宮中/マガイ戦争/謎パラレル/RPG系統/中原が少年


 この世にはマガイと呼ばれる存在がいる。それらは人間ひとりひとりに一体存在し、人々はマガイを利用して文明を育み、マガイと共に人生を謳歌する。しかしマガイは多くを語らず、人々はマガイについての正しい知識など持ち合わせてはいないだろう。人々はマガイについて知ったことを一冊の本に少しずつ書き連ね、少しずつマガイと文明を築いてきたのだ。その本は一つの中立国家が所有し、厳重な警備体制を用いて守っている。そんな中立国家で生まれ育った少年、名前を中原中也という。そして彼にはまだ、マガイが存在していなかった。

 中原は走る。もつれそうになる足を叱咤し、走り続ける。警備兵に見つかっては全てがお終いなのだと、腕の中の瑠璃色の装丁の本を抱きしめて気合いを入れ直した。
 後ろから人々のざわめきが聞こえた。急いで入った路地で、中原と顔見知りのおばさんが急いで隠し通路への隠し扉を開く。しっかりしなさいと中原を励まし、中原は頷いてその通路を駆け抜けた。遠くで警備兵が民衆と衝突している声が聞こえる。中原は失敗するわけにはいかないと唇を噛み締めた。
 幾人もの人々によって守られてきた隠し通路を通り抜ける。そして、最後の隠し通路を抜けた。
 街の外では雨が降り始めており、中原の前方には馬車が止まっていた。その馬車の馬の手綱を握る眼鏡をかけた青年が中原に声をかけた。
「急いで!」
「わりい遅れた!」
 そう言って中原が馬車に乗り込めば数人の同乗人のうち青い髪の青年が困った顔をする。
「少し早いぐらいだけど……。」
「ならいい。早いに越したことはねえだろ。」
 そう話す間に馬車は全力で駆け出していた。
「中原君、それが例の本かい。」
「そうだ、夏目は見るのが初めてなのか。」
「むしろ見たことがある君が異常だ。」
「その言い方はないだろう芥川君。」
 芥川と呼ばれた青年は視線を逸らし、そんな芥川に夏目と呼ばれた青年がため息を吐いた。そして青い髪の青年を太宰と呼ぶと続けて話す。
「予定通りに頼むよ。中原君はマガイが無いのだから。」
「護衛、頑張ります。」
「つか太宰は護衛ってガラかよ。」
「少なくともマガイを持たないお前は戦力外だということを忘れるな。」
「芥川君、言い方に気をつけなさい。それだと心配していることが伝わらないよ。」
 再び芥川が目を逸らすと夏目は額に手を当てて小声で、どこで教育を間違えたのかとぶつくさ言っていた。
 一方、太宰は中原の首元にあるペンダントを触る。シルバーのそれは太宰が与えたものであり、太宰のマガイが中原を護るために必要な道具だ。
「絶対に身体から離さないで。」
「分かってる。ったく、めんどくせえ。」
 中原はパシリと太宰の手を叩き落とし、それを太宰はびくりと震えて受け、大人しく手を引いた。その時、芥川が静かにと三人に告げ、そっと馬車の布の隙間から外を見れば、兵が馬に乗って追いかけてきていた。夏目と芥川は視線を交わし、夏目がそっと中原の手を取った。中原は夏目の目をじっと見上げる。夏目は真剣な目で中原を見つめて話す。
「その本をあいつらに渡さないように、気をつけて。」
「おう。」
「その本がこの世界の運命を握っているんだ。分かっているね。」
「当たり前だろ。」
 中原は強い口調で続ける。
「あの人から教えてもらったのはこの俺だぜ。」
 夏目はその言葉にそれはそうだねと笑った。そして芥川と夏目は走る馬車から飛び降りた。
 中原はそれを追いかけるように布の間から外を見ようとして太宰に止められる。中原は激しい雨の音に混じりだしたマガイ達の激しい攻防の音と人々の怒号に唇を噛み締め、瑠璃色の本を抱きしめた。
 やがて馬車が止まり、太宰と中原は馬車を降りた。馬を操っていた眼鏡の青年も馬車を降り、馬を馬車から外した。そして馬に好きなところへと告げると馬は裸体で駆け出した。眼鏡の青年を太宰が安居と呼ぶと安居はくるりも振り返って笑う。
「行こうか。それにしても雨の中で眼鏡はオススメできないね。」
「マガイの影響だったか?」
「視力のこと?そうだよ、中原はよく知ってたね、えらいえらい。」
「それより早く行こうぜ。」
「子ども扱いするなとか言わないんだね。」
「今回で自分の無力さはよく分かったンだよ。」
 そして三人は山路を歩き出した。しかしすぐに太宰が兵を察知し、安居が先に二人が行けと告げる。
「安居はどうすんだよ。」
「予定とは違うけどここで兵を引き受けるよ。大丈夫、死んだりしないさ。」
「お前、兵がどんだけいると思って!」
「一部しか相手しないよ。負けて捕らえられるのも嫌だしね。太宰、頼んだからね。」
「任せてくれ。」
「安居、頼むから無理すんなよ。お前に限ってそんなことしねえと思うけど。」
「はは、よくわかってるじゃないか。」
 それを聞き終えると太宰は中原の手を引いて走り出した。中原は後ろを一度だけ振り返り、必死に太宰の走りについて行った。
 雨の中、薄暗い森は不気味なことこの上ない。しかし二人は懸命に走った。目的地はこの先にある廃墟だ。そこはつい一ヶ月前まで美しい古城であったが、王国兵によって襲撃され、荒らされ、今は見る影も無い。
 二人が走っていると太宰が突然足を止めた。中原が慌てて立ち止まると、太宰は悔しそうに追いつかれたと語った。そして自分の首に手を当てた太宰に中原の顔が青ざめる。
「ここでマガイを使うのか?!」
「使わないと捕まるだけだよ。」
「でも太宰のマガイは命を削るんだろ、もっと危なくなった時でいいだろうが!」
「これ以上危なくなることはないよ。中原、ペンダントに気をつけて。巻き込まれる。」
 中原はペンダントを片手で確認する。太宰から与えられたそれは太宰のマガイから身を守る為のマーカーだ。太宰のマガイは周囲にある人間を誰彼構わず引き裂く。ただし、そのマガイは宿主である太宰が作ったペンダントを身に付けている者だけは攻撃しなかった。
 森林から現れる警備兵達に太宰は向き、首に当てた手を首を絞めるように動かした。そしてか細い声で告げる。
「いけ。」
 すると首からブワッと黒いもやが現れ、鎌を背負った人型のマガイが形成される。そこからは凄まじい光景が広がる。マガイの鎌が兵とそのマガイを引き裂き、どんどんと戦闘不可能の状況に陥れていく。雨の中にむせかえる血の匂いに中原がふらついた時、兵の犬型のマガイが中原を吹っ飛ばした。動けない太宰が驚きの声をあげながら視線で中原を追えば、中原は地面から起き上がって咳き込んでいた。本はその腕の中にしっかりと閉じ込められており、太宰がそのことに安心した瞬間に太宰と太宰のマガイが人型マガイの棍棒で殴られる。中原は叫び、本を返せと言う兵たちをキッと睨む。
「お前らはこの本で戦争を引き起こす。俺は知ってんだよ!」
「そんな訳がない。それは人類の叡智だ、文明の全てだ。さあ、大人しく返せ!」
「渡さねえよ。あの古城を襲ったのも、他の国に侵攻しようとしてんのも全てこの本を利用してのことだろ。この本のマガイの知識でマガイを操って、合成獣(キメラ)を造って、そんなの許されると思ってんのか!」
「……なぜお前のような小僧がそんなことを語る。お前は、何だ?」
 兵たちの動揺に中原は叫ぶ。
「この本は渡さねえ。賢治さんが全部教えてくれたんだ。この本は、」
「賢治……?」
 賢治の名に兵たちが眉を顰める中、中原は告げる。
「この本はあってはならない。本当はお前らの手の届かないところで焼くつもりだった。でもここで捕らえられるのなら、」
 中原はそう言うと本を開き、右手を裏表紙に、左手を表紙にかけた。兵たちはそれに動揺する。しかし彼らが何かをする前に中原は渾身の力で本を引き裂いた。
 その、時だった。
 背表紙から離れた頁達は地に落ちる事なくばらばらと音を立てて宙へと浮かぶ。そして全ての頁が浮かぶとぴたりと動きを止め、今度は中原に異変が起きる。両手で胸部を掻きむしるように、息を荒くして苦しむとカッと目を見開いて両手をだらりと垂らした。誰もがその異常さに目を剥く中、宙に浮かんだ頁が動き出し、中原の胸部へと光を放って入って行った。それは雨が土に染み込むようでもあり、また半紙が墨を吸い込むようでもあった。
 異常な光景は長くは続かず、あっという間に中原の幼い体に全ての頁が吸い込まれると、地面に裏表紙と表紙と背表紙が落ち、中原は膝から崩れるように倒れた。
 げほげほと咳き込みながら泥まみれとなった中原は起き上がり、何が起きたのか分からない様子で本の残骸を見つめた。兵たちの中、隊長らしき兵が一番に正気を取り戻して叫ぶ。
「その子供を捕らえろ!人類の叡智の結晶を壊した大罪人だ!!」
 その声で兵たちが次々にマガイを外に出し、中原へと向かわせた。太宰が危ないと叫ぶ。しかし、中原は静かに目を閉じて、微笑む。本が消えたのだから、これでもう思い残すことはないと。
 兵たちのマガイが中原に接近した時、落ちた本の残骸から何かが浮き上がった。それは瑠璃色の装丁にある金色の紋様だった。その金色の紋様はマガイを弾き、マガイたちが怯む。中原が目を開いてその紋様を見て目を見開くと、紋様がぐるりと回転し、人型の何かに姿を変えた。白い髪と白い肌、空色のコートを肩に羽織り、白い手袋をしていた。コートには模様があり、白鳥座がモチーフだと中原が認識した時、その人型の何かくるりと中原へと向いた。その顔、青と赤が混じる目を見て中原は目を落とさんばかりに見開き、呟く。
「賢治さ、ん……?」
《そうだよ中原くん。》
「うそ、なんで、賢治さんはあの古城が襲われた時に死んだんじゃ、」
《ふふ、ぼくはそう簡単には死なないんだ。また会えて嬉しいよ、前に見た時より大人に見えるね。》
「ほんとに賢治さんか?これって夢?それとも俺は死んだのか?」
《きみは生きてるよ。これは現実さ。》
 中原は視線を下ろし、散らばった本の残骸に嗚呼と納得した。
「賢治さんはこの本から出てきた、つまりマガイなんだな、本にもマガイっていたんだ!」
《……。》
「賢治さん、ならお願いだ。あいつらを追い払ってくれないか。俺にはマガイがいないから戦えないんだ。本のマガイの賢治さんには悪いけど、本をどうしてもこの世から消さなきゃならなかった。多くの人たちがそれに協力してくれたんだ。だから、」
《……。》
 賢治の呼ばれたそれは中原をじっと見つめ、中原はそれに強く訴えた。
「お願いだ。どうか、みんなを助けてくれ、それが俺の、たった一つの願いなんだ。」
 中原の必死の言葉に賢治はふわりと笑う。そして腕を動かし、中原の小さな頭を撫でた。
《その願い、ぼくが叶えてあげよう。》
 その言葉を聞き遂げると、中原は安心したように目を閉じて再び倒れた。そして賢治は兵たちに向き直り、手の中に本を出現させる。そして狼狽える兵たちの前で本を開き告げる。
《さあ、命乞いは受け付けないよ。》
 その声は明るく、透き通っている。
《これは中原くん(宿主)の願いだからね。》
 柔らかく微笑んだ賢治のその言葉で太宰が大きく目を見開いたのだった。

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