コナ乱コナ/本の塔/謎パラレルファンタジー系/ほぼ足し算/乱歩さん視点


 本ばかりの部屋で退屈を持て余す。天井に届くほどの本棚が並ぶこの部屋の、本は全て読み終えてしまった。隅から隅まで、どの本のタイトルを言われても内容を分かってしまえるほどに、全ての本を繰り返し読んだ。お気に入りは六段目の右から4番目の、少女を拉致し殺す連続殺人犯のシリーズだった。非現実的に犯罪を重ねるストーリーだが、書き方に奇妙なリアリティがあって引き込まれた。
 窓の外側に這うツタを視線で辿る。この窓に鍵は無い。元々開ける為に作られた窓ではないのだ。昼間に電気を使わずに光を室内に導く為のその窓は割れば人が一人通れるぐらいの大きさだ。ただし見たところ地面までかなり遠いので意味は成さないだろう。
 ちら、と室内を見回す。相変わらず小さな部屋で埃は塵一つすら積もっていない。魔女の呪いがかけられたこの部屋にそんなものがある筈が無いのだ。そう、魔女だ。
 この部屋は魔女によって閉ざされ、俺はここに入れられたままだ。

 始まりの日なんて思い出せない。いつだったか、気がついたら俺はこの部屋にいた。自分が動かないかぎり音のしないこの部屋で俺は一心不乱に本を読んでいた。階段から直接繋がる扉の小さな小窓から、たまに魔女がこちらを見ていた。澄んだこげ茶の目と黒髪をした魔女は俺を見ては満足そうに去っていった。俺はそれに何も思わず、ただ読書を再開した。いつだったか、その魔女も小窓を覗かなくなったのだけれど。
 魔女の施しらしく俺は腹が減らない。三大欲求はまるで無くなっており、俺はただ本を読むかぼうっとするしかすることは無かった。湿度も温度も快適に調節されたここは本で読んだ監禁部屋と比べたら居心地が良いのだろう。ただし、俺は救出されることも死ぬことも無いのだろうけれど。
 唯一の扉を見る。その扉が開かないことはとうの昔に知っていた。小窓から魔女が覗かぬものかと期待する時期もとうの昔に過ぎていた。暇だ。特に苦痛ではないが、暇で仕方が無い。何かをしてみたいという欲求があるが、残念ながら俺は本を読むことには飽きてしまった。
 その時だったいつぶりか分からないほど久しぶりに、階段を登る音がした。

 驚いて目を見開く。ゆっくりと扉を見て、目を普段通りに開き直す。じっと見ていれば、小窓に人影が映った。黒髪ではなかった。
 キィと木がしなる音がして扉が開く。
(ああ、扉が開かないなんていつから俺は思っていたのだろう。)
 扉は最初から鍵なんて掛かっていなかった。扉は最初から開くようになっていたのだ。
 扉が開き、人が一人現れる。ふわふわとした茶髪、緑色の丸い目、身長は少し低めだろうか。童顔の男性だった。彼は俺に気がつき、笑顔で言った。
「やあ、初めまして。」
 俺は返事をしようとして喉がひりつき、つっかえる。そうだ、俺はずっと喋っていなかった。
「いいんだ、そのままでも。ここは本が沢山あるね。ずっと本を読んでいたのだろうな。オススメはあるかい?」
 にこやかに言う彼に俺はあの本を指指す。彼は移動してその本を手に取った。パラパラと捲り、成る程と頷く。俺はなんとか声を出す。
「きみはだれだ。」
 俺の声に彼は驚いてこちらを見た。そして嬉しそうに言う。
「コナン・ドイルだよ。驚いたな、喋れたんだね。さ、少し診察しよう。」
「しんさつって。」
「意味は分かっているようだね。私は医者の端くれなのさ。少し喉を見せてもらえるかな。」
 近寄ってきた彼、ドイルは鞄から取り出した白い手袋をして、器具を手にとって俺に口を開けるように言った。口を開けば器具が差し込まれ、少し彼が覗き込む。すぐにそれは終わり、器具は口から出ていった。
「問題は無いね。明日は食事を持ってこよう。飲み込みに問題が無いか確認しないと。」
 器具を片付けて手袋を外す彼に湧き上がった疑問をぶつけた。
「なんでいしゃがここに?」
 彼は穏やかに言った。
「聖母様に頼まれたのさ。」
 聖母という言葉は分かるが、聖母様という人物にぴんとこない俺に彼は続けた。
「百年ほど前までこの部屋を見に来ていただろう?その女性のことさ。」
「ああ、まじょのことか。」
「魔女?!とんでもないな。いや、魔女と言っても間違いでは無いのか……」
 彼はゆっくりと語る。
「きみが魔女と呼ぶ人はこの近くの村では聖母様と呼ばれていてね。彼女は元々村に住んで聖なる魔法を使って人々の病を治し、魔物から村を守っていたのさ。その聖母様が四百年前にこの塔を作った。塔の上に書物庫を作ってね。」
 彼は穏やかに語る。
「その書物庫に今から三百年前に精霊が宿った。聖母様は喜んだ。だって精霊が宿るということはそこに沢山の善の思いが集まっていたということだからね。けれどまだ不安定だった精霊のその成長を妨げぬよう、聖母様はなるべく部屋に立ち入らないことにした。誰かが入ればその部屋に溜まっていた善意が零れてしまうからね。」
 彼は俺を優しい目で見ていた。
「そして今から百年前に精霊が成熟したのを見届けた聖母様はこの塔の上に上がることをやめた。成熟した精霊が何処へでも行けるようにと願い、村から塔を見守るだけにしたのさ。」
 分かったかなと彼は言う。
「その精霊がきみのことさ。本の精霊。名前はまだ無いけれど、とても強い力があるみたいだね。完全に人と同じ姿をしているし、肉体も持っているようだ。ここまで成長した精霊は見たことが無い。すごいなあ。」
 俺は瞬く。自分は人ではなかったのかと思うものの、そもそも誰も俺を人だとは言わなかった。数百年を生きていると言われれば、確かにそれぐらい生きているだろうと分かる。指摘されればあれよあれよと俺が本で読んだ人では無いことがはっきりと分かった。
 彼は笑顔で立ち上がる。
「さあ、私はまた明日ここに来ることにしようと思う。きみはまだこの部屋から出ないのだろう?」
 その言葉にどうしてだと訴えれば、彼は不思議そうに言った。
「だってきみはここから出たいのかい?」
 そう言われてハッとした。俺はこの部屋から出たいと思ったことはない。誰かがやって来ることは期待しても、共に出て行くなど考えたこともなかった。彼は見透かしたように澄んだ目を優しく細めていた。
「ゆっくりと考えるといい。きみはもう大精霊とも呼べるほどの存在だ。思考レベルも随分と高いだろうし。」
 その言葉にならばと言う。
「きみはただのいしゃなのか。」
 医者とは人間を診るものであって、精霊についてそんなに詳しいとは思えないと言外に告げれば彼は驚いたような顔をして嬉しそうに頬を染める。
「驚いた!本当にしっかりとした思考力だ。本の精霊だということも影響しているのか、はたまた。ああ、いや、今は私の肩書きのことだったか。」
 彼はそう言うと姿勢を正し、うやうやしく頭を下げた。
「私は王国騎士団精霊使隊所属の精霊医コナン・ドイル。今回はここから程近いウヘヴ村の聖母様より本の塔に住む本の精霊の診察の任務を受けてやってまいりました。以後お見知り置きを。」
 彼は頭を上げて優しそうに微笑んだ。そしてそれではと背を向けて扉を開く。その背中に俺は告げた。
「あした、かならずくるといい。」
 彼は開きかけた扉の取っ手から手を離して、振り返り、告げる。
「はい。勿論です。」
 そう言うと彼は今度こそ出て行った。残された無音の部屋の中、どうしてか暇だとは思えなかった。

- ナノ -