだ早い/付き合ってません


 ぼんやりとした昼のこと。
 皆がそれぞれの仕事をしている。晩春の昼間は明るく、どこかまどろむような空気が漂っていた。俺はその中で伸びをして、いい天気だなあと呟いた。
 本日、俺は休暇だった。なので鵺を洗ってやり、ドライヤーで毛をふわふわに仕立てた。さて、次は何をしようか。こんなに過ごしやすい天気なのだから、給料で買ったゲームで遊ぶ気分にはなれないし、部屋でごろごろするのも勿体無い。
 とりあえずふらふらと歩いて彼の元へと向かった。同じ刀剣男士の彼も、今日は休みだったはずだ。ならば構ってくれるだろうと、俺はぽかぽかとした庭を歩いた。
 静かな場所を好む性格をした刀は母屋とは離れた屋敷に部屋を割り当ててもらっている。俺はその屋敷に辿り着くと目当ての刀を探した。途中で江雪左文字を見かけると、彼はすぐに膝丸なら自室にいますよと教えてくれた。ありがとうと礼を言って、彼の部屋に向かった。そう、俺の探している刀は膝丸だ。

 部屋の前に行くと、戸は開かれていた。彼が、読んでいた書物から顔を上げる。だから声をかけた。
「膝丸、なに読んでるんだ? 」
「獅子王か。大したものではないぞ。」
 ひょこひょこと歩いて彼の隣に座り、本を覗き込む。どうやら主から借りた推理小説というものらしい。
 俺が来たからと本を閉じる膝丸を、そっと見つめる。そういえば最初は膝丸さんと呼んでいたけれど、いつの間にか呼び捨てになった。今考えてみると、膝丸が俺を呼ぶ声がやわらかかったから、のような気がする。彼が俺を呼ぶ声はいつもやわらかくて、心に響く。
「獅子王、どうした。」
「ううん、何でもない。」
 笑えば、膝丸は不可解そうな顔をしていた。眉が寄ったので、指先で伸ばしてみると、ため息を吐かれた。
「暇だったのか。」
「鵺を洗ったぜ。そんで、天気いいからゴロゴロするには勿体無いなって。」
 それもそうだと膝丸は言って、少し考えだした。どうしたのかと見つめていると、彼が瞬きをしてから俺を見た。その真っ直ぐな目にどきりとする。
「散歩に行くか。兄者がちょうど良い場所を教えてくれたんだ。」
「ちょうど良い場所って? 」
「着いてからの楽しみにしておけ。」
 そう言って立ち上がった膝丸は俺に向かって手を差し伸べた。だから俺はその手を掴んで立ち上がると、お礼を言おうと顔を上げる。すると彼の顔が近付いてきて額に口付けられた。
 何だかくすぐったくて笑ってしまうと、彼は優しい目をして俺を導きながら歩きだした。

 手を繋いだまま、本丸の中を歩く。誰にも会わないのは、きっと膝丸が会わないルートを選んでいるからだろう。暖かな日差しの中を二人でゆっくりと歩く。
 この本丸は広い。だから、誰も知らないような場所がまだまだある。膝丸が行きたいのはそういう場所だろうと考えていたら、ふと立ち止まった。甘い香りに、周囲を見回す。

 そこには白い花が咲いていた。小さな花畑のようなそこは、どうやら誰かが管理する花園の一角らしい。離れた場所には別の花々が咲き乱れていた。広そうなその花園を、なぜ自分は知らなかったのだろうと思いながら、白い花に近づく。イベリスという花だと、膝丸が教えてくれた。
「いい匂いだな。」
「手折るなよ。」
「分かってる。」
 晩春の日差しの中、白い花が華やかに輝いている。俺たち以外には誰もいない花園の片隅は、まるで夢の中のような心地を感じさせた。
 膝丸、と呼びながら顔を上げれば、気に入ったかと穏やかに聞かれた。もちろんと俺は答える。
「まるで幻みたいだ。」
 繋いだままの手を握り直せば、彼はすぐに応えてくれる。
「隣に居るから安心しろ。」
 その言葉は少し厳しいのに、声はやっぱりやわらかくて、俺は嬉しくなった。
「ありがと。」
 立ち上がって、彼を向いてそう言えば、彼はそれは良かったと優しい笑みを浮かべた。

 そうしてまた歩き出した彼に続く。花園をぐるりと見てしまおうと提案した膝丸に、それはいいと喜んで賛成したのだった。



title by.水魚

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