じじしし/壊れた電話機/獅子王は三日月の優しさに怖くなる
電話→獅子王
切った人→じっちゃん
三日月→未来に導く


 雨模様、梅雨の頃。本丸の中を暇つぶしに歩き回っていたら見つけた小屋。そのオンボロ小屋の、これまたオンボロな扉をこじ開けて入った先には古風な箱型の電話があった。

「あっつ、い。」
「何だ獅子王はばてたか。」
「むしろ何で三日月のじーさんがばててないんだ。」
 夏の暑さにうんざりしながら三日月へと振り返れば、片手には水筒を持ち、片手にはタオルを持っていた。どうやらちゃっかり休憩しようとしていたらしいと分かって、ため息。本日の俺と三日月は畑当番である。真夏の本丸で影のない畑での当番はなかなかに大変で、そろそろ当番の人数を増やせと主に抗議している刀もいるぐらいの作業なのである。その事をこの刀はちゃんと分かっている上でこういう風にマイペースを崩さない。流石だとすら思う。
 三日月がほれほれと手招きするので近寄れば、タオルで額を拭われる。汗をかいているとぽんぽん押し付けられ、怒る気力も湧かない。そもそも夏の暑さでただでさえ体力を使うのだからそんな事に気力を使いたくない。
 しょうがないので三日月からひょいと離れて畑仕事に戻る。今やってるのは雑草抜きで、夏の暑さで芽吹く奴らはすぐにすくすくと成長する。小さな芽にも気を抜けないと慎重に作業を進めた。

 雨で肌寒い、梅雨の頃。見つけた古い電話はどうやら壊れているらしかった。受話器らしいところを持ち上げたり、番号を無意味に操作したり、反応がないけれどガチャガチャという音はした。でも、それだけだ。壊れてしまった電話は本来の役に立てず、ただ、こんなオンボロ小屋で眠るだけ。
 当たり前だ。だけど少しだけ、寂しいこと。

 畑仕事が終わったのは夕方だった。きつい西日を浴びながら背中を伸ばすとぱきぱきと音がした。短刀にマッサージしてもらおうかな何てじじいらしく思っていたら声をかけられる。そちらを見れば水筒やらタオルやらをカゴに入れて背負った三日月がいた。少し離れた場所に立つ彼をまじまじと見る。内番着でカゴまで背負ってるのに、夕日の中で美しく輝くその刀は、今度こそ流石だとしか思えなかった。
 そんな俺に三日月が手を差し出し、言う。
「ほら獅子や、おいで。はやく帰ってしまおう。」
 微笑みを浮かべて差し出された手はどこまでも優しい男の手をしている。

 小屋の中、雨の音が聞こえる。散々触った箱型の電話を、今度はそっと撫でた。さみしい電話だ。そして、自分に少しだけ似ている気がした。
 雨の中で、ひとりぼっちで。ほら、あの時に似てる。
 この機械は電話だったからには誰かと繋がっていたのだろう。回線が伸びて、誰かと繋がって、言の葉を紡いだのだろう。きっと最後の瞬間まで、この電話は誰かと繋がれるように準備していて、ぶちりと人の手で切られて、そうしてこんな風に壊れるんだ。
 ゆっくりと何度も撫でていると突然ギィと音がした。振り返れば、あのオンボロ扉を開いて刀剣男士が立っていた。ししおう、と彼は俺の名を呼び、手を差し伸べる。逆光でよく見えないけれど、とても美しい刀が優しい声をだして言った。差し出された手もよくは見えないけれど、とても優しいように見えた。
 底まで優しい男の手をしていると。

 嗚呼、あの時に似ているのだ。あの梅雨の日に俺を見つけ出して手を差し伸べた三日月宗近と、それを見つめる自分の姿。

「そういえばあの壊れた電話機を主が使えるようにしたらしいぞ。」
 手を差し伸べたまま、三日月は穏やかに言う。それなのにその言葉は俺に突き刺さった。どうしてその時の事を考えていたのが分かったのだろうとか、偶然にしては出来すぎてないかとか。でも三日月はまるで独り言のように、直したというより術を施したようだがと言ってくすくす笑う。それでも、俺は動けないでいた。だからだろうか。三日月が俺の元に一歩、また一歩と近付いてくる。
 すぐに詰められた距離。ある程度近づくと三日月は俺の手首を握った。
「さあ、行くか。」
 そうして微笑んで俺の手を引いて歩き出した。俺はなんとかそれに着いて行き、手首から伝わる三日月の体温が優しくて、この刀は如何してこうも優しいのかと涙がこぼれた。

 さみしかった。どうしようもなくて、どうしようもないこと。ただ、さみしい。そんな俺に三日月は手を差し伸べたんだ。その、優しいこころで。
「獅子や、今日の晩飯はなんだったか。」
「たしか、メシの後にスイカ出すって、言ってた。」
「そうかそうか。それならば晩飯の量を考えねばな。」
 そこで俺は三日月の優しい手からすり抜けて、手を彼の手に絡めた。優しさに応えたいとした行為だったのだが、ふと立ち止まって俺を見た三日月の目は少しだけ驚いていた。でもすぐに優しい優しい目になる。
「獅子や、かなしいか。」
 優しい声で問いかけられて、繋いでいない方の手で頬を触られたところで俺はようやく自分が涙をいくつも溢している事を知った。ぽろぽろと流れるそれに少しだけ混乱して、手で拭おうとすれば三日月に止められる。カゴを降ろして、まだ綺麗なタオルで俺の頬をぽんぽんと撫でた。
「泣くのなら、たんと泣くのがいいぞ。」
 時間はあるからなと優しく言うものだから、俺はその言葉に甘えて涙を流れるままに落としていく。
 そして、この刀はどこまで優しいのだろうと少しだけ怖くなった。ただただ優しい刀の、底なしのような優しさは俺を救って掬い上げて、どこまで俺を許容してしまうのだ。嬉しいことだけどほんの少しだけ恐ろしかった。

 だって、電話は壊れたんだ。

 三日月が良し、とタオルを離す。もう涙は流れていないようだった。タオルをカゴに戻す三日月の、その背中に手を置けばすぐに彼は反応して、どうしたとゆっくりした動作で俺に向き直る。優しい目、優しい声、優しい表情。
「みかづき、俺、少しだけ怖いんだ。」
「何が怖いと言う。」
「みかづきが、こわいんだ。」
「俺が、か。」
「だって、電話は壊れたんだ。俺、壊れちゃったら。」
 優しいあなたに切られたら、私はもうがらんどうなのだと。そう伝えたのに三日月は優しく笑ったままで。
「そうか。それなら怖くないな。」
「なんで。」
「何、俺はお前を切らないからだ。」
 未来を語り、繋いだ手を引き寄せて、ふらりと近寄った俺を抱きとめた彼は俺の背中を優しく撫でる。三日月の腕の中で俺は壊れた電話を想った。そうか、あの電話は繋がるようになったのか。どことなのかは知らないし、かつて電話が繋がっていた場所はきっともうない。それでも、電話は使えるようになった。電話の息は続いていたのだ。だから、俺だって、かつてとは繋がれないけれど、今ここに三日月がいる。彼が今見せようとしてくれた未来というものがあるのだ。刀が俺の背を撫でる手を止めた。優しい男の声がする。
「少し疲れただろう。なあ獅子や、おぶってやろうか。」
 嗚呼それは、優しい未来が在るのだと。



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