アイリスに最後の仕上げと紅をさす。
 それによって唇が真っ赤に染まった。大人の女性らしさに加え、毒々しさすら感じるそれは、成熟した女性ではないアイリスにはお世辞にも似合わないだろう。それでも彼女を着飾っていたNはその色を選んだ。
「綺麗だよアイリス」
 言われた彼女はゆっくりと瞬きをする。朱色を中心に彩り鮮やかな柄の振袖をアイリスは着ていた。髪は結い上げて、頬は薄っすらと桃色のチークで染まっている。
「とても綺麗だ」
「Nさん」
「どうかしたのかい?」
 笑うNにつられたのか、アイリスも笑う。ただし、彼女のそれはぎこちない。慣れない化粧を施されていた時に緊張しきっていた顔の筋肉は今、彼女の言うことを聞かない。
「さあ、写真撮影に行こうか。サトシ君とデント君が待ってるよ」
「はい」
 アイリスは立ち上がってNにエスコートされて歩き出した。

 地図にかろうじて載る小さな街の、老夫婦が営む小さな写真屋にサトシ一行は居た。そこでアイリスはNの見立てで振袖を身に纏ったのだ。沢山の衣装と化粧道具が揃ったその事実はかつてこの街が栄えていたことを意味するのかもしれないが、彼女には本当のことを知る術はなかった。

 撮影用の背景の前に立ち、カメラをアイリスは眺めた。カメラの前に彼女をエスコートしたNは、去り際にとびっきりの美人だよと彼女に言ってその場から退いた。それがお世辞と事実のどちらだとしても、写真には綺麗な姿でうつりたいとアイリスは思って背筋を伸ばして顎を引いた。

 三枚ほど撮ると、デントがアンティーク調の椅子を持ってアイリスに近寄る。これに座るのもいいんじゃないかなと笑うデントと笑顔の老夫婦にアイリスはありがとうと笑む。
 アイリスが椅子を置くデントを見ていると、彼女の視界の端でサトシがNを引っ張って衣装部屋に連れて行くのが見えた。気がついたアイリスが口を開こうとすると、彼女の斜め前に移動していたデントが彼女の口元を片手で覆ってもう片方の手の指を一つだけ立てて唇に寄せていた。
 驚いて口を閉じたアイリスに、デントはお楽しみだよと笑って衣装部屋に入って行った。老夫婦はその間に緊張を解しましょうと笑って彼女と雑談を交わした。

 少し雑談に区切りがついた時に、衣装部屋からデントとサトシが出てくる。Nさんはとアイリスが問うと二人は笑ってNを呼んだ。
 ゆっくりと少し気恥ずかしそうな足取りで衣装部屋から出てきたNは袴姿だった。紋付袴ではなく、帽子をかぶりシャツと着物を着込んだ、まるで書生さんのようなといった衣装は彼によく似合う。
 色味の少ない男性の和装は、色白で若葉色の髪と青い目をしたNによく似合うと老夫婦は言い、アイリスと並ぶよう提案した。

 アイリスはデントが持ってきた椅子に腰掛け、背筋を伸ばす。そしてちらりとNを見てから、カメラに視線を移した。Nは真っ直ぐにカメラを見ていて、アイリスの座る椅子の背もたれに手を軽く添えるように置いていた。

 写真を撮り終えて、いいですよと老夫婦が笑顔で言うとアイリスとNは撮影用のスペースから退いた。次は何時の間にか着替えていたデントとサトシ、ピカチュウが撮影するようだ。二人と一匹は楽しそうにめいめいの好きな格好で撮影用のスペースに入った。

 衣装部屋に入ろうとすると、Nがアイリスを呼び止める。アイリスが振り返ると、Nがアイリスの手に手を重ねて言う。
「綺麗だよアイリス」
 そう言って笑うNは、紅をさした直後と同じ言葉を言っている筈なのに、どこかみずみずしい果実のような新鮮さと甘味を持っていて、アイリスは微睡みのような幸せに浸りながらうわ言のように呟いた。
「Nさんも」
「?」
「Nさんも、かっこいいです」
 Nは目を見開いて、くたっと笑い、繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

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