鶴獅子/朧月夜/夜に本性が垣間見える獅子王が、夜をどうとも思ってなかった鶴丸に刷り込む話。



 桜の花がぼやけて見える。今夜はやけに輪郭が曖昧な夜だ。砂利を踏みながら庭を歩けば、月明かりで辺りが照らされているのが分かる。けれど、その輪郭は前述通りに曖昧だ。その曖昧さを楽しんでいれば、何も覆うものがない俺の頬をしっとりとした空気が撫でた。霧が出ている。ならばと空を見上げれば月がぼんやりと見え、朧月だと口角が上がった。正に、春の夜に相応しい月だろう。
 自分が砂利を踏む音がやけに目立って聞こえる。それもその筈、今は月が出ているとはいえ遅い時間で、短刀といった子供の体を持つ者は寝こけているし、大人の体を持つ者も夜更かしするような者は揃いも揃って遠征へと行っていた。だからこんな夜に出歩くのは俺ぐらいだろう。でも、だからこそ何か驚きがあるかもしれないのだ。些細なことでもいいから生きた心地がする驚きがほしいと俺は歩くのをやめない。
 ふと、池のほうに何かがいた。黄色っぽいそれは明らかに自然の色ではなくて、誰かが起きているのだと分かる。さあ誰だろうと楽しみに近寄れば、そいつは石に座って池に足を浸しているらしかった。金色の髪と、黒に黄色の模様があるジャージとやら。そう。
「獅子王じゃないか。」
「ん、嗚呼。鶴丸のじーさんか。」
 長い髪を揺らし、こちらを振り返った少年の銀色の目は夜の色を映して鉛色をしていた。
 隣に座り、何をしているのかと問えば月を見ていると言われた。しかしその視線は下方を見ており、成る程と下方の池を見た。鏡面のような池に写る朧月はどうにも頼りないが、美しい。
「それにさ、こうすると。」
 そう言った獅子王が足をゆらりと動かせば、水面が揺らめいて月が溶ける。足の動きを止めれば、徐々に月が浮かび上がる。楽しいだろうと笑った獅子王に、俺はそうかねと言った。
「そんなことより獅子王が起きてるほうが驚きだぜ。」
「本当に驚き好きだな。俺だって起きてる夜ぐらいあるって。」
「でも俺が散策する時はいつだって姿が見えなかったぜ。」
「そりゃそうだろな。部屋ん中にいるか、山のほうに行ってるし。」
「山?!お前さん夜中に山なんて行ってるのか?!」
「鵺が居るしな。」
「いやいやいや、危ないだろう!そんな驚きを提供しなくていいぜ。」
「いや別に提供してねえけど。」
 呆れた顔をする獅子王に頭が痛くなりそうで、深く考えるのをやめた。夜の山に行くなんて山伏国広だってそうそうやらないだろうに、この獅子は何をしているのだか。
 案外心配性だなあと笑う獅子王に、じとりと視線を移せばいつも結っている髪が解かれていたことに気がつく。金髪なんてこの本丸では目の前の獅子王と山姥切国広ぐらいのものだから注視していなかったが、髪型でだいぶ印象が変わるものだなと驚いた。これはいい驚きである。
「獅子王は髪がそんなに長かったんだな。少し触ってもいいか?」
「んー、いいぜ。」
 許可を得てそっと触れれば細くて柔らかな癖っ毛が心地良く、猫っ毛とはこういうものだろうと思った。しかしそれにしては指通りの良い髪の質に、きちんと手入れしているのだなと驚いた。獅子王の性格からしてわりとほったらかしにしていると思っていたのだが。
 ひとしきり堪能して手を離せば、満足したかと獅子王が笑むので勿論だと返す。しかし、その笑みがどうも普段らしくなくて居心地が悪かった。顔には出さないようにしたのだが、どうにも獅子王の鉛色の瞳には見透かされているように感じる。
 夜、だからだろうか。でも今はまだ物の怪の時間ではない、月のある刻で。
「鶴丸のじーさんは月は嫌いか?」
 池が揺らめき、月が溶けて消えた。朧月は確かに大地を照らすのに、何もかもの輪郭を曖昧にする。目の前の獅子でさえもだ。でも何故だろう。鉛色の瞳がやけに鮮明で。
「俺は鵺が好きだよ。」
 故に、夜とは恐ろしいものだと。

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