出張サレタリ狐堂


笠松視点


 こんな経験をすることは無かった。何故、何故、俺はあんなものに追いかけられているのだ。
 走る俺の背後に迫るは大きなヒトガタの生き物。赤黒い肌をし、犬歯が肌を突き破って飛び出している。その体躯は二メートルほどだろうか。それが猛スピードで俺を捕まえようとしている。
 そしてとうとう追いつかれ、腹を握られ持ち上げられそうになる。

 断じて、俺は何もしていないのだ。この生き物に、俺は何にもしていない。

「其れは鬼やで、笠松君」
 目を開く、アスファルトに落ちる衝撃、背後では叫び声。それはさっきの生き物の声だ。急いで振り返る。其処には彼が居た。
 着物を着ているが、彼は正しく。
「いま、よし……?」
 カッカッカッ。四つの下駄の音が響く。一際大きな下駄の音がして、一人は生き物の頭上に、もう一人は俺の目の前に。
「あなたは動かないでください。」
 それは女だ。俺より小さな少女だ。着物を着たその少女は笛を手に持ち、そっとその笛に口付ける様に口を付けて吹く。音は出ない。出ていないのに少女は吹き続ける。ふと、何か温かいモノに包まれていることに気がつく。これは、何だ。
 もう一人は生き物の頭上で大輪の花を開かせていた。アレは、そうだ。彼岸花。少女が笛から口を離す。
「一寸!花宮真面目にやんなさいよ!」
「聞こえねーな!」
 彼岸花の根がブワッと伸びて群れて行く、その根は生き物に絡み付き、そして口へ、口へと。
 生き物は震え出す。ガタガタと地面が揺れて、大きな音を立てて地に倒れる。今吉は、其れを唯見ている。否、少し困り顔だ。
「花宮、サッサと片付けんかい。何で手間掛けるん。アーアー面倒くさ。」
「そもそも俺の分野は毒ですから。」
「何言ってんのよ絞めることも出来るしょう」
「うるせえ非戦闘員」
「しょうがないでしょうが!」
「まアまア落ち着き」
「そもそもアンタが何で此処まで出て来てんだ!」
「店を放置して何ほっつき歩いてるんですか旦那様!」
「何や仲良しやん」
「「誰が!!」」
 ワイワイと騒ぐ横で生き物はもがき、苦しむ。そしてやがて、ぱたりと動かなくなった。其れを見て、今吉が近づく。今吉の着物は黒い布に赤い模様が描かれていた。
「ほな、さいなら」
 ふわり、炎が舞ったと思った。今吉の目の前で生き物が炎に包まれて焼かれて灰となる。業火だろうか、なんて思って仕舞う。
 さて、と今吉が振り返った。目は細められ、その口は弧を描く。
「アレは鬼やで笠松君」
 それは暗に、何も知らないのだねと。


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