髭獅子/素敵な夜/うまく眠れない獅子王さんとそれをよく知っている髭切さんの話


 夜に響く声は何か。
 髭切が布団の中で目を開く。彼は自分の覚えのない間に潜り込んでいた掛け布団から顔を出して部屋の様子を伺った。まだ時は夜の宵の中で、髭切と同室である膝丸は寝ている様子だった。髭切はそれをしばらく見つめてから、外の方を見て、布団から抜け出した。身震いをひとつし、上着となる着物を探してがばりと羽織った。そして満足した様子で白いそれをはためかせながら彼は襖を開き、夜の宵の中へと足を踏み出した。

 外は月が沈んだ真夜中。桜の花がぼんやりと見える春の夜は未だ寒い。でもそれをあまり苦とは思わないのか、髭切はするすると歩みを進めた。どこへ向かうのか、目的地は決めているのか。道中に辺りをきょろきょろと見回しながら彼は進み、やがて庭の一点に目を留めると口元に笑みを浮かべた。

 そこには黒い何かがいた。それは黒いけものだ。その黒い獣にこの本丸の刀たちはよく馴染みがあるので、髭切もまた恐ろしくは感じないのだろう、彼は庭に降りると砂利を素足で踏んで歩き始めた。
 音を立てて歩き、彼は獣に近付くと、じろじろと観察した。黒い獣はとても大きく、平成の世で言うところの軽自動車ほどの大きさはあった。そんな動かない獣に対し、髭切は観察を続け、やがてその周りをぐるりと歩いた。そしてその獣のふわふわとした毛に埋もれるように寝ている人影を見つけると、くすくすと笑う。その音で人影がぴくりと動き、反応した獣が体を僅かに動かして、髭切の前にその人影を露わにさせた。
 それは金色の髪をした小柄な青年だった。寝間着ではなくジャージを着た青年、その刀は髪と同色の睫毛を揺らして目を開いた。刃色の片目が、月の去った夜を謳歌する星々を映す。髭切はそんな目をまじまじと見つめてから、青年に手を差し伸べた。
 青年は何度か瞬きをして、困った様子で髭切を見上げた。髭切は至極楽しそうに口を開く。
「君の部屋は一人部屋だったよね。」
 髭切のその言葉に小柄な青年はさっきよりも困惑した様子になり、埋まるように寄り添っていた獣に体を押し付けるように退いた。しかし髭切は手を差し伸べたまま動くことはせず、楽しそうに告げた。
「僕が寝かしつけてあげよう。大丈夫。狼になんてならないよ? 」
 穏やかでいて、かつ楽しそうに言う髭切に、青年はしばらく困ったり戸惑ったりと言った様子を続けてから、観念したように髭切の手に手を重ねた。髭切はそれを待ち望んでいたように小柄な青年の手を引っ張って引き寄せ、ひょいと抱き上げた。縦抱きのそれに青年は驚いたらしく、小さな悲鳴を上げた。その悲鳴に獣がぴくりと動くが、髭切が獣に笑みを返せば獣は素知らぬ顔で体を縮ませ、どこかへと立ち去った。

 抱き上げた小柄な青年の部屋の前。庭に面する廊下がある其処に髭切が青年を下ろし、自分は足の砂を軽く払ってから屋敷へと上がった。そして戸惑っている青年の横をすり抜けて襖を開き、我が物顔で青年を導くと、襖を閉めた。暗い部屋の中、布団も敷いていない部屋にしょうがないねと片隅に畳んであった布団を髭切は危うげなく準備した。
 しかし青年の一人部屋であるが故に布団などの寝具は一組しかない。その事を告げる青年に、髭切は笑って布団の中に潜り込んで青年のために布団を持ち上げた。小柄な青年はおろおろとしていたが、手を取った時と同じように、やがて諦めた様子で布団へと潜り込んだ。

 身を寄せ合って並んだ布団の中、青年が髭切の体に擦り寄るように丸くなって寝息を立て始める。そして髭切は、そんな青年の小柄な背中を優しく撫でてから愛おしそうに彼の頭へと口付けを落とし、眠りについたのだった。

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