鶴獅子/呼吸が下手なわたしたち/生き辛そうな鶴獅子さんの話/ヤンデレ手前で双方共に愛が重い


 名も知らぬその底へ。
 それは夕方の頃。寂しい心地がする蝉の声が聞こえる季節。夏はもうそろそろ終わるのだろう。寂しいと確かに感じた俺は笑みを浮かべる。こんな心地は人の形を得て初めて得たものだ。生きることのないモノに寂しさなどある筈もないのだから。
 蝉の声がする夕陽色の庭を歩く。向かうは門であり、そろそろ出掛けていた獅子が戻る頃だった。獅子、つまり獅子王は戦場に向かったわけではない。粟田口の数振りに連れられて町へと買い物に降りただけだ。戦場と屋敷の中しか縁の無かったような獅子王は町に降りることが苦手だったと記憶している。実際、短刀たちに引っ張られて出掛けるその背中は不安に溢れていて、引きとめようかとすら思ってしまった。しかし出掛けること自体は楽しいは楽しいのだと言ってはいた。ただ、とても疲れるのだと呟いていたのだ。
 門に着けば丁度出掛けていた刀たちが戻っていた。俺に気がついた獅子王に笑いかけ、声をかけて近寄る。すぐに粟田口の短刀たちに断ってから獅子王の手のひらを掴んでその場から彼を引き離した。しばらく歩いて彼らの死角になると獅子王は深い息を吐いた。所謂ため息であるそれに続くのは疲れ切った声色の、感謝の言葉だった。
 ありがとう、つるまる。とどこかたどたどしい言葉はよほど疲れているということだろう。大したことじゃないと軽く告げて俺の部屋へと引き込んだ。
 俺は一人部屋を与えられているので相部屋で暮らす獅子王が疲れた時は俺の部屋に連れてくることが多い。俺がいては疲れが取れないだろうと最初の方は部屋を出ていたが、最近は獅子王が引き留め続けている。それが嬉しくて笑みを抑えられずにいるのだが、疲れ切った獅子王はそれに気がついた試しがない。好都合ではあるが少し寂しいものでもある。
 さて、疲れ切った獅子王は部屋の真ん中で寝転がり、丸くなる。見た目よりも育ちの良い彼なので他の刀が見たら驚く光景かもしれないが、疲れてしまえばこの獅子も他の刀と同じような醜態を晒すのだ。それがまた嬉しくて俺は笑みを浮かべた。俺だけが知る獅子王とは、なんと甘美な響きか。
  丸くなっている獅子王に近付き、その背中を腰からうなじにかけてを撫でながら手を滑らせて仕上げに髪留めを取り除く。広がる髪は金色をしていて美しい。手入れされているそれは、それが嗜みであると認識しているということなのだろう。でなければこの獅子はここまで綺麗な髪を維持できないだろう。神経質な性質も持つ獅子王はストレスというものが多く、髪にも当然現れるはずなのだから。
 柔らかな髪を楽しみながら撫でれば、ごろりと獅子王が転がってきた。かち合う視線に、俺は息を飲む。疲れた目は光が弱く、奈落の底のような暗さを帯びていたのだ。
 その奈落を思ってしまえば口角が上がるのを抑えられない。深い笑みを浮かべて、俺は獅子王の唇に口付けを落とした。俺も獅子王も目を開いて視線を交わした侭。
 この感情が所謂恋情や愛情や思慕だと言われるものだと気がついたのはしばらく前になる。この本丸に顕現して数日後、石切丸や審神者に忠告がてら教えられたのだ。曰く、危ういのだと。
 俺はどうやら一目惚れというものをしたらしい。そんな俺は獅子王を囲い、果てには隠したいと思っているようだ。今はまだ部屋に引きずり込むだけだが、そのうち更に危険な行動をするのではと彼らは注視していた。

 しかしそれが何だと言うのか。獅子王がこんな目をしているというのに!

 唇を離し、至近距離でその目を見つめる。果てのない底が滲むその目は確かに刃の色であるはずなのに、まるで真っ黒だ。おいでおいでと手招きし、果てには俺の首を掴んで引きずり落とそうとする目だ。そんな目を見てしまえば、俺の行為なんざ注視する必要がない。
(きみのその目が隠したいと叫んでいる。)
 だから俺は薄暗くなった部屋で明かりも灯さずにもう一度の口付けを落とすのだった。



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