うぐしし/見慣れないあなたに恋をしたみたい/出会いの話


 夏の本丸。蝉の声がうるさい昼間が駆け抜けて、夜の中、蛍が舞う時間。そんな時間に俺は広間を抜け出した。広間で行われていた宴会は俺がやってきたことを祝うものだけれど、少しだけ疲れてしまった。賑やかなのは好きだし会話をするのも好きだからたくさん交流したけれど、でも今日の昼に顕現したばかりなのだから疲れてしまったのだ。
 夜の本丸を歩く。鵺は何処かに行ってしまったけれど、きっとまた戻ってくるから心配なんてしない。ふらふらとあてもなく歩けば、思考がぐるりと回った。
 それにしても俺がなかなか来ない本丸とは珍しいものだ。でもこの本丸は刀剣男士が沢山揃っているわけではないみたいだし、レアな刀といえば彼の方しかいないと聞くし、考え得ることだろう。そう、そういえばこの本丸唯一のレアな刀というのは鳥の名前をしていた。たしか鶯丸という刀のはずだ。未だ合間見えてないその刀はどんな姿をしているのだろうと考える。鶯というぐらいだから小さくて緑色をしているのだろうか、そんな想像をして笑みがこぼれた。
 思考を巡らしつつも蛍を愛でながら歩いて、もうどれぐらいだろうか。そろそろ戻らないと帰れなくなるかもしれないと引き返そうとすれば、木の陰に誰かがいた。こんな時間に誰だろうと、近寄る。目を、見開く。
 蛍のあわい光に照らされたそのひとは白い肌と緑色の髪をした美しいひとだった。少し褪せたかのような深緑の着流しを着たそのひとから漂う神気に、このひとは刀剣男士なのだと分かった。見たことのないその刀に、俺はふらふらと近寄る。
 その刀は俺に気がつき、顔を上げた。幻想的なその刀に、俺はどんな顔を向けているのだろう。その刀はふわりと笑った。
「きみが獅子王か。」
 そうだと答えたいのに、喉がひりついて言葉が出ない。そんな俺に気がついたのか、蛍の光で淡く浮かび上がる白い指先が俺の喉をするりと触った。
「無理はしなくていい。疲れているだろう。」
 どうして分かったのかと驚いて目を見開けば、その刀は微笑みを浮かべたまま言う。
「寝る場所が分からないのか。ならば此方においで。教えよう。」
 喉から滑るようにその指が俺の手の指と絡む。やわく掴まれたそれを振りほどくことなんて考えもしないで、俺はただでくのぼうになったかのように頷くだけだった。
 手を引かれて夜の庭を歩く。蛍の光がどんどんと遠ざかる。本丸の白熱灯がちらついて、その刀は迷うことなく歩いていく。俺は歩き方を忘れてしまったみたいに拙い足取りで必死にその刀について行く。一切後ろを振り返らず、俺に話しかけることもしない刀なのに、やけに優しいように思えた。

 本丸の中、ひとつの部屋の前でその刀は立ち止まった。音もなく戸を開き、入る。部屋の中の灯りをつけたその刀は俺へと振り返り、入っておいでと言った。俺は恐る恐るその部屋に入り、立ち尽くす。そんな俺をその刀は座らせて、何かを確認するように押し入れを開いて見ていた。何も言えずにいる俺に、刀は何か独り言をこぼす。
「布団が足りないか、ならば粟田口の部屋に余りの布団があったから……。」
 そこでくるりと振り返った刀に待っていてくれなんて言われるものだから、俺はそこでやっと声を絞り出す。
「あの、あんたは、名前は……?」
 変な言葉なのに、その刀はちゃんと分かったみたいで、まだ言ってなかったかと微笑んだ。
「俺は鶯丸。きみは獅子王だと思ったのだが、合っているか?」
「うん、合って、る。」
「そうか。良かった。」
 それじゃあ布団をもらってくると部屋を出たその刀を俺はただ見送って、頭の中でぐるぐると駆け回る名前をぽろりと口に出した。
「うぐいす、まる。」
 彼の人が鶯丸なのだ。小さくはないけど緑色を纏う刀。美しい刀。その刀が俺に優しくしてくれたことが嬉しくて、俺は両手で口元を覆った。嗚呼、何だか頬が緩んでしまったみたいだ。

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